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地味な日も特別な日に

ハレの日と地味な日

一年は365日。

その365日は、とても印象に残る「ハレの日」と、何をしていたかほとんど覚えていない「地味な日」から構成されているように感じています。

友だちと食事したり、旅行に行ったり、そんな日はもちろん「ハレの日」。

自分の中で特別な日なので、その日のために何を着て行こうかな、何を食べようかな、何時に家を出ればいいかな、とワクワクしながら準備します。

「ハレの日」は、終わってみたら、「楽しかった」「大変だった」いろいろ感想はあったとしても、太字で大きくクッキリ浮き上がって記憶の中に残っています。

また、私はフリーランスで通訳や講師の仕事をしているので、仕事の日は「ハレの日の発表会の舞台」のようなもの。

その発表会に向けて粛々と準備する日が続きます。それはそれは地味な日々。

そして、掃除をしたり、庭の草むしりをしたり、要らなくなった資料を処分したりするのも地味な日。

ハレの日と、地味な準備の日の割合を考えると、地味な日が圧倒的多数。

なのに、地味な日はメリハリがないので、一日が終わったときに「今日は何やってたんだっけ?」と考えても、「あれ?」と首をかしげるほど覚えていません。

地味な日があってこその「ハレ」の日なのに、地味な日が私の日常の大半なのに。

地味な日、かわいそう。
ハレの日にくらべて軽んじられていないか(私に)。

ふっとそんなふうに思って、地味な日も何か記憶に残る特別な一日にしたいと考えるようになりました。

昨日も地味な日、でもちょっと特別な日に


昨日も地味な日でしたが、新鮮な驚きでちょっと特別な日になりました。

そうなったのは、用事を済ませたあとにいつもと違う道を通ったおかげ。

こんなものを見つけました。

ソーセージの自動販売機。

ソーセージ販売機?

えっ?と思って、正面にまわって思わず凝視。

やっぱり全部ソーセージ(ハムとベーコンも)。

こんな自販機があったなんて。
いっきに「今日はソーセージの自販機を見つけた日!」になりました。

そして、もう少しテクテク歩いて遭遇した場所には、「マスク着用お願い」のノボリが。

妙に大きくて立派なノボリ

ノボリ自体に違和感はなかったのですが、ノボリが立てられていた場所が場所だっただけに、やっぱり凝視。

ノボリが立てられていたのは、誰もいない「お稲荷さん」の境内でした。

境内にはだれもいなかったけど、マスクいるのかな
密になるときもあるのかな

暑くてマスクが苦しくなり、人がいない境内でマスクを外して深呼吸しようと思っていただけに、ガックリ。

でも、「神社にもマスク警察が?」と思って面白かったのも確かです。

地味な日を特別な日にするのにお役立ち

地味な日を特別な日にするのに、私の役に立っているのがnote。

「何を書こうかな」と考えて、書きたいことを身の回りで探したり、自分の記憶の引き出しを探ったり。

そうすることで、これまで見過ごしていたことが目に入り、心に留まるようになりました。

そう考えると、毎日noteを書けば、毎日を特別な日にできるのかもしれませんが、でもまあ、それはそのうちに(笑)。

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