両親の児童虐待から生き延びた18歳が伝えたいこと

 それは、一生涯続くのだと悲観していた。自分の体に傷を刻むことがやめられなかった16歳の春。外の世界と隔離された病院生活。“あなたは病気だから”周囲の人の眼差しが物語る虐待への軽視に傷ついた16歳の秋。

信じてもらうことに必死だった。

 私は単純な話をしている。

・下着が1週間替えられない

・相談しても食費を渡してもらえない

・炊飯器のお米が3日近く放置されたままで、黄色くカピカピになっている。食パンは、常温保存でカビがはえている。冷蔵庫には食べられるものが見当たらない。ヨーグルトを食べたら”それはお姉ちゃん(長女)と食べようと思ってたのに、勝手に食べたんだね“とキレられた

・私は持病でバイトができない

・シングルマザーの母は精神的に不安定、言うことがコロコロ変わる、正常な判断が難しい

この状況を学校の先生も、スクールカウンセラーも、生活困窮者支援の行政窓口も、かかりつけの精神科医・ソーシャルワーカー・閉鎖病棟の看護師らも知っていた。

誰も通告をしなかった。

誰もおかしいと思わなかった。

だから、耐えかねて自分で逃げ出した。

本当は円満に解決したかった。何度も親や姉や支援機関の大人と話し合った。けれど、そんなことを言っていられるほど世の中は甘くなかったよ。

交番でおまわりさんにうち明けた。警察署に連れて行ってくれた。児童相談所に行こうと言ってくれた。児童相談所で夜ご飯を食べた。職員さんが買ってきてくれたから揚げ弁当。なによりも嬉しかった。あたたかくて、涙が溢れる。

一時保護所でも、保護委託先の閉鎖病棟でも、たくさんつらかった。

主治医には、“どうして警察なんかに相談したんだ”と散々責められた。自分が感じた苦しさ、痛みは間違っていたんじゃないかと悩んだ。

それでも、私は今生きてる。

未来のためにできること、児童虐待の環境から救うこと、それはまず目の前の子どもの話を信じることだと私は思う。


#未来のためにできること

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