見出し画像

サクラノシノ(前編)

 間違いを犯した僕はまた、同じ過ちを犯そうとしていた。ためらうことはない。感情はもうあの時に捨ててしまったのだから。

「よく、笑えるよな」
 その一言に、周りの空気が変わった。もう5年も前のことなのに、忘れた頃にこうやってあの頃に引き戻される。せっかくできた友人たちは、皆、凍りついた様に顔を見合わせていた。
「そいつ、三隅川中学卒業だぞ」
 追い討ちをかけるようなその言葉は、人の好奇心と軽蔑を生む。作り笑いをする者は距離をとり、ゴシップに飛び付くやつだけが、知りたげな顔をした。もう慣れたと言えばそれまでだ。立ち上がって講義室を出る僕を追いかける者なんていない。僕は、ここでも一人でいることを選ぶしかなかった。

 屋上のドアを開けると、青い空に通りすぎるような冬のにおいがした。冷え込む風に、思わず頭にフードを被せた。
「野島廉」
 名前を呼ぶ声に振り返る。そこには同じゼミの林八重がいた。
「君、なんで何もいわないの?」
 八重は、風で揺れる短めのスカートを気にもせず、堂々と近づいてきた。
 「僕が殺しました。そう言えばいいじゃない」   
 面白がっているのか、八重の挑発的な言葉は僕を苛つかせた。全てを知っているかのように見つめる眼差しは、僕をいっそう孤独にする。ここなら違う自分になれる。そう思っていたのに、あの頃の僕は、まだ許されてはいないようだ。

「三隅川中学」
 今は、新都深町中学校という。僕の卒業した学校だ。創立35周年の節目に改名されたが、名前が変わったのは、あの事件のせいだと誰もが分かっていた。
「3人が、同じ日に校舎から飛び降りた」
 マインドコントロールされていただとか、集団パニックだとか、世間は好き勝手に騒ぎ立てた。しかし、どれも真実ではない。あの場にいた僕だけが真実を知っていた。

 七海飛鳥。彼女は、飛び降りた一人だ。七海は、女子生徒の中でも一際目立つ存在だった。地元紙で読者モデルをしているとか、次は歌を始めるとか、いわゆる一軍と言われる部類で、七瀬を中心としてクラスは成り立っていた。世間が騒ぎ立てたように、七海が主犯格でいじめていたとか、支配していたとかそんなことはない。しかし、彼女が死んでそれを否定するものがいなかったのも事実だ。七海が主犯格であれば都合がいい。僕は今でもそう思っている。

 2年の春、高橋佐江が僕のクラスに転入してきた。高橋は七海とは違い、どこか大人びた雰囲気と知的な魅力を持ち合わせていた。この高橋の転入で、クラスのバランスが少しずつ崩れていった。七海を中心として回っていた女子グループは、いつしか高橋を中心にして回るようになった。中心グループにいない者も、この見えないバランスの変化を微妙に察知していた。

 七海と高橋の関係が表だってぎくしゃくしだしたのは、高橋が転入して3ヶ月後のちょうど文化祭の辺りだ。何者かによって破られた一枚のポスターが、不穏な空気を生みだした。ポスターをデザインしたのは美術部の高橋で、破られたそれは黒板に貼り付けられていた。クラスはざわつき、一気に流れは、誰が犯人なのかということだけにフォーカスされていった。
 きっと七海がやったのだろう。いつしか、そんな噂が流れていった。それは、高橋によって七海の地位が陥落し、ふつふつと溜まっていた女子たちのフラストレーションが爆発したようにも思えた。
 この日を境に、クラスでは、毎日のように些細な嫌がらせのようなものが続いた。ある時は、教室の荷物が何者かに荒らされ、ある時はカーテンが一枚だけ破られていた。誰が誰に向けたものなのか。まだその時は、皆、七海を疑いながらも半信半疑だった。
の ある日、七海が載った地域のファッション雑誌が切り刻まれて教卓の上に乗せられる事件が起きた。この日を境に、これは高橋の報復であると察した。高橋と七海の戦いで有ることを、誰もが確信したのだ。散乱した荷物は高橋のもので、切り刻まれたカーテンは七海の机に近かった。雑誌を切り刻んだのは、高橋の反撃に違いない。クラスはどちら側につくか、そんな空気になっていた。

 担任の桂は、まだ教師に成り立てで、このぎくしゃくした流れを変えることは難しく、体育教師でありながらも、弱音を吐くようになり、いつしか学校に顔を出さなくなった。副担任の鏡は、定年前ということもあり、見て見ぬふりをするようなそんな奴だった。
 そんな時に、ある写真が二人を追いつめることになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?