卒業した。

2021年3月25日。早稲田大学を卒業した。
苦しいことも沢山あったけれど、とても楽しくて充実した四年間でした……と言いたいところだけれど、今、私の中にある感情は、寂しいとか、嬉しいとか、そういう感情とはどこか切り離された、他人事のように思えてしまう虚しさばかりだ。それくらい、大学生活最後の一年間は、私にとって味気ない、空虚なものだった。
もう4月になってしまったけれど、せっかくなので、この大学生活の最後の一年間と、卒業という節目に対して感じたことを、誰のためでもなく、ただ自分のために、改めてここに記すことにする。

今から1年とほんの少し前、新型コロナという得体の知れないウイルスが突然私たちの生活を襲った。それについては今更詳細を書くこともないけれど、私や身近な人たちの生活は、それによってがらりと変わってしまった。
私は当時大学の合唱団に所属していたが、当然団の練習は全て中止になり、去年の三月に開催されるはずだった、先輩たちの引退式(毎年先輩だけで卒団時に演奏会を行うことになっている)も中止になってしまった。
先輩たちと最後に会ったのは、12月の定期演奏会での打ち上げ。
そのときはサークル団員ほぼ全員で居酒屋に行き、朝までひたすら飲んでいて、それが先輩と過ごす時間の最後になるだなんてそのときは思ってもみなかった。
だからあの日、私は泣いた。
先輩の卒団を祝えないことも、最後にお別れの挨拶すら言えなかったことも、先輩の歌声を二度と聴けないという事実も、何もかもが悔しくて、寂しくて、ただひたすら、自分のことのように泣いていた。
そしてせめて、私たちの代の引退式は必ず実施させたいと、四年間一緒に頑張ってきた仲間たちと絶対に再び歌いたいと、強く願っていた。きっと私の同期も大半は同じ想いだったと思う。
まだあのときは、そのうち私たちは元の生活に戻れるだろうと思っていた。

4月になり、大学の授業は全てリモートに切り替わった。
それまで毎週会っていた学部の友達はみな画面の向こうの人になり、当然ゼミやサークルの同期とお昼ご飯を一緒に食べたり、大学の帰りに飲みに行ったりということもなくなった。

就活もほぼオンラインで行われるようになり、「STAY HOME」という言葉が流行らされた通り、コンビニやスーパーに行く以外は、家から出る時間は圧倒的に減った。

友達の基準が分からなくなった。
それまでの私は、授業を一緒に受けたりそのまま学食や居酒屋に一緒に行けるような人をまとめて「友達」だと思っていたけれど、この一年は、そうやって毎日会うことが当たり前だった人たちとの関わりが完全に消えた。こうなったとき、お互いがわざわざ約束をしてでも会いたいと思える人の少なさを思い知る。
ちゃんとしたお別れもできないまま、二度と会えないだろう人の数だけが増えていった。

姉と二人暮らしを始めた。
それまでは東京でお互いに一人暮らしをしていたが、家に篭りきりの生活の中では親も不安なことが多いだろうから、お互いの安否を確認するためにも一緒に住むことを決めた。在宅で働く姉と家で料理をしたり映画を観たりする時間には、きっと私がいちばん救われていた。

推しが増えた。
大学に入ってから現実世界で人と会っていた三年間は、一度も二次元や画面の向こうにいる人を好きになったことはなかったけれど、家に籠る時間が増えてからは一気に好きな芸人や歌手やYoutuberが増えて、現実から逃避するようにオタ活に没頭した。人との関わりの中で泣いたり笑ったりすることが激減した分、コンテンツから得られる感情の振れ幅はいつも私の生活をなんとなく彩ってくれていた。

合唱団をやめた。
辞めたところで、引退式には出られる。練習も本番もほぼなくなり、合宿も無くなって、同期とも会えない中でお金を払ってサークル活動を続けるのも無意味に思えたから、夏頃に退団届を出した。
サークルを辞めたところで、4月から続いていた私の生活は、何も変わることはなかった。

一方で、私たちの代の引退式の練習は続いていた。
たとえマスクの着用が義務化された本番でも、観客が半分になっても、オンラインだけの開催になっても、本番の時間が短くなるとしても、一年生の頃からずっとやりたいと願っていたことだ。Zoomだけで練習したり、練習場所を借りて同期と歌う時間は、短くても、少なからずの慰めになっていた。

締め付けられるように、じわじわと、日常は変化していた。
けれど、どこかで期待していた。
「そのとき」が帰ってくるんじゃないか、と。最後にはみんなで歌えるんじゃないかと。ちゃんと別れの挨拶ができたら、このつまらない一年間なんてどうでもよくなるんじゃないかと。
「どれだけ今がつまんなくても、最後に一緒に歌えたらそれでいい」
きっと、それだけが私の心の支えだった。
少なくとも、最初の半年の間は。

三月になった。
私たちの代の引退式が、正式に中止になった。
緊急事態宣言と本番が被らない限りは、スケジュールや本番の曲数を変更してでも開催させようと同期が奔走していた中で、最後の最後に出た緊急事態宣言延長が、本番の日程と被ってしまった。そのニュースで、全てがなくなった。


その知らせを見たとき、私は泣かなかった。
いやむしろ、
「やっぱりか」と思っていた。
最初からずっとそうなると分かっていたようで、一年前、先輩の引退式が突然中止になってしまったあの日のような悔しさや寂しさは、一切湧き上がってこなかった。
きっとだけれど、同期も同じように感じていた人は多かったと思う。

一年前だったらきっと、悔しくて泣いていた。
なんとしてでも皆に会いたくて、歌いたくて、苦しくてたまらなかっただろう。
けれど、それに何か感情を動かされるには、私たちが失った日常はあまりに大きかった。離れてる時間があまりに長かった。
あのとき共有したはずの願いは今は全く自分とは無関係なことに思えて、同期も今はどこか他人のように思えてしまう。
それくらい、いろいろなことを諦めて、飲み込んで、私たちは今の生活に「慣れて」しまっていた。


私の友達は、「この期間、ずっと私はとにかく開催を目標にしてステージカットや、練習時間を減らしたり、練習場所に断りの連絡を入れたり、ピアニストの先生に曲数を減らしたいとお願いしたり、そういう細々した作業で動き回ってきた、だから、なくなったって聞いたとき、悲しいとか寂しいとかよりも、今までの時間はなんやったん、って怒りの方が大きかった。」と嘆いていた。

「悲しめないことが悲しい」「他人事のように思えてしまうことが悲しい」「これが当たり前だと思ってしまうことが悲しい」

こういう言葉をちらほらと聞いた。

もう一年前まで「当たり前」だと思っていたことは、何も帰ってこない。
いきなり失われて、何もかも受け入れざるを得なくなった頃に、こっそりと、全てが終わってしまう。
卒業式を、迎えてしまう。

「幸せって何」と聞かれたとき、一年前の私だったらきっと、言葉にするまでもなく「ありふれた日常を過ごせること」「それに付随する非日常」だと思っていた。
当たり前に大学に行き、当たり前にサークルで練習し、休み時間は友達とだべって、ご飯を食べて、友達と一緒に帰り、夏休みは合宿や旅行に行って朝まで飲む。
当たり前にしんどくて、当たり前に苦しくて、当たり前に誰かと食い違って、前を向く。
いつだってそれだけでよくて、それだけが私にとって「幸せ」と呼べる日々だった。

忘れていたのだ。私は、誰かと一緒に過ごす時間を。
誰かと何かを共有する喜びを、誰かと食い違う悔しさを、寂しさを。


「辛いときだからこそ、今の自分にできることをしよう」
「今を乗り越えれば、君たちは社会で活躍できる素晴らしい人材になれる」
「コロナ禍は貴重な経験」
「自粛期間を言い訳にするな」
「乗り越えろ」
「今の自分にできることをしなさい」
「自粛期間も案外悪くないよね」
「家にいるからこそ好きなことができるのって貴重だよね」

何回も聞いてきた言葉。何回も自分に言い聞かせてきた言葉。
全部、その通りだと思う。
実際、私の一年間の生活は自粛を言い訳にした怠惰なものだったし、私が家でゴロゴロしている間に、コロナ禍の中でも新しい喜びを見つけて、充実した日々を送っていた人は、私の周りには沢山いた。
そうだよ。
前向きに生きなきゃ。
今の私にできることをしなきゃ。
こんな時期だからこそ、私がやりたいことを思いっきりできるチャンスじゃないか。
今まで避けてきた勉強をしよう。
今まで蔑ろにしていた友人関係を築こう。
言い訳をするな。
すごい人は逆境をチャンスに変えて頑張れるんだ。
新しい人生を見つけよう。
いつかまたみんなで集まれる。いつかまたみんなで大声で笑いあえる。
「そのとき」が来るまで、みんなで我慢しましょうよ。
そうですね。
その通りだと思います。

でもやっぱり、それだけでいいのかなって、思ったんだよ。
だから、これだけは叫びたい。











うるせぇ〜〜〜〜〜!!!!

なんだよそれ、おかしいだろ。
確かに全部正しいよ。確かに全部その通りだよ。
でも、じゃあ、私が失った時間は一体どうなるんですか。
なんなんですか、「慣れた」って。
なんなんですか、「悲しめないことが悲しい」って。
なんで本当は楽しかったはずの大学生活最後の年に、そんなこと言わないといけないんですか。
慣れたくなかった。悔しいと思いたかった。
大人気ないって、誰かのせいにするなって言われたって、私は日常を失った事実を忘れたくなかったし、いつまでも希望を持っていたかった。
けれど、ずっと希望だと思っていたものを忘れさせるくらいには「新しい日常」は絶望的で、そんな希望も忘れて何もかも飲み込まざるをえない日々の中で、いつのまにか、大学生活が終わってしまった。

誰を恨めばいいんですか。
得体の知れないウイルスですか。政治家ですか。大学当局ですか。サークルですか。緊急事態宣言が出ても飲み歩いている人たちですか。自分自身ですか。

コロナというウイルスの存在の実態が良く分からない以上、「過剰に反応しすぎ」「コロナなんて風邪みたいなものでしょ」「こんな感染症対策して何になるのw」なんて無責任なことは言えない。絶対に。
でも、やっぱり、まだ死亡率もそれほどに高くない、感染者数だって毎年のインフルエンザ患者数よりも少ない。正直に言うと、明らかに生活を狂わせてくるような、明らかに人の命を奪いまくるようなウイルスだったりしたら、最早納得できたのかもしれない。
けれど、医療従事者が圧迫されているという事実以外は、何も「コロナウイルス」という存在の恐ろしさが分からない以上、やっぱりどうしても考えてしまう。
私たちがこの一年間に失ってきたものって、本当に、これから先の人生に見合っているものなんですか。

こんな誰もが抱いているような幼稚な不満を使い古されたような言葉で感情的に言い表すことしかできない自分の未熟さにも腹が立つけれど、どこかで言葉にしないとやりきれない。思想の立場は違くても、それはみんな一緒だったんじゃないですか。

渋谷ハチ公前で「コロナは風邪だ!」なんて演説をマスクもつけずに騒音まがいの音量で行っていたジジババたちも、感染を過剰に恐れて宅急便ですら拒み続けていたような人たちも、陰謀論に走った人たちも、自粛警察も、感染者の家に落書きをして執拗にいじめていた人も、私みたいに自己中な文句しか言えない人も、この打開されない現状に対する不満を誰にぶつけたらいいのか分からなくて、憎むべき相手の実態が見えなさすぎて、目に見えている範囲に当たり散らすことしかできなかった、やるせない思いを抱えていた人たちだったんじゃないのか。

「失ってから初めて日常の尊さに気付いた」みたいな言葉が私は嫌いだ。ここぞとばかりにそういう言葉を使う人が嫌いだ。
だって私は一度だって、日常の中でその尊さを忘れたことはなかった。大学に入ってからの毎日は苦しいことこそ沢山あったけれど、苦しさが余計に日常に彩りを与えてくれるくらいには充実していて、楽しかったのだ。いつだってそれだけで十分だったし、それが幸せで、その中でさらに新しい喜びを求める日常がきっと「幸せ」と呼べる日々だった。


忘れたくなかった。
受け入れたくなかった。
慣れたくなかった。
これが当たり前だと思いたくなかった。
私たちは確かに幸せな時間を過ごしていて、私たちは確かに、その「幸せな時間」を何者かによって奪われた。

どれだけ前向きに捉えようとしたって、その事実だけは変わらない。
忘れてはいけない、絶対に。

こうして3月25日、私たちは卒業式を迎えた。

別れを惜しむような時間ではなかった、と思う。
大学に集まってみんなと写真を撮り合い、帰りに友達の家に集まって桃鉄をした。
その次の日には部室の掃除をして、集まった同期と後輩四人ほどでいくつか曲を歌い、帰りにはラーメンを食べに行って、そのまま解散した。
30日には同期が企画して、ホールを貸し切って今まで歌ってきた曲を歌い、休み時間に仲良い子数人でご飯を食べに行って、米津玄師のPVの物真似をしてふざけあったりして、時間が来ればみんな写真だけを撮ってあとは自然と解散し、帰り道で友達と喋って、「元気でね」「また会おうね」とだけ言って、駅でお別れをした。

なにも、なにも劇的なことはなかった。誰も泣いたりしなかったし、あっけないくらいあっさりと全てが終わった。けれど、私たちがこの一年の間に失われた「いつもの」日常だけがそこに詰まっていた。

最後にそういう時間を過ごせたことが何よりも嬉しくて、何よりも寂しかった。

たとえ大人げないと言われても、この期間に抱いた怒りも、寂しさも、忘れたくない。
失った日常に慣れて、慣れて、何もかもどうでもよくなってしまったら、本当に私は死んでしまう。
「家に篭りきりの毎日も悪くないね」
そう思いながらなんとなく惰性的に暮らしている自分の中に、絶対に忘れたくないものを持ち続けていたい。

飲み会もない、オンライン授業が当たり前だと思って過ごした人たちにとって、私のように「対面の方が良かった」という記憶にすがっている人間はやがて「古い価値観」だと思われてしまうのだろう。そうなるのは仕方ないことだ。
そうなったら私も自分の考え方が古いんだって、もうコロナを経て新しい時代が来てしまったんだって、その事実を受け入れざるを得なくなるだろう。
けれどそうなる前に、いや、たとえそうなったとしても、自分が一番楽しいと思っていたことを、自分が一番幸せだと思っていたことを、自分が一番怒りを感じていたことを忘れて、「慣れ」という形で「新しい価値観」を受け入れてしまったら、私は本当に「死んでしまう」ような気がするんだ。

だからこの文章は全て、私のために記す。
私がこういう感情を抱いていたことを忘れないために、私が本当の意味で前に進めるように、何もかもを忘れないために。

この文章を通して、私は誰かに何かを伝えたり、何かを教え諭したりするような気は毛頭ない。ただ、自分の今の気持ちをどこかにしっかりぶつけておきたかったし、誰かにとって「惨めだな」と思えるような対象になっているならそれが一番いい。誰だってこんな苦しみ、最初から抱かない方がいいに決まっているのだから。


オ…オ金……欲シイ……ケテ……助ケテ……