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私のふるさと

 私の両親は長野県出身で、各々進学・就職の為東京に出てきて東京で知り合い結婚した。そして父の転勤先の栃木県で私が産まれた。その三年後また父の転勤で千葉県に引っ越した。 
 母が転勤ばかりだと転校が心配だと言い、マイホームを持つと転勤率が低くなるということで同じ県内にマイホームを持ち、幼稚園卒園と同時に引っ越した。以来長いことずっとその家に住んでいた。
 私はいつも思うことがある。「私は何県人なのだろう?」と。
 血筋は完全なる長野県。生まれは栃木県。育ちは千葉県。
 悩む。いつも出身地を聞かれると、「栃木県宇都宮市です」と答える。三つ子の魂百までというから間違ってはいないはずだ。しかしみんなに「餃子のところだ!」という反応をいただくも、私は三歳だった為覚えていないし両親に聞いても「餃子の町だったとは知らなかった」という答えが返ってきていた。だから私はもっと自分の産まれた所について知りたいと思い、昨年栃木県宇都宮市を旅した。
 もう両親共に他界しているのだけれど、産まれた病院の名前や住んでいたところの地名、名前をつけてもらった神社などをよく聞かされていたので、自分のルーツを探しに行った。産まれた病院と近くの神社、そして名前をつけていただいた神社へと足を運んだ。
 周りの人たちは口を揃えて「そういう話を生前教えてくれていたご両親はよい親御さんだね」と言ってくれた。確かにそうだと思うと同時にそのことには本当に感謝している。宝物情報だ。
 栃木の人はみんな優しかった。空気の流れも柔らかく感じた。車のマナーもすごく良くて驚いた。こんなに優しくて穏やかなところで産まれ、三歳まで過ごしていたんだなと思うととても嬉しかった。
 私にはもう実家もないし、帰る場所や待っていてくれる人がいる場所もないけれど、年に一度は栃木へ帰りたい。それくらい私にとってふるさとであり、大切な想い出がいっぱい詰まった場所だと心から思う旅だった。

 もちろん長野も千葉もとても良いところ。私にとって長野も栃木も千葉も全て愛すべき大切なふるさと。

 
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