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禅についてざっくりとまとめた

この記事は禅とは何であるか、また現代における禅についてざっくりとまとめたものになります。

禅の起源とモットー

禅は仏教の一派です。仏教では祖であるブッダの教えを世に広めんと、沢山の流派が生まれてきました。その内の一派である禅宗は、かの悟りを得たブッダの精神を知りたいと願った人々の集まりです。

悟りとは何か、それを説明する事はできないでしょう。知りたければ自分で坐禅を組むしかないのです。このようなモットーを禅では「不言」と表現しました。言葉による説明には意味がない、自身の体験こそが重要であるという教えです。

作法に関する考察

このモットーから、禅宗が何故作法を重視するのかについて考察してみました。例えば坐禅一つ取っても十数種類の作法を覚えなくてはなりません。

禅は「不言」を掲げています。とはいえ入門者に対して何も説明しないわけにはいかない。そこで作法の出番です。つまり作法とは「ただひたすらに従う事で悟りに至る方法」であると考えました。

例えば坐禅で動いてはいけないという作法は、動く → 気が散る → 瞑想に集中できない → 悟れない、という教えを暗に含んでいると思います。

また合掌して深くお辞儀をする作法は、その謙虚な姿勢を取る事で、自然と感謝の念が湧いてくるという教えではないでしょうか。これはアラン*の「体と精神は密接に関係する」という説から考察しています。

現代社会における禅

現代社会に禅を適用してみます。現代における作法とは礼儀やマナーに当たります。それらを守ることは他人に迷惑をかけないことが本質的な目的ではなく、礼儀やマナー = 良い姿勢、これに従うことで自身の精神を充実させることができる、と考えてみました。

これはまたアラン*の教えとも絡めた考えですが、礼儀正しい → 良い姿勢をとる人 → ネガティヴ感情が抜けやすい → 幸福、という理屈です。礼儀正しい人には大らかな人が多いのはこれが理由だと思っています。

曹洞宗も日常に禅の教えを取り入れることを説かれています。

禅と日本文化

よく日本文化には禅の心が根付いていると聞きますが、具体的に何がどう根付いているのか知らない方は多いと思います。

ZENとして世界にも認識されている自国の文化について、理解を深めるのも一興。こちらの鈴木大拙さんの本は、「禅は武士の精神と相性が良かった」話や、「芸術から読み解く禅の心」など興味深い内容が盛り沢山です。是非。

さいごに

きっと禅僧ならこう言うでしょう。「記事を書く暇があったら坐禅を組みなさい。」


*アラン:フランスの哲学者、「幸福論」など

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