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マザコンをバカにできない

私の母は劇的に料理が下手だった。ハンバーグを作れば黒焦げ、餃子は中身が飛び出し、唐揚げはほぼ素揚げ。買ってきたお惣菜ですら母が盛り付けるとマズくなる始末。つまり盛り付けも料理ということなのだろう。そんな母の料理(スーパーのお惣菜を多く含む)で私と姉は育った。共働きだった母があんなにも苦手な料理を子どもたちのためにやり遂げた根性には、今となっては感謝と尊敬しかない。

お弁当の時間はなかなかの苦行だった。ただでさえ下手な料理が何時間も小さな箱に詰めこまれ、子どもが奔放に運ぶとなれば、フタを開けて広がる景色は容易に想像できると思う。中でも卵焼きは、こんな難しい料理はないんだぞ!と語りかけんばかりの姿だったため、初めて自分で作ったときにはその簡単さに混乱すらした。

「母」「お弁当」「美味しい」というワードを私の脳内検索にかけて唯一ヒットするのは「運動会のお弁当」だ。母が作る運動会のお弁当は、炊き込みご飯のおにぎり、おいなりさん、唐揚げ、スコッチエッグ(ハンバーグ生地にうずらのゆで卵を入れてパン粉をつけて揚げたもの)、ウインナー、うずらの卵とミニトマトとキュウリを爪楊枝にさしたもの、デザートには鳥取の祖母から送られてきた梨とホットの甘いミルクティー。お弁当は「昭和」「タッパーウェア」「四角」と検索すると必ず出てくる緑のタッパーに、ミルクティーは「昭和」「魔法瓶」「花柄」のポットに入っていた。両親が引越しの際に処分したらしく、それらが1つも残っていないのがすこし寂しい。スコッチエッグという妙に凝った料理を選んだのは母なりのオシャレ感だったのだろう。得意だから選んだわけではないことは言うまでもなく、唐揚げは相変わらず衣をまとっておらず、ミルクティーと梨はマッチしているとは言い難かったけれど、姉の代から11年間も全く変わらずそのメニューだった。

いつもより見た目も中身も充実していて特別感があったし、外で食べるお弁当は美味しかった。お昼休みの日陰には気持ちの良い秋の風が吹いていて、運動が得意だった私は午前の部の自分の活躍にホクホクしながらあったかいミルクティーを飲んだものだ。思いのほか冷えた身体を温め、午後の活躍に向けエネルギーをチャージする、毎年恒例のお弁当の時間。

あれから20年。昔は乙女、今は太めな私は結婚し、夫が専業主夫をしている。彼は今から帰るよと電話をすると玄関の鍵を開けておいてくれる。頼んだことはもちろんない。鍵を使わず「ただいま〜」とドアを開けると家の中からは晩御飯のいいニオイがする。鍵っ子だった私にそんな日常はなかったはずなのに、子どもの頃に戻ったような気持ちになる。ハンバーグは焦げていないし、私の疲れを察知すると作ってくれる唐揚げはサクサクの衣をまとっているのに。

いまの私は、妻に母を重ねているという理由でマザコンだと煙たがられる世の夫たちを笑うことができない。母の思い出とは別の、母親の感覚。母という存在を恋しく想う気持ちには、子供時代へのノスタルジーが含まれている。それはファザコンでも同じなんだと思う。母性や父性というものは否応なく皆が持っていて、性別に縛られるものではないのだと夫に教えてもらった。

不完全ながらも慈しみ育てられた記憶が蘇らせるのは、生きることの楽しさにも似ている。分からないことがあることに不安なんてなかったあの頃。

誰かと家族になったとき、役割を分担するのではなくそのつど自分を発揮しあい、自分のなかの子供は自分で愛でたり労ったりしながら暮らすことって世界平和への道な気がする。ちょっとずつだけど大げさではなく。

仕事を引退し孫が生まれてから、母は料理に興味が出たらしい。教えてもらったネットのオススメレシピや動画をみながら、難しい顔で台所に立つ母は可愛い。絶対アレンジしてはいけないと念を押してはいるが、時々ありもしない勘を働かせている。最近は少しずつ美味しい料理を出すこともある。科学の進歩はあの母をも料理可能にするのか、すごいなぁ、と感謝しながら甥っ子と飲むミルクティーは今日も甘くあたたかい。

#結婚 #マザコン #エッセイ

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