道端でカセットテープを拾ったら謎だらけだった話
noteにテキストを書くのも数年ぶりだ。完全に放置していた。初めて私のnoteアカウントを覗いた方もいるとは思うが、とりあえず今回の件について、書いている私が何者かはどうでもいいことなので、あらためての自己紹介などは省く。
さて、タイトルに興味を惹かれて読み始めてくれた方のためにさっさと本題に入ろう。事の発端は昨日6月24日の土曜日だった。私は妻とともに梅雨時の晴れ間を満喫するため散歩に出た。この日は谷中の裏道を特に目的地も決めずに歩いていた。その時である。
道に立てかけられた看板(なんの看板だったかは見なかったが「飛び出し注意」とかそういうやつだろう)の裏に何かが置かれているのを、私は目ざとく見つけた。カセットテープだ。明らかにカセットテープだ。なぜカセットテープがこんなところに? 今が1990年代初頭だったとしても妙な話だ。
幼い頃、母から「なんでもかんでも拾うんじゃない!」と諌められて育った私は、当然のようにそれを手に取った。妻は顔をしかめていた。
10分(片面5分)のカセットテープは透明なビニールで包装されており、何やらスタンプで押したようなラベルが貼り付けられている。ビニールには「FoodSaver」と書いてあるが、調べてみたところ食品を真空パックする道具があって、それ用のものらしい。なるほどこのように包装してあれば雨風でカセットテープがオシャカになることもない。ラベルの紙には「民主主義を取り戻す」「ミャンマー」「この紛争が」などの活字が読み取れる。その上からスタンプが押されている。この時点ではスタンプが文字なのかどうかも判別つかず、むしろ台紙となっている紙の活字部分に躍る言葉へ目が行ってしまい、「思想強めの何者かが何かしらのメッセージをゲリラ的に残したもの」という印象が強かった。再生してみたら支離滅裂な狂人の演説がたっぷり10分間収録されている可能性もある(それはそれで面白そうだが)。妻は不安そうにしていたが、私は当然持って帰ることにした。こんな面白そうなものを手放すわけにはいかんやろ。
ということで、その後しばらく散歩、食事、飲酒などを済ませて帰宅した私は早速テープを開封してみた。ちなみに、幸運にも私はカセットテープを再生する機器を保有している。
ケースからテープを取り出してみると、一枚の紙が同封されていた。これまたスタンプで「トウヨウハードコア」と押されている。裏面は画素の低いモノクロ写真がプリントされている。三味線や太鼓の写真に見える。これでようやく、カセットテープに貼られたラベルに押されているのが「東洋ハードコア」という文字列であることを理解した。はてさて「東洋ハードコア」とはなんぞや。「ハードコア」は音楽ジャンルの一つである。そして三味線や太鼓の写真だ。狂人の演説ではなく「音楽」が収録されている可能性が高くなってきた。尚、カセットテープをひっくり返してみるとこうなっている。
ラベルの裏面には「達磨芸能58yy」と読める文字が書かれている。
まぁ、何はともあれ聴いてみることにした。私の持っているカセットテーププレイヤーはオートリバース機能がついているので両面続けて聴けるのである(なんのこっちゃわからない人はおっさんおばさん捕まえて訊いてくれ)。
聴いた。先に書いておくと、狂人の演説ではなく、間違いなく「音楽」の範疇に属する内容であった。創作者がどこかにいるはずなので、デジタルデータにしての公開などはしないでおく。
テープの構成を説明するとこうだ。
①演歌っぽいオケが何度もループされる。安っぽいオケで、少なくとも私が知っている曲ではなかったが、「THE演歌」という感じの曲。同じ部分が何度もループし、最後にはアウトロに至って終わった。微妙にピッチをいじっているような気がして、Vaporwaveのような感触を得た。
②続いて笛らしき楽器の独奏。半狂乱で吹きまくっているような演奏。
③続いて三味線の独奏。こちらは落ち着いて思うままにアドリブで弾いているように見受けられる。途中何度か(おそらく演奏者が)咳き込むような音が入る。この咳き込む音から、演奏者は男性であると思われる。三味線の独奏は特に締めがあるわけではなく、カセットテープの録音時間限界が来たのかブツ切りで終わる。
これが私の拾ったカセットテープの内容である。③のパートは結構聴き応えがあった。和楽器を使ってゲリラ的な音楽表現をする集団あるいは個人が「東洋ハードコア」と名乗っているのだろうか。私は、Twitterで「東洋ハードコア」及び「達磨芸能」と検索を試みた。
すると、出るわ出るわ、カセットテープ発見ツイート!!
一部のツイートを紹介する。
古くは2015年から発見ツイートが存在する。紹介したツイートの写真だと、私の拾ったテープに貼られたラベルとは違うデザインのようだが、間違いなく同じ「東洋ハードコア」であろう。しかも、「達磨芸能◯◯◯◯」の部分が違う数字になっている。これはおそらく連番なのではないだろうか。ならば、私が拾ったテープは「達磨芸能58yy」ではなく「達磨芸能5844」と読むのが正しいはずだ。考えてみてほしい。これが仮にユニークナンバーによる連番だと仮定すると、2015年から2023年まで8年でおよそ3000日間だ。私が拾ったのは「5844」、2015年のツイートでは「2170」の発見が報告されている。その間には3700本ほどのカセットが存在しているのではないだろうか。つまり、このカセットテープの内容が「全て別の内容(演奏)」だとするならば、1日1本以上のペースで録音を繰り返し、それを様々な町に放流していることになる。ずっと同じペースが保たれているのならば、さらに遡ること7年前(=2008年頃)に、「達磨芸能0001」が放流されたのかもしれない。その推測を裏付けるようなブログが発見された(これは私のフォロワーさんから教えてもらった)。
このブログは2008年のもので「達磨芸能十五」の発見を報告している。15といえばかなり初期のものだ。
ここでさらに興味深いツイートを紹介する。
この方のツイートによると「1999年から」と書かれている。ためしに「mixi 東洋ハードコア」でググってみると、このページが表示される。
「東洋ハードコア研究1999」と題された長文の文章は、「欧米の模倣ではない日本(東洋)独自のストリートカルチャーとしてのハードコア音楽」について考察が語られている。おそらくこの文章を書いた人物と、カセットテープを町に放流している人物は同一であろう。そしてまた、このページには「ネットに関しては敢えてここにしか情報公開してません、TwitterやFacebookやYouTubeなどで探してもありません。」とも明記されている。つまり、正体はかなり明確な意思のもとに隠されており、判らない。
いまのところ私が「東洋ハードコア」について得た情報は以上であり、「謎のカセットテープ拾ったら他にも謎のカセットテープ拾った人がたくさんいて結局謎は謎のままやわ」という状態である。ほとんど何も解決してない。しかしながら、私はこの「謎」との出会いにとても興奮させられた。というのも、紹介したツイートにもあったように、普通こういう「妙な物」を道端で発見したら拾わないのが常識人というものである。「なんこれ……こわっ」となるのが正常な反応である。これまで高円寺に、銀座に、新宿に、そして谷中に放流された推定5800本ものカセットテープのうち、一体何本が拾われただろうか。廃棄物として捨てられたテープも多々あるだろうし、車に轢かれてメタメタに破壊されたものもあるだろう。仮に推定5800本の録音内容が全て固有のものであったならば、闇に消えてしまったテイクもあるということだ。もちろん、私が拾った「5844」がいつ頃あの看板の裏に置かれたのかもわからない。もしかすると1年、いやもっと前からずっと通行人に無視され続けてきたのかもしれない。しかし私はその存在に気づき、手に取り、聴いて、今このテキストにまとめている。何処の誰かもわからない「東洋ハードコア」なる芸術を標榜する音楽家の行為に、私はたしかに操られている。これは非常に原始的な楽しみだと私は思う。誰かが儀式的に積み上げた貝殻を砂浜で発見した時の気分に近いものがある。現代における「作品」とは、「誰が作ったのか」「どんな作品なのか」「いつどこで手に入るのか」という広告情報で何重にも包装され、実はその作品の本質がぼやけた状態で我々の手に渡ってくる。しかし、東洋ハードコアのカセットテープはFoodSaverの透明な薄いビニールで雨風を凌ぐための包装しかされていない。それはつまり「作品」と「受け取り手」が互いになんの情報も持たずに突然対峙するということだ。情報があるのが当たり前の今の世において、このような体験をさせてくれたことには感謝したい。
10年後にも「達磨芸能10000」が発見されることを私は陰ながら祈っている。
なんか情報あったら私のTwitterにリプください。
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