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自分の価値観を形成してきたもの、こと、とは。

あなたの思考は何によってつくられていきましたか?
今日は私の価値観を形成してきたものについて、
具体的に考えてみることとします。

ザザーっとね。備忘録的なものとして。
私は自身は
人って記憶と感情を頼りにして生きてる。
と思っているので思ったことを紡いでる。

普通でない人間

私は「人間とは何か」なんていうことを「障がいとは何か」なんていうことを
問いただすことも、疑うこともなく
当たり前のように地球上で息をして今日も明日も人間として生きていく(いる)
noteの初投稿は私自身の身体のことを
長々と雑然と、混沌と、平穏と、矛盾と、諦めと、渇望と、苛立ちと、幸福と、
昇天と、この星のどこにでもあるありふれた感情とともに、紡いでいたのだ。

家族の存在

個性的でマイノリティのある人間(私)のことを、家族だから当たり前だけども
なにひとつ偏見せず健常者とおんなじような扱いで接して愛情を注いでくれた。
特に兄の存在は昔も今も、とてつもなく大きい。
お互いの歳は、年子となるために離れてはいない。だからこそでもあるのか…
様々な影響をほんの少しは受けたような気がする。
私が中学生へと上がる頃、滅多に気が合わない音楽も影響された覚えがある。
唯一本当に唯一、互いに気が合った音楽が邦ロック。
のちに長々と想いを紡ぐがアーティストのその名はRADWIMPSさんである。

RADWIMPS

個性的でマイノリティのある自分にとって、野田 洋次郎さんが言葉を紡いでは
RADWIMPSとして届けてくれる哲学的な詩は救世主である。昔も今も変わらず。
「オーダーメイド」はいつも私を救ってくれていた。
「人間」という生き物を様々な角度、視点から描いて唄い魅せてくれる彼らから
得たものから価値観は大きく形成されていくんだろう。

普段から周りの友達とは変わった子として見られることに嫌気がさしていた頃に
学校の図書室で一際輝いている一冊の本を見つけたんだ。
野田 洋次郎さんが、
一日一日の日記のようなものですが...。と楽曲作りの想いだったり
過去の自分の考え方などを書き下ろしたエッセイ「ラリルレ論」。
数あるページの1ページの中にこんな素敵な言葉が記載されている。

ずっと10年前、15年前くらいから僕は思っていたんですけど、やっぱ世界は
優しい人でできていると思ってます。ケーキが残り2個しかないところで3人
いて、絶対俺は食べるっていう人が3人いたらそこはもう戦争が起きるわけで、
「いいよ、これ食べていいよじゃあ2人」っていうその優しい人がいるおかげで
この世界は成り立ってるなと僕はずっと思っていて、なんかそんな優しい人が
これからも生き続けられるような世界であって欲しいなと心から願っています。

人の言葉を、1を、10にも20にも30にも受け取ってしまうようなそういう繊細な
魂というか優しい心を生まれ持っている私にはとても響き、感銘を受けたのだ。

SWAY - Blue

私には音楽を聴く環境が、母のお腹に宿っている時から整えられていたようだ。
父がブラックミュージックを聴くことが好きだってこともあって
ジャンルを問わず、家の中では何かしらの音楽が常に鳴り響いてた光景がある。

ある日ネットサーフィンをしていたら「SWAY」という人物の名が目に止まる。
気になって調べてみると・・・
どうやら出身地の北海道 札幌市で一本のマイクを握って音楽活動をしてる様だ。
ブティックで働く経験を持つからか、
洋服を着るという感覚ではなくって、洋服に好まれて着こなしているSWAYが、「空めがけて 笑い飛ばしてけ」と歌っている。惚れない理由がなかった。
強く勇気づけられたことを覚えている。

高校の時に憧れた他学年の先生

私は高校生になるのを機に初めて障がい特性に優れて環境が整っている学校
(特別支援学校)へと入学をして、3年間通い続けて、お世話になっていく。
他学年の先生は体育科の教師。受験日の時に見学した授業が体育でその時に
見た先生の生徒と相対して接する姿になんだか安堵感を感じ入学前に憧れた。
私の学年では外部から入学したのが私だけだったために
入学した当初から憧れた他学年の先生が私の事を気にかけてくれて嬉しかった。
右も左もわからない不安からこれまで受けてきた負の出来事を
全て先生に話をし打ち明けてみた。すると先生は涙を流し話を聞いてくれてた。
もっと自由に生きたかった当時の私は、
「やらないで後悔するより やって後悔」とかけれた言葉をすんなり受け入れた。
それからの私というのは、思った時にはすぐにでも行動に移して挑戦している。

写真

自分の20歳くらいの誕生日の時に、SWAYさんが初の単独ライブの開催をした。
いつも支えてもらってばかりでいる。感謝の気持ちを見れるものにし伝えたい。
その想いからシャッターを切った。それを機におそらく私は写真を撮ることが
好きになった。瞬時に撮るという能力はきっとこの時に構成されたのであろう。

以上。

こうして私の価値観を形成してきたものを具体的に考えてみると・・・
ありがたいことに自分には
好きなことがあって、没頭できるほどにやりたいことがあって
人間らしく生きていられてるんだなあ。としみじみ思う。


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