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脱・後悔のない決断

私は何か決断をするときに「後悔のない決断をしたい」と思っていた。
「あの時こうしていればよかった、あの時こうしていなければ」という後悔が湧いてくると、どうしようもない苦しさに襲われることがあって、その苦しさを味わいたくないからだと思う。

ここ数年、大きな決断を迫られたことが何度かあった。

このnote内での「決断を迫られた」というのは、誰かに迫られたという意味ではなく、「人生」に決断を迫られた時を指す。V.Eフランクルの言葉で言えば、「人生は私になにを期待しているか」を問われている状態のこと。

それは、ものごとの考えかたを一八〇度転回することです。その転回を遂行してからはもう、「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。

『それでも人生にイエスと言う』

私が言葉を知ったのは高校生の時。
「なんで私は生きているんだろう」と悶々としていると、この本に出会った。当時からこの言葉を思い出すと、なぜだか気持ちが楽になった。

話を戻すと、ここ数年で決断を迫られた時には、先が見えずに不安で、どの選択肢にも落とし穴がありそうで、むしろこのままの方がいいのでは?と思うこともある。

その時に湧いてくるのが、「後悔のない決断をしたい」という気持ちだった。

後悔のない決断をしようとすると、ものすごくパワーを使う。
今の自分の気持ちだけでなく、見えるはずのない未来の自分の気持ちも考えて、後悔しないような決断を選ぼうとするのだから、当然っちゃ当然。
1週間後の自分がお昼になにを食べたいのかを必死に考えたところで答えは出ない。
未来の自分がその決断を後悔しない選択をしようとしたって、無理なんだよな。分かってるけど考えちゃう。

キャリアについての勉強をする中で、人生の中で決断を迫られることは、これからもたくさんあることを再認識した。その時にどうやって決断をしたらいいのか不安になって、なにを基準に決断したらいいのかを考えていた。

今の結論は、
未来の自分が後悔しない決断をしようとすることは難しいけれど、
「今の自分が納得する決断」をすること。

自分が置かれている環境、心身の体調、ゆずれない価値観、守りたいもの、、
自分自身のいろんな面の「状態」を把握して(いわゆる自己分析)、その状態たちから「その決断なら納得!」って言われるような決断をしていきたいというのが、今の私の決断の基準。

未来の自分には出会えないけど、今の自分には、ちゃんと出会えている。
だから、今の自分に「どの選択肢なら納得できそう?」と聞いてみる。

フランクル曰く、私たちは人生に問いを投げられていて、その問いに答え続ける存在らしい。
問いに答えるのは未来の自分ではなくて、今の自分。今の自分が納得できる答えを持って、人生に応答していく(行動していく)ことが大事なんだと思う。

今、また私は大きな決断を迫られている。
多分人生に問われているのは、「本当に大事にしたいものってなに?」とか、「これからどうやって働きたい?」とか、「誰ととんな関係を築いていきたい?」とか。問うことが重いよ人生〜〜という気持ち。

重いけど、今の私が納得する選択を選びたい。
考え抜いて、なんとなく見えてきたら、
あとは「よし!」と一歩目を踏み出すだけだ。


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