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藤久家の問題

強制退去。少しだけ肌寒さが残る二月の末、俺は突然、実家に戻されることになった。正確に言うと、戻されることになったのではなく、戻るしかなくなった。好きでもないファミレスの厨房でひたすら真面目にアルバイトして、それなりの毎日を過ごしていたこの俺に、突然襲いかかった悲劇だ。

手持ちは三千円。もちろん貯金もないし、借りるあてもない。こうなると俺は、金村大地に電話をするしかなくなった。

「お電話ありがとうございます。金村畳店でございます」

このウソ臭い声の主が、金村大地だ。きっと俺の電話を待ちわびていたのだろう。俺は機嫌が悪かった。深夜でアルバイトを終えるはずが、交代する奴がぶっちぎったせいで早朝まで、ファミレスのホールを一人でまわした。誰か褒めてくれと言いたいところだが、それは我慢してやることにする。それよりも、これはなんだ。帰ってみたら、勝手に部屋の荷物がトラックに運び込まれている。何度も言うが、俺は機嫌が悪いのだ。もちろん、抵抗した。それは普通の反応だろう。アルバイトの若者に文句だって言ってやった。しかし、引っ越し屋の兄ちゃんに、「許可はもらっていますから」と、堂々と契約書を出されたら、あきらめるしかなかった。

「俺だけど」
「どちらさまで?」
「俺だよ」
「で、どちらさまで?」
大地はいつもこうだ。俺が、頼るのはこいつしかいないことを知っていて、こういう態度をとる奴だ。
「だから、藤久翔太だよ!」
大地は、少しだけ間を置いて、
「おぉ、翔太。久しぶり」
と、わざとらしく喜んだ。
「お前だろ!突然、何だよこれ!アパートに帰ったら引っ越し屋が来て…」
「あぁ、そうか、そうか」
気持ちのこもっていない返事に、憎たらしい大地の笑い顔が浮かんだ。大地は、きっとこの状況を楽しんでいる。間違いない。
「俺は帰らないからな!」
「あ、そう」
そう言うと大地は、電話を切ろうとした。
「おい、ちょっと待った!」
「金なら貸さねーよ」
 俺の考えなんて、お見通しだと言わんばかりに、大地は、「二代目社長は、忙しいんだぞ」と、電話を切った。
「クソ!」
頼る奴がこいつしかいない自分が情けなかった。

俺が実家を出たのが4年前。大学進学と同時に上京した。二度と帰らないと決めて進学したのは、金ばかりかかる三流大学だった。それでも実家から離れられるならそれでよかった。

キャンパスライフは、俺が描いていた華々しい生活とは程遠いもので、一通り遊びとバイトに明け暮れると、平凡な毎日に飽き飽きしていた。たまには、こんな人生でいいのだろうか、と真面目に反省したりもして、サークルや資格なんぞに手を出してみるが、結局、人はすぐに変われるわけもなく、引きこもりに近い生活を送っていた。その結果、単位が取れず、あえなく留年。三流大学には用はない、と大学を辞めることにした。

唯一の友人である大地は、俺がバイトに明け暮れている間に、畳屋の二代目を継ぎ、地位を築きあげていた。大地は、高校卒業と同時に、実家の畳屋に就職した。今や全国展開をはじめようとするやり手の二代目社長である。飲食店やインテリア業界など幅広く営業をかけ、金を荒稼ぎしていた。
「時は金なりよ」
古臭い言葉を平気で話すような胡散臭さがあり、いつの間にか成金野郎になっていた。

「いい機会じゃないか」
と、俺は、自分に言い聞かせてみた。実家も、大地の家なんか比べ物にならないくらい大きな家だ。戦後代々続く和菓子店で、街では隠れた名店として、古くからのお客も定着している、由緒ある和菓子屋なのだ。そして、俺は、一応、長男でもある。あと取り息子というやつだ。やることがないのだから、実家に戻り、事業を継ぐのも、悪くない。もうすぐ24歳になる。この時代、帰る場所があるというだけで、恵まれている。だが、プラスに物事を考えることだけが取柄の俺でも、意地はある。

「和菓子屋なんて継ぎたくない」
そう言って、家をでた。やはり、今さら実家には帰れない。
「手持ち三千円か」
バス代には十分な金額だった。
「あぁ、面倒臭い」
何も考えずに、このままバスに乗ってしまおうか。昔から、考えることが嫌いだった。すると、スマホにメッセージが届く。ご丁寧に、実家に帰るバスの時刻表だ。送りつけてきたのは、大地だ。ベストのタイミングで俺を追い詰める。そうだ、こいつのせいにして帰ろう。俺は、素直にバス乗り場へと向かうことにした。俺の人生は、これからどうなるのか。どうにでもなれ、そう思いながらも、どこか逃げるのはここまでだ、と決意を固めていた。

バスがやってくる。このバスに乗れば何かが変わるような気がした。

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