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取調べ

「もう一度聞くよ」
 
大きな手だった。握りしめたものすべてを粉々にしてしまいそうなそんな手をしている。僕の前には40代前後の男が座る。机に身を乗り出して、眉間にしわを寄せていた。

「久遠優樹と最後に何を話したんだ」

1、2、3。男の指が、机をリズミカルに叩く。早くなる鼓動が体の中を小刻みに揺らしていくようだった。

僕の目の前で久遠は死んだ。電車の光に吸い込まれるように美しく消えていったのだ。僕の記憶は曖昧だ。ただ、久遠が微かに微笑んでいたように見えた。すべての苦しみから解放されたような、そんな微笑みに思えていた。

取調室には、僕を取り囲むように男が三人。壁際に寄り添う男、もう一人は細身の若い男だった。若い男は座っている僕の周りをただ、ゆっくりと歩き回っている。親友の死を悲しむ暇さえ与えてはくれない。取調室の重たい空気が僕を飲み込んでいった。

「テストの話をしていました」

やっとの思いで出した言葉だった。目の前の男の指が止まる。

「僕は久遠に赤点取ったから追試だって。次取れないとやばいから勉強教えてくれっ…」

その時だ。男の大きな手が机を叩きのめした。耳の奥に嫌な音がこびりつく。僕は言葉を失った。

「何か知っているんじゃないのか!」

何かがおかしい。僕の手はあの時からずっと震えたままだった。久遠は自ら命を絶った。自殺だけではない。久遠には何か別の容疑がかけられている。壁に寄り添う男はただ、僕の顔をじっと見つめていた。若い男の足音が急に大きくなったような気がした。目の前の男の指が、また机を連打する。

「正直に話せ」

正直も何も、僕は嘘などついてない。学校帰りに駅のホームで久遠を見つけ、いつものように話をしていた。ただそれだけだった。

「久遠が何をしたっていうんですか」

「あ?」
 
僕の言葉が癇に障ったのか、目の前の男の表情が歪む。

「まるで久遠が何かの犯人みたいに、一体彼が何を…」

「殺人だよ!」

僕の言葉を遮るように若い男が叫んだ。

「殺人?」

目の前の男が大きな溜息をつく。

「どういうことですか」

「殺したんだ」

僕は耳を疑った。久遠が殺人?まさか、久遠は、そんなことをするような奴じゃない。正義感が強くて、明るくて、いつもみんなに囲まれていた。そんなこと、絶対にするわけがなかった。

「そんなの嘘だ」

僕の声が取調室に静かに響き渡る。壁際の男が初めて口を開いた。

「君は、彼の何を知っているっていうんだい?」

穏やかな口調だった。静かで心地よい声だ。

久遠とは、小学校からずっと一緒だった。久遠は僕と違って自然と人が集まる奴だった。冗談を言うわけでもないし、はしゃいでみんなを楽しませようとするようなやつではない。ただ、そこにいるだけで皆、久遠に惹かれていった。あの時の久遠の顔が頭の中をすっと駆け抜けていく。微笑んだように見えた彼は、一体、何を思っていたのだろう。僕は本当に久遠のことを知っていたのだろうか。僕はただ、俯くしかなかった。

「いいだろう。今日はここまでにしよう。おい、送って行ってやれ」

大きな手の男は、ご協力ありがとう、と心にもない言葉を口にした。

外は、雨だった。壁際にいた男が助手席のドアを開けた。僕は、小さく会釈して車に乗り込んだ。ワイパーが二回、三回と動く。男がようやく口を開いた。

「すまないね。あいつの子どもも、ちょうど殺された女の子くらいの年でね。少し感情的になってしまった」

僕は何も言わなかった。男は、少し待って言葉を続けた。

「私も、同じくらいの子どもがいるんだ。驚いただろう。こんな頭をしているが、あいつと俺は同世代なんだ。まぁ私の方は、二回目だけどな」

男が笑う。白髪の混じった髪のせいか、その男は大きな手をした男より老けて見えた。

「君も辛いだろう。何しろ、親友の死を目の当たりにしたんだから」

 その言葉に、何かの線が切れたように感じた。そうだ、もう久遠はこの世にはいない。さっきまで僕の横にいた彼は、もうこの世界にはいないのだ。涙が、頬をつたっていく。頬に流れる涙は、冬の寒さのせいか少しだけ暖かく感じた。 

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