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リミット
「わかりました!」
大量のコピーを頼まれ、笑顔で引き受けてみても、あまり効果がない。入社して4年目。今年、大学を卒業したばかりの桃香が入社して、より一層、私のポジションは微妙になった。仕事で信頼されているわけでもなければ、桃香のように可愛がられるわけでもない。毎日、満員電車に揺られながら、私は、私を押し殺していた。
「死ねばいいのに」
フォロワー14人のTwitterに呟いても、なんの意味もない。私は、呟いてすぐに、コピー機に向った。
会議室を覗くと奥では、加藤さんが上司に頭を下げている。加藤さんは、私より一つ上の先輩で、最近は色々と仕事を任せられているようだった。有望な社員ということなのだろう、遅くまでよく一人で残業している姿を見かける。男性には男性の、見えない縦社会みたいなものがあって、加藤さんも苦労しているように見えた。
「あれ?吉村じゃない?」
駅で声をかけてきたのは、大学で同じゼミだった田嶋だった。スーツ姿の田嶋は、大学時代のラフな感じとは違った大人の雰囲気があった。
「へぇ、あそこで働いてるんだ。すごいね」
すごいも何も、私がやっていることは、ほとんど雑用のようなものだ。頼まれた資料をまとめ、コーヒーと言われれば会議室に運ぶ。替えなんていくらでもきく。
「そっちは?」
「あぁ、俺は営業」
「大変そうだね」
「まぁ、大分慣れてはきたけどね。あ、ごめん時間だ」
田嶋は私に手を振ると、会社の後輩だろうか、眼鏡をかけた猫背の男の元へと向っていった。手を振る田嶋の薬指には指輪があった。私は、久しぶりの再会の喜びと同時に、虚しさを感じていた。と、スマホを覗くと、上司からコピーが間違っていたというお叱りのLINEが入っていた。コピー一つ取れないのか、そういえばきっとパワハラになるのを分かっているのだろう。次からはもう少しメモを取るなどして気をつけてもらえると助かるという、とても中途半端な言い回しの叱り方だった。
「コピーくらい自分でやれや、クソジジィ」
私は、田嶋の結婚を知った虚しさを、上司に八つ当たりしていた。
「会社なんてなくなればいい」
過激的なツイートをして、我に返る。私は、慌ててすぐに取り消した。
家に帰る途中、スマホの充電器を会社に置いてきたことに気が付いた。真っ直ぐ家に帰ったところで、することもない。残りの電源が少なくなっていることを確認すると、私は取りに戻ることにした。
守衛に挨拶をして、オフィスに向かう。オフィスでは、また、加藤さんが一人、照明を落とした薄暗い中で残業をしていた。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ、戻ってきたんだ」
「何やってるんですか?」
「え?今からここを爆破するんだけど」
そういうと、加藤さんは立ち上がり、手に持ったペットボトルにジッポのようなものを近づける
「ちょっと待って!何を考えてるんですか」
「馬鹿げてると思わないか。毎日毎日、こんなところで。何の意味があるって言うんだよ」
「分かったから、落ち着いて。とりあえず、そのペットボトルを置いて」
「ほら、置いたよ」
加藤さんは、上司の机にペットボトルを置いた。
「吉村さんも、ここなくなれって言ってたじゃない。Twitter結構、過激なこと書くんだね」
見られた。私は、驚きで言葉を失った。
「叶えてあげるよ。ちょうど僕も同じこと思ってたところだし」
「馬鹿なことを言わないでください。そんなことしたら、どうなるか……」
「どうもならないよ。僕の代わりなんていくらでもいるし。ここには、君と僕しかいない。そんなに大きな被害はないし。その辺りは僕だって計算してるから安心して」
安心してと言われても、この人は一体何を考えているのか。私はスマホを取り出そうとして、電源がなくなっていることに気が付いた。
「通報しようとしても無駄だよ。その前に終わっちゃうから」
「ちょっと!本当に、やめて!」
「何でだよ、矛盾してるじゃん。こんな会社なくなればいいって言ってたじゃない?」
「そうだけど、でも、こんなこと、ダメです」
「無茶苦茶だなぁ」
加藤さんは、笑っている。この人は本気だ。
「そんなことやるんだったら、上司に言ってやればいいじゃないですか」
「言えないよ。だって上司が悪いわけじゃないでしょ」
確かに、上司はパワハラなんてしていないし、どう考えても非はない。
「こんなのただの八つ当たりです」
「八つ当たりかぁ。痛いとこつくね。でも、そういうことしたくなる瞬間ってない?あるでしょう?そんなに怒らないでよ。僕は、吉村さんも同じこと思っていると思ったら心強くなったんだから。じゃ、いくよ」
そういうと、加藤さんは、勢いよくペットボトルの蓋を開けた。
「やめて!」
シュワーっ。
私は、呆気に取られる。ボトルから吹き出す泡を見ながら、加藤さんがケラケラと笑ていた。
「メントスコーラって……。何年前のYouTuberみたいなことしてるんですか!」
「でも、スッキリしただろう?明日きたら、べっとりしてるんだ。一番イラってくるやつだよ」
「あぁ、本当に!こんなヤツになっちゃいけない。本当にそう思います」
「失礼なヤツだな」
私は、座りこんだ。
「どうしたんですか!」
振り向くと、私の声を聞きつけたのか、そこには守衛が、険しい顔をして立っていた。
「ヤベェ、見つかった」
私は、天を仰いだ。
この後、加藤さんと、綺麗に片付けをするから見逃してくれと何度も頭を下げて頼み込んだ。守衛も、何も被害がないことを確認すると、ため息をついて今回だけはお遊びの延長だったということで見逃します、と了承してくれた。
次の日、加藤さんは何事もなかったように出勤していた。上司が、引き出しを触るたびに、何やら気にしている様子だったが、加藤さんは何食わぬ顔で、それを見て笑っている。
あの日の帰り道、リミットを越える前の悪ふざけだったと、加藤さんは言った。
「付き合ってくれてありがとう」
そういった彼の目は、涙目だった。
きっと、私も加藤さんと同じだ。誰かに必要とされたい。ただ、それだけなんだ。
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