見える物全て「描画されるだけの建物」
この世、建築物が多すぎる。
建築・設備系の仕事をしている事も相俟って、誰かの仕事に敬意を覚える。
この世にある建築物の9割以上は、一生のうちに出入りする事が無いと考えると恐ろしい。
いや、「世界にある建築物の総量から考えると、人間は建築物を活用し無い」という詭弁まで生じそうだ。
一生のうちに出入りする建築物なんて数えれる程度で、せいぜい4桁あればいい方。
何億戸とある建築物のうち数千戸なんぞ、割合で見れば小数点第何位かの世界だ。
0へ近似してしまえる。
ゲーム等でよく見る、「描画されているだけで入る事ができない建物」は案外本当なのかもしれない。
いや、何ならこちらが真実なのかも。
人生で入れる建物は予めプログラミングされており、それ以外の建物には入れない仕組みになっている。
この世界は案外オープンワールドにできておらず、容量を細かく節約しているのかも。
電車の窓から見える景色、通勤中に見える景色。それらの殆どは入れない様にプログラミングされて産まれてきた。
今日も明日も「描画されるだけの建物」を眺めて生きる。
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