見出し画像

【掌編】エルダ―ワイルダーの秘密の森


****

星語《ホシガタ》掌編集*16葉目

(4010字/読み切り)

****

****

これはどこかの世界、ある貧民街のちいさな物語。

───スモッグに覆われた鈍色の狭い空。遠くでサイレンが響いていた。

『よォ、そこの眼鏡の電信柱』

気づけばいかにもガラが悪そうな屈強な男たちに囲まれていた。このタイミングで排気ガスがモロにボクの気管支を攻撃した。

「ゴホッゴホッ…お、おか、お金ならゴホッ…全く持ってません」苗で全財産はたいてしまった。と苗でぱんぱんのカバンをガバーッと開けて見せる。

「あ、0.2銅貨残ってました」かばんの底から差し出そうとすると、いたく同情されたのち解放された。いいひと達なのかもしれない。

曲がりくねった30cm程の隙間、灰色の路地をすり抜け、廃ビルに囲まれた"城塞"に護られた、奥の奥、植えこみの切れ間にごそごそと這って入って行く。

這い出た先── 風が青く吹き渡っていた。不思議なことに”この森”には喧噪も、汚れた空気も、入ってこれないようだった。

すこし汗ばんだ額を、鈴のような風がリリン…リリン…と撫でていく。

眩いぐらいの白い陽だまりの中、
『頭が葉っぱだらけですよ、植物学者さん』

ボクが作ったガタついたテーブルでくつろいでいた花売りの少女がくすくすと笑って取ってくれた。

「あ、ありがとう…」
「でも妙齢のお嬢さんがこんなところひとりで出歩いちゃだめですよ」

彼女はみるみる耳まで真っ赤になった。何故だ…?
『いや…レディとして、扱って下さるんだなぁ…って』

さ、さいわいなことに、吸血鬼のようなボクの青白い肌は、きっと赤くならないのだ。だからぜんぜぜ全然気づかれてない。よかった。

彼女の弟が、ここまで連れてきてくれたのだそうだけど、それであればボクがもっと早くに到着しなくてはいけなかった。

さっそく森づくりにとりかかる。花の苗20株、今日は花壇を作るのだ。樹木はすこしずつ増やしている。

《エルダーワイルダーの秘密の森》
いつだったか、神話の守護竜の名前からとって、そんな名前をつけた。

『こんな街でも学者さんの手にかかれば植物が育つんですね』

樹々が唄っていた。柔らかな笑顔。透き通った肌、高く高く空仰ぐ彼女の赤らめた頬は、まるで春の明星のようだった。土仕事を手伝いたがるので、なるべく汚れない仕事として、苗ポットを重ねてかばんに入れてもらった。

(きっと彼女はしろがねの精霊なんだ…)

このひとが美しければ美しいほど、壊れた眼鏡のツルを硝子テープで止めた、土だらけのボクが見窄らしくて、見窄らしくて、見窄らしくなる。

「ち、智慧の樹がまさかこの土壌に根を張るだなんて、ボクも予想してなかったから」

スモッグの中で育つ亜種目当てで、研究材料の採取に来た日、智慧の双葉を見つけたのはいつのことだったろう?

智慧の樹───

教授に一度だけ見せてもらった世界に7冊しかない学術書の写しによると、広葉樹で、林檎のような実が生る。とのことだが、果実に横文字が浮かび上がるのだそうだ。見た限りで覚えてる単語は ark《箱舟》…rib《肋骨》…omni《すべての》…

────不思議なことに、智慧の樹周辺だけは緑が繁りやすく、あっという間にこの森が完成した。森といっても家一件ほどの広さしかないけど、全てが創世記に繋がっているかのようにも思える、魔法の樹だ。

『そうだ!』

ね…ね…と彼女。バスケットの中に売れ残った最後の一輪の薔薇の花を取り出し、『この子が学者さんの胸ポケットに行きたいみたいなの…』と挿してくれた。『良かったね』と女友達みたいに花にこそっと耳打ち。

どう返していいか分からないほどドギマギしたボクは…

「え、えと…あのですね」

焦ってバリバリと頭をかく。骨ばった指、普段はひんやりと血が通ってなさそうな手のひらに汗が滲んだ。

「…そ、その…ボク…その」

おこがましいことに白衣のポケットには、彼女に渡そうと1年ほど前から、リボンをかけたエンゲージリングの小箱が入っていた。

ただポケットの中でボクの手垢で角が取れてしまった薄汚れた小箱。

「ボ…ボク…貴女のことことととが…」

傷つく勇気を持たないひとには、奇跡など一生起きないものだ。

意を決して立ち上がると、テーブルセットの上に垂れ下がった梢に頭を突っ込んでしまった。そして跪こうとかがむと奥の植え込みに尻を突っ込んでしまった。

彼女の顔がまともにみれないうち───遠くから呼ぶ声が聞こえた。

『姉さーん』

靴磨きの少年、花売りの少女の弟がキャスケットをひょいと上げ会釈しながら走って来た。

『ボスが呼んでるよゥ』

────少女は途端に真顔になった。

『…………………………そ…う』
『じゃあ………行かなきゃね…』

彼女の表情の変化に血が凍った。ボクはなにか失敗したのだろうか…。先ほどまで舞い上がっていた自分と比べて、急転直下、胸の内がぎゅうぎゅうと音を立てて軋む。

弟はボクの脇腹をニヤけながらつついて『学者先生、またな~』と、尻についた葉っぱをはたいて取ってくれた。

遠ざかる少女の姿を目で追ってるうち、──どういうわけか激しい焦燥感を覚えた。そうだ、せめて今きっかけを作らないとダメだ。

「ちょ、ちょっと待って」
衝動的にこんなことを叫んだ。

「ボク明日は学会があって、これないから」
「あさっての同じ時間に!」
「話があるんだ…!」
「ずっと待ってるから…!」
「ずっとずっと、待ってるから」

彼女は少し戸惑ったあと、頭の上で大きなマルを作り微笑んでくれた。

そしてそれが──

──少女の最後の残像になった。

***

***

『兄さん、兄さん?』

"弟"が心配そうに揺り起こしてくれた。ロッキングチェアの向こう側、キッチンの赤い琺瑯の小鍋から湯気が立ち上っていた。

──あれから幾年月が流れたのだろう。

気づいたらうたた寝していた。目の周りが引きつって塩の粉だらけだ。

「また…夢を…みていた」
「美しい…お前の姉さんの夢…」

弟が背中を支えながら暖かいカモミールティを飲ませてくれた。
「ありがとう…」

───コイツを家族に迎えて本当に良かった。

鬱陶しく伸びた白髪は加齢からくる緩やかな現象ではなかった。ある日を境に、一気に色が抜けてしまったのだ。

「何故"あさって"なんて約束をした…」
「ひとりにするべきでは…なかった…」

眼からいつまでもいつまでも溢れてくる贖罪。

───その日を境に少女は、世界中からかき消されるように、霧のように消えてしまった。

ほうぼう探したが、彼女の消息はつかめないままだ。

『兄さん、もういいんだよ』
『俺だってあの日は姉さんから目を離した』
『離しちゃったんだよ…』

さらわれて慰みものにされているんだろう。街のそこかしこで下衆どもが噂した。

『俺、兄さんにはそろそろ幸せになって欲しいんだ』
9番街のパン屋の娘が兄さんのこと気に入っててね…。それでね…

弟の言葉をシッ…とジェスチャーで遮る。

「ボクは智慧の樹の世話をしてる時だけは、幸せなんでな」
上着を羽織り、行ってきます。と心配する弟に背中で呟く。

あれから秘密の森は、智慧の樹で一儲けしようと躍起になった街の権力者に滅茶苦茶に踏み荒らされてしまった。しかしどういう訳か、智慧の樹周辺だけはショベルカーでも掘り返せない。

あの樹は呪われている。そんなふうにささやかれた後、壊された土地と智慧の樹だけが残った。

金を貯めてボクがこの土地を買いあげ、森を再生したのはそれから14年後のことだった。あれから貧民街の区画整理が行われ、空も随分と透き通ったものになった。

リリン…リリン…智慧の樹が唄う。

「今日も会いに来たよ」胸に手を当て、敬礼する。
「今日は弟が淹れてくれた、ハーブティがとてもおいしくてね」

葉を点検し、水や肥料が必要であれば与え、弟が達者でやってる様子を必ず伝える。寝癖を指摘したら兄さんの方が滅茶苦茶な頭だよと、吹き出して笑ったこと。一緒に勉強してるうち、大学に合格したこと。今は新聞社で働いてること。

どういうわけか、智慧の樹に話してやらないといけない気がするのだ。

「弟はボクに縁談ばかり持ってくるんだ」
「あいつこそ幸せになって欲しいのにね」大袈裟に肩をすくめながら。

***エピローグ***

──ある佳人の独白──

貴方が思っているほど、わたしは清らかではないのです。

この身体はいいように蹂躙されていて、わたしの罪はそれを良しとしていたことです。日々の糧を得るために、この泥の底で息をするために。

──そして、きっと、ちょっとの快楽のために。
だって、そんなふうにでも考えてないと、惨めで惨めで、気が狂いそうだったから。

貴方の朴訥さがまぶしかった。そしてとてもこんな汚れた身体では、釣り合わないのだと。葉っぱだらけで跪く貴方の姿をみて、決心がつきました。

───わたしは、貴方が思っているほど、清らかな、身体では、ないのです。

来世で、今度は、わたしの頭についた、葉っぱを、貴方に取ってもらえることを夢見て。

あの日渡せなかった銀のリングは、ずっと白衣のポケットに入ったままだ。智慧の樹の根元に植えようとしたこともあった。しかしきっと一生ポケットに入れて暮らすのだろう。そしてそれでよいのだとも思う。

だってボクには生涯かけても守りたい、大切な約束があるのだ。

《ずっと待ってるから…!》
《ずっとずっと、待ってるから》

月がのぼるように、海の生まれ変わりのように、星の天鵞絨のように、たとえ彼女が西の涯てにいたとしても、届くよう、毎日──。

──リリン…リリン…。
こもれ日が、空が、緑が、大きく、大きく煌めいていた。もしも智慧の実が生ったなら、イブに齧られる前にボクが全部燃やしてしまおう。

《弟にやさしくしてくれて、ありがとうね》
どこからか、声が聴こえた気がした。

この美しい智慧の樹に誓いを立てる。
この森がエデンであり続けるように。
エルダ―ワイルダーが護るこの森を、ボクも一生護って暮らそう。

***
お話は、ここでおしまい。生涯を捧げ、独り身を貫き、祈り続けた、
ある不器用な植物学者の物語 。
─了─

*病床にて書き下ろし*
(c)mamisuke-ueki/2023
≪15葉目へ≫

noteの皆さん、お久しぶりです。お元気でしたでしょうか?わたしはいま一次創作のルートに戻る方法を模索する中、回り道として、いままで一度もやったことがなかった二次創作にトライしています。

ちなみにわたしの同人誌はいまのところネット通販は展開していません。郵便物を作る作業だけで向こう6年分ほどの命の炎を削ってしまいそうなので。

当面のところ、イベント会場に直接買いにきていただくしかない感じですが、わたしの作品をずっと追いかけて下さってる地方の方々には、なんとかして届けたいと思っています。

二次創作って、キャラ説明とかすっ飛ばしてラクに描けることが分かったのは収穫でしたが、わたしはもともと一次創作のひとなので、ラクさに慣れてしまわないように、二次創作は二次創作でも、ほぼ一次創作のものも書いておきたくなって、このお話が生まれました。

リヴリーアイランドにはリヴリークラッシック(ブラウザゲー)時代から随分癒されていて、今回のお話はニューリヴリー(スマホゲー)のガチャシリーズ。「本の上の知恵の島」に登場する「知恵の木」がビジュアルモデルとして使われています。


一次創作物として転用する場合、80字ほどリライトすればいいような分配になっていて、物語やキャラクターはすべてわたしが創ったので、わたしの世界観がお好きな読者さまにはリヴリー関係なしに喜んでいただけることと思います。

面白く書けました。作品への感想等いただけると今後も創作を続けることが出来ます。(ほんとうにお願いします!)

メイキングというか、わたしが小説を書くにあたってこだわって気を付けてることを語った実況ラジオも張っておきます。

あと、金澤詩人賞で、入選してました。