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思いやり急便(中編)


バイクを止め、辺りを見渡す。一面の田んぼに、のどかな風景が広がっていた。大きく深呼吸すると、僕の中にある毒のようなものが、一気に洗い流されていくようだった。そのくらい空気は澄んでいた。

畑の中に、何やら茶色の麦わら帽子が小さく揺れていた。よく見ると、座り込んで畑いじりをする70代くらいの女性がいた。
「あの!」
僕の声に気がつくと、その女性はゆっくり立ち上がった。
「杉村留子さんですか?」
少し驚いたような顔をして、女は頷くと、お日様のような笑顔で僕を見た。
「どちら様?」
僕は、慌てて畑に足を入れようとすると、留子さんが、その白いシューズじゃ汚れちゃう、と急いでこちらに向かって歩いてくれた。

「あの、これ」
 僕は、時計の入った箱を手渡した。
「あら、まぁ」
差出人を見て、留子さんはまた、驚いたような顔をした。中身を開けると、お日様のような顔をして笑う。僕は、その笑顔に目を逸らすことしかできなかった。
「こんなの送りつけて、吾郎は何を企んでるのかしら」
送り主の名は、七之助と書かれている。吾郎だとすぐに見破った留子さんは、何だかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。

「それ、僕が依頼したんです」
 店を出ようとした時、店員の男はそう言った。
「え?」
「ちょっと、いいですか」
男は、店じまいをすると、僕を奥へと案内した。
「ここ、本当は、祖母の店でね」
乱雑に重ね置かれた段ボールには、レトロな雑貨たちが顔を覗かせている。
「本当は、直接、渡せばいいんだけど。色々あってね。もう10年近く、顔を合わせてないよ」
「10年も」
「あぁ」
「僕は、父子家庭で育って、父が帰ってくるまでは、ここで一緒に祖母と店番をしてたんだ。高校生まで、それが続いて。でも、ある日、大喧嘩をして。僕はそのまま、この店に顔をださなくなった」
男は、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出すと、僕に手渡した。
「大人になって、祖母が店を閉めるって父から聞いて。父は忙しい人でね。父と暮らす家よりも僕にとってこの店がふるさとのように思えて。大学卒業して就職した仕事もやめて、ここを継ぐことにしたんだ」
「そうだったんですね」
「祖母は、昔からこういった雑貨が好きで」
そういうと、男は、懐かしそうに段ボールの中からオルゴールを取り出した。
「自分で、渡さないのですか」
余計なことを口走ってしまった。そう思った時には、男の顔色がすでに変わっていた。男は、オルゴールから手を放した。
「それができれば、君なんかに頼まないよ」
男は、語尾を少し強めてそう言うと、我に返ったように、にこやかな顔をした。

「ほら、これでも飲んで」
留子さんは、湧水で冷やしていたペットボトルのお茶をバケツから取り出して手渡した。
「今日ね、誕生日なのよ、私の。七之助は、私の夫。もう大分前に亡くなって。その時からこうやって贈られてきてね」
留子さんは、照れくさそうな表情をする。
「吾郎、元気にしていましたか?」
送り主のことは、言えない。それが、この仕事のルールだ。何も言わない僕に、留子さんは、察したようだった。
「ありがとうね、こんなところまで」
畑に戻ろうとする留子さんを、僕は咄嗟に呼び止めていた。
「直接会えない理由、何かあるんですか」
余計なお世話だろう。立ち止まった留子さんの笑顔は、吾郎と同じでどこか寂しげに見えた。

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