20代前半に初めて読み、「一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ」というフレーズが心に焼きつき、以後数年に一度のペースで読み返すたびに新たな発見がある、底知れない奥深さのある名作小説。恋愛小説とよく紹介されているのも正しいと思うけど、そんな枠に収まってはいない。上記のフレーズが人生の真相ではないかと薄々感じている人は、一度読んでみても損はないかと。
最近また通しで読み返したので、ゆっくり考える材料にしようと思い、本書の主題である「軽さと重さ」に明示的に言及しているテクストを引用の範囲で拾ってみた。抜け漏れ偏りは恐らくあり、一部は周辺の気になった文章も気まぐれに混じってるけど、基本は自分用のメモなので御容赦をば..。
前はハードカバーの単行本を持ってたけど、今は文庫本しか手元に残してないので、以下が引用元の文献です。
『第I部 軽さと重さ』より
第I部で引用されるパルメニデースとベートーベンの考え方は、このあと本書全編にわたって、登場人物の生き方を描写するシーンで繰り返し言及される。
『第II部 心と身体』より
ここの「重荷」は、もしかすると主題の「軽さ」「重さ」とは関係ない一般表現かもしれないが、一応拾ってみた。
第II部は、主題に関するメタな視点からの言及がなく、テレザを中心とする具体的なストーリー描写がメインになっている。そのせいか、映画化作品で多くのシーンが撮られていたような気がするけど、かなり昔に1回見ただけなのでうろ覚え。
『第III部 理解されなかった言葉』より
サビナは第I部から登場しているが、主題に直接言及する重要なテクストは第III部で書かれ始めていた。上に引用した文章に「軽さ」「重さ」に関する直接の言及はまだないが、「裏切り」がとても重要なキーワードなので抜粋。
この小説を最初に読んだ20代のとき、サビナにはあまり関心がなかったので、ここで引用したテクストは全く記憶に残ってなかった。が、年を重ねるにつれ自分はサビナの要素が凄く強いと分かってきて、今では第III部がクライマックスにすら思える。引用した通り、小説のタイトルである「存在の耐えられない軽さ」はサビナの人生を表現するために捧げられている。
『第IV部 心と身体』より
念のため注釈で、第II部と第IV部、第III部と第V部は、同じ見出しです。
第IV部では、引用した箇所に書かれている技師とのハプニングや、その前のペトシーンの丘での出来事(夢?)など、小説のストーリーとして重大なことが起きる。テレザに自己投影する人には、このパートをどう読むかで終盤の味わい方が変わるかもしれない。
『第V部 軽さと重さ』より
第V部は比較的多めの抜粋になったが、全てトマーシュを描写する文章だった。最後のp282,283の引用箇所だけ、トマーシュの人生に照応させてチェコの歴史について言及している。著者は、軽さ・重さのどちらが肯定的なのかを作中で書くことはないが、「耐えがたい」と描写されるのは軽さだけのようだ。
『第VI部 大行進』より
サビナのエピソードは第VI部でもって終わる。なお、引用文にある「重さの印」とは、墓石を示していると思われる。
作中にはサビナに関わる人物としてフランツが登場し、「大行進」という見出しとも関わって第VI部でその人生について多くが語られているが、軽さ・重さに言及する文章を引用する限りでは、現れなかったような気がする。第VI部ではキッチュ(俗悪なもの)というキーワードが出てくるが、その関連で抜粋すると、いくつか出てくるかもしれない。
『第VII部 カレーニンの微笑』より
最後の章で引用した文章にはどれも主題としての軽さ・重さという用語が直接には含まれていないが、全編を読み通した上で個人的に重要だと思った文章を拾ってある。
第VII部では動物が関わるエピソードが多く、テレザとトマーシュが親しくなった農場長が犬のように育てたメフィストという子豚も登場する。これも初読のときから強く印象に残っていて、以後は動物園にしてもテレビの中にしても、子豚を目にするたびにメフィストと呼ぶようになってしまった。
以上。