葬送のフリーレンで感じた  決断の話 【エッセイ】

葬送のフリーレンが大好きだぁぁ!

みたいな言葉からはじめさせていただく
僕は自分が好きなものを好きだという理由だけで発信できるようなタイプではない
そんな面倒くさいやつなので好きなアニメはたくさんあるのだがそれを発信するにはなんらかの理由付けをしなくてはいけない

つまり先の発言するにあった理由は
葬送のフリーレン アニメ 
第25話 致命的な隙
より抜粋

ゼーリエとフリーレンの散歩をするところのセリフ

「人間には寿命がある
 私たちより死に近い場所にいるんだ」

「人生には重大な決断をしなければならないとき        
 がいくつもあるが、あの子たちはそれを先送り  
 にはできないんだ」

「私たちはそれを100年後にやっても200年後に  
 やってもいい
 1000年ほったらかしにしたところでなんの支
 障もない
 私たちの時間は永遠に近いのだから」

というセリフを聞いたときに僕は別のセリフを想起した

めだかボックス 第121箱
「人を一人殺しておいて」
より抜粋

「人はみんな
 自分は死なないと
 思っている

 いつか命が
 尽きることを
 頭では理解していても

 それは今日や明日じゃないと
 思っている

 だけど死ぬ
 今日も死ぬし明日も死ぬ

 事件で事故で
 病で偶然で
 寿命で不注意で
 裏切りで信条で
 愚かさで賢さで

 いつだって
 みんな死んでいく

 そんな中
 女の子のために
 死ねる僕は

 残念ながら
 幸せだ。」

球磨川禊のセリフがあるのだけれど

後半のセリフあまり関係ないが
人はみんな自分が死なないと思っている
この言葉が図星をつかれたように感じてこの言葉が好きなのだが

ゼーリエのセリフと合わせて考えると
僕たちは自分が死なないと思っている
だから決断を先送りにしてもいいと
思えるんじゃないかと
そう思ったのだ


ここまで読んで頂きありがとうございます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?