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落書き
「これで何回目?」
嫌な言い方をした。28歳で店長を任された私は、サービス残業が重なり、イラついていた。
「すみません」
発注ミスをしたバイトのツグミは、不満気な顔をして頭を下げた。私は、その態度に苛立ちを隠せなかった。
「店長!万引きです」
私は、不満気なツグミを置いて、呼びに来たバイトと一緒に急いで店内へと向った。フォローをすればよかった。そう思ったのは、後のことだ。
「あの人です!」
私は、咄嗟に、バイトが指さした少年に向かって走り出し、腕を掴もうと手を伸ばした。しかし、その少年は一瞬だけ振り向くと、すぐに駅の方へ走り去っていった。
「やられましたね」
取られたのは、小さなフィギュアのようなキーホルダーだ。300円ほどの商品なのに、彼はなぜそれを盗んでしまったのだろうか。私は、報告書を記入しながら、そんなことを考えていた。
職場は、駅前にある小さな雑貨店で、全国チェーンのお店だ。半年前、産休に入る前任の店長の薦めもあって、社員登用の試験を受けて店長になった。この仕事は嫌いではなかったし、好きな雑貨に囲まれる毎日は悪くはない。結婚の予定もない私にとって、正社員になれば安定する、という言葉を聞いた時、迷う余地はないような気がした。
店長の仕事と言っても、チェーン店だけあって、商品も接客も、売り場のレイアウトも全て本部からの指示で決まっている。ある程度、業務を知れば誰でも一通り店を回せるようになっていた。但し、何より一番の問題は“人を扱う”ということだった。
「私、バイト辞めます」
次の日、出勤早々、ツグミはみんなの前で見せつけるように言った。私への仕返しだろう。古株で業務を把握しているツグミが抜ければ、困ることくらい誰だってわかっていることだった。
私には向いていない。楽しかった仕事も、こういうことが起きる度に苦痛になる。夜遅くに一人で店を閉めていると、私は何のためにここにいるのか、時々分からなくなっていった。
コンビニで缶ビールを買い、川辺に座る。らしくない行動をしたくなった私は、悪いことをしている気分に浸りたくなった。完璧でありたいなんて思わない。ただ、自分であることを肯定してほしい。そんな気持ちになっていた。
店から駅に向かう人々は、互いのことに関心なんてない。ただの景色のように行き交っていく。それを見つめる度に、私も風景の一部のような気がして、自分を見失っていくような感じがした。
ツグミが辞めた後のことを考えると、頭が痛い。頭を下げて残ってもらっても、店長としての立場は守れないだろう。間違ったことはしていないはずなのに、消化できないイライラが積み重なっていく。
立ち上がろうとして、人の気配を感じた。目を凝らして見ると、パーカーを被った人影が、橋の柱に向かって何やら振り回していた。これはやばいところに出くわした。私は、すぐに立ち去ろうとして、思わずビール缶を落としてしまった。
カラン。
その音に気が付き、パーカーを被った者が、振り返る。
「あっ」
その顔は、今日、万引きで逃げられたあの少年だった。少年は、私に気がつくと、一目散に走り去っていった。壁には、描きかけだろうか、無造作にかけられたスプレーが何重にも重なり描かれていた。それは、どこか人を惹きつける魅力があった。
次の日、ツグミは無断欠勤した。ツグミを慕う他のバイトも、皆、態度がぎこちない。面倒なことになった。人間関係を得意としない私は、こんな辛い役割から、今にも逃げ出してしまいたくなっていた。
アルコールが飲みたかったわけではない。私は、今日もあの川辺にいた。缶ビールを片手に、あの少年を探していたのかもしれない。
しばらくすると少年は、現れた。鞄からスプレーを取り出すと、一気に撒き散らしていく。
私は、缶ビールを置き、ゆっくりと近づいた。昨日の絵を見たくなったのだ。少年は、私には気づかないのか、振り向きもしない。
私は、草むらに落ちているスプレーを手に取った。
「それ、吹きかけたら、もう戻れないよ」
すると、少年が言った。わかっている。このスプレーを撒き散らしてしまったら、きっと私はもう戻れない。酔いが回っていたわけではない。しかし、後戻りはできない。というか、したくなかったのかも知れない。私は全てを壊したくなった。
深呼吸をして、スプレーを一気に吹きかける。少年も、その姿を黙って見ると、何も言わずにまた、壁に吹きかけ続けた。
大きなキャンパスに、思いを全てぶち撒けるような、そんな爽快感があった。後のことなんてどうでもいい。私は、思う存分、楽しんでいた。
全てのスプレーを使い切ると、倒れ込むように座り込む。少年も、スプレーを使い切ると、しゃがみ込んでいた。
「君、何でこんなことしているの?」
「さぁ。多分、あんたと同じような理由だよ」
「こんなこと、悪いことだよ」
「それ、あんたが言う?」
「私も捕まるかな」
「怖いの?」
「そうだね。君も怖くないの?」
「どうかな」
そう言った後、少年は続けた。
「……、どこか捕まって終わりにしたい自分もいるんだ」
その言葉は、少年の本心のような気がした。少年は、スプレー缶を鞄に入れると、このことは誰にも言わないよ、と言って帰っていった。
次の日の朝、私は、昨日のことを思い出す。なんてことをしてしまったのだろう。後悔しても、取り返しがつかなかった。
「おはようございます」
ツグミが出勤してきた。ふと、駅前を見つめると、人だかりが見える。
「あの少年、捕まったみたいですよ。コンビニでチロルチョコ万引きしたって」
私は、思わず店外に出た。パトカーに乗り込む少年を見つめる。少年は、私に気が付いたのか、フッと笑みを浮かべていた。
「たったそれだけのことで捕まるなんて、バカですよね」
ツグミはそう言ったが、私には、彼がホッとしているように見えた。
「店長、開店します」
駅前の人だかりは、あっという間に消えていく。まるで少年なんて、この世界の中にはいなかったかのように。私もまた、日常の中へと戻っていく。彼の想いは、きっと誰も知らない。
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