ベストフレンド

小学生になるまで、唯一僕を裏切らなかった友達がいた。
名前は"アボジ"という。

アボジはいわゆるイマジナリーフレンドというやつだ。
僕の頭の中にだけ存在して、僕の視界にだけ現れる。
"都合のいい時"にだけ出てきて、また"都合のいい時"に消えてくれる。
主に僕が思い悩んでいる時、孤独を感じる時、あとなぜかトイレの最中にどこからともなく現れる。(正確には、現れるというよりも元からそこに居たように、気付いたら佇んでいるというイメージだ)
昼のサスペンス系ドラマで犯人が使っている変声機を通したような声で僕に話しかけ、ちょこちょこと動き回る。

最初に、唯一僕を裏切らなかったと書いたが、小学生になって生活基盤が安定するまで、引っ越しや転園が多かった僕にとっては、それで友達と離れ離れになることも含め、友達の小さな裏切りだった。自分が転園するくせに。

幼少期の記憶というのは曖昧で、僕も自信を持って覚えていると言い切れることは少ないが、"アボジ"という名前とそのイメージだけははっきりと覚えている。
その特徴的なイメージ(見た目)は、簡単にいってしまえばブロッコリーだ。ブロッコリーに足が生えている。目や口など、顔にあたる部位は無く、表情がない代わりに、ブロッコリーでいう蕾の部分を垂れたり、茎に生えた足でジャンプしたりして感情表現をする。
散々ブロッコリーとはいったが、あくまでイメージの話で、当人の僕にもはっきり見えているわけではない為、蕾の緑のつぶつぶや茎から生えた葉っぱなど、視界が薄い膜に隔てられたように直には目に浮かんでこない。

どちらから成約したわけでもないが、アボジと僕の間にはいくつかのルール、規則性があった。

ルールは
1つ目、別の人と居る時にお互いの話をしない。
2つ目、アボジを呼ぶとき、"アボジ"以外の名前で呼ばない。
3つ目、アボジの名前や見た目に関して、アボジに質問しない。

3つの掟のニュアンスについて説明するのは難しいが、アボジの意志と僕の無意識的な決め事のちょうど中間くらいの位置でこのルールが成り立っていた。
他にもアボジ自体の規則性として、必ず地面上に直接ではなく机の上や僕の目線に近い場所に現れる(トイレ中の場合はトイレットペーパーのホルダーの上)、僕が話しかけない限り黙ってじっとこちらを窺っている、などがあった。

小学校に通い始めてきっぱりとアボジを見ることは無くなったが、それまでの間アボジは僕の目の前に度々現れ、甲高い声で僕を慰めた。今の僕も、一人になってふとした瞬間にその名前と姿を思い出す。

オチとして、ゾッとする話にする気はなかったが、これを書いている途中に気になって、"アボジ"というワードを検索してみると、韓国で"お父さん"という意味で使われている言葉らしい。

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