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アウグスト・ランドメッサー


この写真は1936年6月にハンブルグ港の軍艦進水式で撮影されたもので、当時はヒトラーを迎えての盛大なセレモニーだったそうです。群衆の中でひとりだけ「あのポーズ」をとっていない男がいます。この男の生涯についての記事が興味深いものでしたので、皆さんにご紹介したいと思います。

 男の名前はアウグスト・ランドメッサー、当時26歳。この写真の数年前までは他の国民同様、熱烈なナチス支持者で党員登録もしていました。自身が失業を体験していたため、ナチス政府の失業対策を始めとする経済政策に感動していたのです。

 しかし1933年にイルマ・エックラーという女性と恋に落ちてからは、ナチスのイデオロギーに疑問を抱くようになります。二年後、役所で結婚申請を却下されたのは、イルマがユダヤ人だったからです。その直前にニュルンベルグ法(ユダヤ人から公民権を奪い取った法律)が制定され、ユダヤ人との結婚が禁止されていました。ナチス党は法律を犯そうとしたアウグストを除籍し、アウグストはナチス党に失望します。

 同じ年に二人の間に女の子が誕生しましたが、ユダヤ人との間に子供を持つのは法律違反です。アウグストはデンマーク移住を決意、まず単独でデンマークに移動して住居が決まり次第、妻と娘を呼び寄せる計画でした。しかしデンマークとの国境近くでゲシュタポに見つかり、「アーリアの血を汚した」かどで逮捕されます。アウグストは二度とイルマに会わないことを条件に釈放されましたが密会を続けます。この写真はハンブルグの造船所で働いていた当時のものです。イルマは1937年に二人目の女の子を出産、それが発覚するとアウグストは強制労働所に移送されて3年間の強制労働に従事、その後は召集されて戦死しています。イルマは強制収容所に移送されたのち、1942年にガス室で殺害されていますが、子供たちは奇跡的に施設や祖母のもとで戦争を生き抜き、ある家族の養子になりました。

 娘のひとりが後にこの写真は父親であると確信し、それからアウグストとイルマの生涯が悲劇として語られるようになりました。

 悲しい話ではありますが、たった一枚の写真がこれほど多くを語る奇跡に驚きです。苦労の多かったであろう娘たちのその後の人生において、この写真がどれほど大きな意味を持っていただろうと想像します。

妻のイルマ・エックラー
1938年、アウグストが強制労働所に収容される直前、家族そろっての最後の写真
イルマがゲシュタポに連行される直前
長女のイングリット

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