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全降伏=愛  降伏>幸福 に自我は気づかない

二極の中にいる私たちは、不思議なことにどちらかを良いとか悪いとかをジャッジする癖がある。
二極なのにどちらか という反応が起きやすい。
そのジャッジは自分の脳の中で起きている。
そしてそのジャッジに苦しむ。

他人と自分を区別しているそもそもは、生きてきた中で得てきたように思えている知識や一般常識と言われる概念からきている。
そこから「自分にマッチしているもの」を採用していて、それを「良い」と捉えている。
自分AIが自然に作られてきてしまった。

でもそれは自分が創ったわけではなく、脳が創ったこと。
脳に洗脳、コントロールされているとも言える。

22日(だったかな?)に放送されるカズレーザーさんの番組。タイトルは知らないけれど、そこでは「脳が先に判断していて、自分の意思は後付けである」 そのような内容の放送らしい。
これは脳科学の分野では常識であり、尊敬する養老孟司先生もそうおっしゃっている。
ただ、どうしても自分が決めて自分の意思で何かをしている感があるのが普通。でもよーーーく観察すると起きてから思考が働いているのも明らか。
なのにそれに自我は気づけない。

そして自分で判断しているという錯覚が起きる。
自分と自分でない何か。

二極(白か黒か的)なのだけど、そのどちらかに正解があるわけではない。
まあ、数学的な数値は別だけれど、良し悪しに関しては厳密に言うと正解はない。
「良い」を創り出すと、必然的に「良くない」「悪い」が同時に創られる。これは自然の摂理なので、どうにかしようと思ってもできない。

自己肯定感があることを良いこととすると、肯定感が低い人を良くないとジャッジすることは同時に起きる。
例えば、自己肯定感が低い人を良くないと言ってはいないと言いつつ、自己肯定感を高めましょうは、本当にそう思っているならば起きてこないのだ。

低くても高くてもどっちでもいいよ が本当にそう思っている人からの言葉。

高いとか低いとかに囚われた途端に、どちら側にも苦しみが起きてしまう。

全くそんなことを気にしていない人からすると、低いとか高いなんてことを意識すらしない。本当にどちらでなければならないという考えがないからだ。
その方がどれだけ幸せか。考えたらすぐわかる。

そういう人は良くないなんて発想が起きるとしたら、良し悪しに囚われているからだ。

そこに囚われていない人は、囚われている人が得たくて求めているそれそのもの。
自分が否定していることの中に求めているものがある。

二極に生きている反対側は二極ではないもの。もしくは無限ともいう。
そこに求めていることがあるということ。
本当に明らか。

例えば白黒はっきりを好む人は、ぼんやりしたことを好まないと思われる。
ただ、白黒を求める人が求めてやまないものはぼんやりの中にしかない。
白黒をつけたい人は、常に白黒がつきまとう。白黒つかないことに悩みや葛藤が起きる。

人間は悩みや葛藤がない状態に、幸せ感や心地よさを一瞬感じる。
ただし、その瞬間を求めるが故、それを追い求めることも続く。
一ミリも狂いなく、その人の脳内が現実として現れる。
何かを得よう、求めているのだから求め続ける。

そのどちらかでなくなると、求めないことが起きる。
求めないというより、「何もない」しかない。
求めるとか求めないではない無の感じ。

好きとか嫌いも同じ。
和食が好きだと、和食以外のものに抵抗が起きるかもしれない。
なんでも食べられると、食べるものに対して葛藤は起きない。
その時々の食べたいものはあるにせよ、嫌いなものを避けること自体が起きない。

幸せな状態を求め続ける。
これを誰もが無意識にやっている。
それがなくなると、無が残る。
何かに対しての特別な高揚感や絶望もないけれど、求めも求めないもないような。

ただあるがままでしかない。

そこはおそらく一般的にはつまらなく感じる。

だから高揚感を求めて、日々人は求め続ける。
高揚感、幸福感という探求を続けている。

悟りにたどり着いたら幸福なのではない。
ただの降伏。

考えて求めている先にあるのは考えないことだけだ。
とても残念なのだけど、そういうこと。

幸せ感もその逆も起こり続ける。
楽とか幸せだけにいられるとか、その状態であり続けていると思っている人がいるなら、それを得たと思っている誰かが個の中にいる。

その「誰か=個」の消滅が人は何より至福なのにもかかわらず・・。

個の消滅は死ではない。
自我の消滅なのだけれど、自我が全くなくなる人はこの世界のどこにもいないよということだ。
薄まることが降伏であり、何かを得ようとする行為が薄まるから、現実世界ではつまらないとジャッジされる。

そこで自我はそこにたどり着きましょう!という、無意識の方向転換をしてしまうという皮肉が起きることに個は気づけない。

そのまま のそこに全許容がある。
今、起きているそのままのこと。そのまま。
自我が湧き起こるその前のそれ。
それに抵抗できる誰かなど存在しない。

自我はそれに納得できないだろう。
完全降伏がそれ以前にそこにあるのだけど。

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