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小説書きのひとりごと2|涙は最高のスパイス!?|

桜色に街が染まるまで、私が暮らすこの北国では、あと一か月というところだろうか。ちょうど一年前の今日、この記事を書いた。

もっといい小説を書きたくてたまらないという思いは、一年前と変わらない。公募用の長編小説を書きながら、リアクションを頂けるnoteで短編をたくさん書いた。でも理想には程遠いのである。

様々な媒体に意識的に触れることで、視界が開けたから、自分の至らなさに気づけたのかもしれない。この一年、読書と同じくらい、映像作品を集中して観た。

特にアニメのプロットからは学ぶことが多かった。モノローグはあれど、アニメは基本「三人称・神の視点」で描かれている。それは映像だから可能になるもので、小説に落とし込もうとすると、違和感になることもある。けれど、「自分の目で見たものしか見えない」制約から脱却するとことで、周囲の風景や、人物の描き方を学べた。

アニメからはキャラクター設定を積極的に学んだ。文章表現の中に、いかにしてキャラクターの外見や性格、仕草を織り込んでいくか、考えるだけでかなり楽しい。

着想が降りてくる瞬間は尊い。
スイッチが入ると、某有名曲のように、「すべてのことはメッセージ」という感覚になる。「え? 今降りてきちゃう? あわわ」と、スマートフォンのメモを慌てて開く瞬間が、この先もどうか絶えず訪れますようにと願ってやまない。

さて、表題の「涙は最高のスパイス!?」について語っていく。
私は泣き虫である。
すぐ感動して、すぐ共感して、すぐ愛しくなって、すぐ傷ついて、すぐ悔しがって、すぐ悲しくなって、よく泣く。
私はエモーショナルな人間だ。

その私が、しばらく泣いていなかった。
単純に、忙殺されていて、泣く暇がなかった。

しかしだ。昨日、帰宅すると、そのときは突然訪れた。
きっかけは、思うように仕事ができなかった、自分への悔しさだった。
かれこれ三か月くらいはまともに泣いていなかったから、涙のビッグウエーブの到来となった。

二時間半は泣いた。とても悔しくて、悲しかった。いまでも涙のタンクの水面は揺れている。

泣くのは悪いことではない。むしろ私は、涙の効能を再認識した。泣いたことで、感性がより繊細に、鋭くなっているこの状況は、創作には追い風となる。必ずなると確信している。自分の感情が揺れないと、登場人物の感情の揺れを描くことはできない。少なくとも私の場合はそうだ。

社会を生き抜く上では、感情むき出し状態は危険である。容易に傷ついていたら、身が持たない。けれど、自分自身と向き合う創作においては、自分の中の若芽を、柔らかいまま、育てていくことが大切なのだと思う。

私は、辛い状況にある人に、ほんのひと時でも寄り添える、防風林のような小説を書きたい。自分が、そのようにして小説に救われてきたのだから。

単なるエゴに過ぎないと片付けられてしまうかもしれない。けれど、一度きりの自分の人生だもの、自分に嘘をついていたらもったいない。堂々と、自分に正直に生きていこうじゃないか。

ああ、本棚から本があふれ出している。私を支えてくれる、大切な本たちが。

棚が足りない。この春新調しようか。


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このエッセイは、小牧幸助さまの企画に参加させていただいております。
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小牧部長、このお題2作目はエッセイを書きました!
発表の場に感謝いたします。

#シロクマ文芸部

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