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ドイツ基本法第102条「死刑廃止」条項

1949年にドイツ連邦共和国基本法が制定され、報道の自由、デモの自由、集会の自由、公正な裁判を受ける権利、信教の自由など、基本的な権利が法的に保障されることになりました。しかし、第102条「死刑は廃止する」の条項は、簡単に生まれたわけではありません。

 その当時の新聞社のアンケート調査では、西ドイツ国民の74%が死刑制度に賛成していたのです。彼らの多くは「ヒトラー政権下で死刑があまりにも頻繁に、あまりにも恣意的に行われてきたことが問題だったのであり、死刑制度そのものが悪なのではない」と感じていました。

 実際、ナチス政権下では16,000人以上に人民法廷、特別法廷での「正当な」法的手順を踏んで死刑判決が言い渡され、処刑されました。処刑法は手斧、ギロチン、絞首刑が主流で、十数人の死刑執行人によって行われ、彼らはかなりの高給取りであったそうです。

 しかし、ヒトラーが夢見た「千年帝国」は終焉して町は瓦礫と化し、国民は連合国に罪悪感と恥辱を押し付けらていると感じていました。終戦からドイツ連邦共和国建国までの間、連合国による裁判で1000人以上の死刑判決が下されましたが、実際には執行されたのは24人でした。また、1945年から48年にかけてのダッハウ裁判では、元SS(ナチス親衛隊)426人の死刑判決のうち268人が処刑されています。つまり、国民の多くは「すべてはナチスの仕業であり、我々を騙した罪は重いのだから死刑は当然」と感じていたのです。

 しかし、当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)の多くの政治家は違う考えでした。1948年9月、ボンに議員団が集まり、ドイツ連邦共和国基本法の作成に取り掛かりました。死刑反対派は「死刑は国家による人間の殺害」であり、「生きる権利を侵害」している。よって、「死刑制度廃止こそがヒューマニズムの再生への道」であると主張しました。その結果、47票対15票で死刑制度廃止が決定し、102条が生まれたのです。

 しかし、東ドイツでは引き続き死刑は執行され、1949年から81年までの間にギロチンや銃殺によって164人が処刑されました。1981年にヴェルナー・テスケがライプツィヒで「重大な反逆罪」 により銃殺刑に処されたのを最後に、1987年には東独でもようやく死刑が廃止されることとなりました。

 現在、EUに加盟できる国は死刑制度を廃止していることが条件となっています。1949年当時のアンケート調査とは異なり、現在は圧倒的多数のドイツ人が死刑を否定しています。もはや死刑廃止条項102条のないドイツ連邦基本法は考えられないでしょう。


1948年のドイツ連邦共和国基本法作成会議。女性議員はどこ?

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