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『忍夜討2022〜甲賀・水口岡山城の戦い〜』参戦ルポ

モトヤフメンバー(元ヤフー)の福島嵩仁(忍者名:嵩丸)さんが、甲賀市役所地域おこし協力隊の一員として、甲賀市水口宿(水口岡山城趾)を拠点に企画した甲賀忍者対長束正家軍勢の戦闘再現イベントが、10月22日に華々しく開催された。今回このイベントに参加したモトヤフ事務局の川村がこれから現地ルポを報告させていただく。

イベントポスター

ITから忍者に変身した福島嵩丸さん!


福島さんはご存じの通り、モトヤフインタビュー第12回に忍者姿で登場いただき、忍者古文書の「万川集海」や三重大学大学院「忍者学修士コース」のエピソードなど楽しいお話を聞かせていただいた。

その後、本年2022年6月には「万川集海」の基になったとみられる忍術書「軍法間林清陽巻中」の写本が見つかったとして、あの忍者装束姿の福島さんが再び多くのメディア(新聞全国紙やテレビキー局など)に登場したのは記憶に新しい。

軍法間林清陽巻中

まずは改めて福島さんのプロフィールをご紹介しよう。
2008年〜2018年 ヤフージャパン勤務
2018年5月〜     日本忍者協議会
2021年3月〜.          甲賀市役所地域おこし協力隊
また2021年には、三重大学人文科学研究科 忍者・忍術学コースを修了しMaster of Ninjaになっている。

『忍夜討2022〜甲賀・水口岡山城の戦い〜』とは

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1600年、関ケ原の戦いが起こると当時の⽔⼝岡⼭城の城主・⻑束正家が⻄軍につくが、 ⻄軍が敗退した後、⻑束正家は⽔⼝岡⼭城に逃げ込んだ。徳川⽅の甲賀の武将・⼭岡景友がこれを攻めるに当たり、奇襲が得意であった甲賀衆達を集め、⽔⼝岡⼭城に夜討を仕掛けた。
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これが今回の再現イベントの歴史的背景のようだ。

ところでこのイベントには長束正家将軍役、副将・隊長役・一般隊員役・忍者隊役・間者役などの役回りがあって、それぞれ参加費が異なっている(笑
筆者は長束正家軍の隊長役として7,500円を事前振込した。ちなみに10,000円になる長束正家役を申し込まなかったのは、きっと宣誓をしたり軍議を主導するなどハードワークだろうと想像したからで、実際に正家役は大変だったようだ。(彼は俳優の卵だったらしい)

戦いは、武将側50名と忍者側50名で行われ、スポンジでできた刀を振り回して、相手方の肩付近にあるランプを叩いて点灯させたらポイントになるというもので、結論からいうと、武将側約1,000ポイントに対して、忍者側4,000ポイント以上と、大差で武将側は敗退した。

さて、当日のタイムスケジュールだが、こんな感だった。
13:30 ⽔⼝⼩学校集合 受付・着替
15:00 開会式・ルール説明
15:30 斥候(フィールドの視察)
16:30 軍議(各陣営で作戦会議)
17:15 布陣
17:30 第1回戦 開戦
18:00 第1回戦 終了 (その後第2回戦に向けた軍議)
18:30 第2回戦 開戦
19:00 第2回戦 終了
19:30 論功⾏賞・閉会式論功⾏賞・閉会式
20:00 下⼭・着替え

筆者は実は前日のうちに京都の三条大橋を自転車にて出立し、水口入りをしていたので、午前中はリアル忍者館の見学を済ませ、定刻の13:30には小学校に着いており、福島さんに手伝ってもらって脚絆や特殊鎧や兜を身に着けさせてもらっていた。

忍者福島嵩丸殿の雄姿

15:30から斥候で水口岡山城趾に登るのだが、甲冑を脱いでいけばとの福島さんの忠告を無視して登り始めたため、鉄でできた重い甲冑などで息も絶え絶えになってしまった。

水口岡山城への斥候

激烈な戦いのスタート

17:30からの第一回戦では、早々に忍者方の先鋒隊が守備を掻い潜って一気に本丸に突入し、本丸にいた長束正家はスポンジ刀で乱打されたため落命してしまい、そして主君が落命して落城した城を更に副将が守るも、今度は副将のすぐそばに忍者方の間者が控えていて、あたかも副将を守っているように見せかけながら、一気に肩いや首を打ち取ってしまった。

長束軍の軍議風景

筆者は7,500円を払って隊長役をゲットしていたので、最後に3人目の本丸守り役に就いたが、敢えなくタイムオーバー時間切れとなってしまった。悔しい!

忍者側の攻めに待機する武将軍

第二回戦は何故か忍者が守る城を武将側が攻めるというややこしい設定となり、隊長役の筆者が無闇に突撃して討ち取られたら、大量のポイントを敵に与えてしまうとの配慮から、遠巻きにしばらく戦いを見守っていたが、最後の5分前からはしびれを切らして突撃してしまい、何と忍者に挟撃されて、100ポイントを進呈してしまった。

こうして、全員ケガもなく2回の戦いは終了し、参加者の顔には戦いきったという充実感がみなぎっていたが、おそらく普段家庭では奥さん達から厳しい叱責を日夜受けているであろう参加者達は、これでもかと本気モードで戦っていたのだと思う。その証拠にスポンジ刀が次々に折れて交換する者が続出していたのだ。

水口岡山城夜景

メディア取材殺到!

ところで、このイベントはNHK・読売テレビ・地元ケーブルテレビなど多くの報道機関も取材に訪れていて、参加者へのインタビューも盛んにされていた。かくいう私も読売テレビの取材を受けて「京都の三条大橋から自転車で来ました」という一風変わった参加者として色々質問を受けたが、果たして本当にその後放送されたのかは不明だ。

さて、主催者福島さんは、もちろんこのイベントを裏方として仕切っておられ、全体のイベント進行が順調に進むように筆頭忍頭として縦横無尽に活躍されていた。福島さんありがとうございました!

武将軍からの城攻め

戦い敗れて・・・

こうして戦いに敗れた筆者は、爆睡後に翌朝次の宿泊地に向けて出立しようとしていたが、宿の女主人にどんな戦いだったのと聞かれたので、先の2回に亘る戦いの状況を丁寧に説明し、特に間者の役割が大きかったことを力説していたところ、突然食堂から「実は私が忍者方の間者でした!」と大声をあげて、宿泊者一人が登場してきた。

「おのれ、こんなところに潜んでおったか!叩っ切るぞ」と言いたいところだったが、心を落ち着けて「敵ながらあっぱれ」と和やかに歓談して別れることにした。

ところで、今回の旅は、実は旧東海道を京都三条大橋から出発して、最終的には日本橋を目指すという個人的なイベント企画を考えていたところ、偶然にも4つ目の宿場の水口宿で今回のイベントがあることを福島さんからの告知で知って、参加することにしたものだった。日本橋まではあと何回かに分けて走る必要があるが、その最初の旅でこのイベントに参加できたことはとても充実した意義のあるものになったと言えそうだ。

戦い翌日の旧東海道関宿



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