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ぬくもりの彼方に②

前回までのお話
移住者を増やす町おこしプロジェクトの第1号として越してきた僕は、任期満了でこの町を去ると決めた。そんなある日、田中さんが倒れたと連絡が入り…

 診療所に着くと、エンジン音を聞いて蓮美さんが出迎えてくれた。
「田中のじいさんの容態は?」
「さっき救急車で市内の病院に」
 蓮美さんが、僕たちを診察室に通すと、渕田医院長が、バタバタと遅れて診察室に入ってきた。
「田中のじいさん、どうなんだ?」
「あぁ、あんまり良いとは言えんね」
 メガネをかけ直し、カルテを睨む渕田医院長は、父親の跡を継ぎ、20年前に市内の大きな病院からこの町に移り住んだと聞いた。腕は確かで、危ないとわかれば、すぐにここから40分ほどかかる市内の病院に送る。当初は、すぐに搬送しようとする淵田医院長のことを、どうせよそ者だからと不信感を抱く町民も多かったという。今では誰もが慕い、診療所はいつも賑やかだった。あの頃のことは、若い頃のいい思い出だと穏やかに話す渕田医院長は、60歳を過ぎた今も現役だ。昨年、看護師だった奥さんの弘子さんが亡くなり、医療を守るためだと市内から蓮美さんを呼んだのも渕田医院長だった。
「あれほど大きな病院に行けって紹介状も持たせてたんだけど、ほっとけって言ってねぇ。肺炎を拗らせてしまって。倒れた田中さんを渡辺くんが気が付かなかったら、今頃どうなっていたか」
 田中さんの性格は、誰もが知っている。頑固者で無口で誰の助けも借りようとしない。そんな田中さんは不器用な人だ。この町にきて初めての台風の日は、雨の中、僕の家に駆けつけ、不安なら俺の家にこいと言ってくれる、そんなあたたかい人でもあった。
 蓮美さんが診察室のドアを開けると、後ろから渡辺さんが顔を出した。
「ありがとう、渡辺くん!」
 中田さんが、渡辺さんの手を掴む。渡辺さんは、猫背のまま軽く会釈をしただけで、すぐに息子さんに連絡をして市内の病院に向かうと言った。
「農園は?一人で大変だろう」
「いえ」
 渡辺さんは、僕と同じ時期に田中さんのりんご農園の技術を学ぶためにこの町にやってきた。渡辺さんは40代独身で、長年勤めた農協を辞めてこの町にきた。あまり過去のことは話さない。どこか取っつきにくく、無口で、どこか田中さんによく似ていた。農業に打ち込む姿は、誰もが認めている。
「樹君かぁ、また喧嘩にならんといいが」
 渕田医院長がため息をついた。田中さんには、一人息子がおり、大学進学と同時にこの町を離れ、長年、市内で銀行マンとして働いている。男手一つで育てた息子との仲は、あまり良くないと聞いていた。最近、結婚して小さな子どももいるという。僕も息子の樹さんには、一度しか会ったことがない。
「申し訳ないが、渡辺くんと一緒に田中のじいさんのところに行ってやってくれねぇか。俺は今から会議もあるし、また明日にでも顔を出すけぇ」
 中田さんにお願いされ、僕は渡辺さんと一緒に市内の病院に向かうことにした。軽トラックに乗りこむと、タバコの匂いがした。ヘビースモーカーの渡辺さんは、タバコに火をつける。
「一本だけ」
「えぇ、どうぞ」
 どこか落ち着かないのか、渡辺さんは窓を開け、ゆっくりと煙を吐き出した。
「この町に残らないと決めたんだってな」
 渡辺さんは、見計らったように聞いた。僕は、はい、と返事をする。渡辺さんは、すぐに火を消すと、そうか、と言って、車を発進させた。

 病室に到着すると、田中さんは思ったよりも元気そうに見え、ホッとする。
「わざわざすまねぇな。大したことねぇっつたのに、淵田医院長が大げさにすっから」
 そう言いなが、田中さんは何度も咳き込んだ。背中をさする渡辺さんは、本当の親子のように見えた。
「父さん!」
 病室のドアが開く。スーツ姿の樹さんが慌てた様子で入ってきた。
「あれだけ言ったろう。もう歳なんだから無理するなって。俺のいうことを守らないからこんなことになるんだ」
「うるせぇやつだなぁ」
 樹さんは、僕と渡辺さんの姿に気がつくと、冷静さを装うように、メガネを上げた。
「こうなったら、あの話、進めさせてもらうからな」
 田中さんの顔が曇る。
「俺はあの町を離れる気はない」
「どうしてだよ」
「お前は、あの土地が欲しいだけだろう」
「バカなことを言うな。俺は父さんを心配して!」
 田中さんが咳き込むのを見て、渡辺さんが、今日はこの辺りで、と言った。
「僕は、あなたのことも認めていません。父さんがなんと言っているか知りませんが、あなたにあの家を譲るなんて、僕は認めませんから」
 枕が飛んだ。田中さんは、大きな声で、出ていけ、と言った。樹さんは、床に落ちた枕を拾うと、僕に手渡して、よろしくお願いします、と頭を下げて出ていった。
「すまない。バカ息子で」
 田中さんの言葉に渡辺さんは、何も言わず頭を横にふった。

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