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四神京詞華集/NAMIDA(3)

【怪人と説教】

○蝮山・中腹
ハッとなる慧子。
空はうす曇りとなっている。

慧子「卑奴呼……広澄様……」

慧子、立ち上がろうとするも、膝が痛くて立てない。

慧子「二人共どこで何やってるのよ」

と、草むらから一匹の子鹿がこちらを見ている。
慧子、少し頬を緩め、手を差し伸べてみる。
だが鹿は近づこうともせず、からかうように辺りをうろつくだけ。
慧子の顔に次第に怒りが宿る。

慧子「何笑ってるのよ」

草と遊ぶように跳ねまわる子鹿。

慧子「笑うな……笑うな……笑うな!」

と、慧子の後ろから一閃の矢が飛び、鹿の首を貫く。
同時に無数の猪が四方より現れ、慧子と鹿をぐるぐると取り囲む。
慧子も鹿も悲鳴を上げ、その場に倒れ、動けない。

「静まれ!」

猪たち、二匹の獲物を見据えたまま歩を緩める。
と、巨躯の者が林の中から現れる。
まず慧子の目に留まったのが大胸筋である。
美しい、というより若々しい、というよりみずみずしい。
汚れた表袴、獣の毛皮を腰に巻いただけのその半裸裸足の男の肉体は、それでもなお仏像のように上品で美しかった。
また驚くべきことに、何とその顔も仏像だった。
慧子は男の被っている面をどこかの寺で見た事があった。
確か薬師仏を守る神将のそれであろうが、十二体のうちのどれかまでは世俗の郎女に分かろうはずもない。

「まだ生きておるか」

巨躯の男の背中から、今一人男が顔をのぞかせる。
雰囲気だけは堂々たるものだが、顕現した天部神将のインパクトに比べればひどく貧相に見える。
声の主はこっちの男らしかった。
武の礼冠、袍の上から裲襠を羽織ったの男の顔にもまた面が、こちらは雑面という子供の遊び道具のようなそれが適当に付けられていた。
腰に剣まで差しているその姿は近衛大将級の装束ではあるが、左様な高貴な武官がこんな時間に山中で狩りなどしているはずはない。
大体が狩りならばそれらしい装備を纏うが高貴なる者のたしなみである。
さらに異様にも、男はとても長い朱の襟巻を首から下げている。
たしなみどころではなく、恐らくはその装束が彼らの一張羅であろう。
つまりは、盗品。
慧子は統一性のない衣装を纏う謎のコンビの正体を悟った。

慧子「……盗賊」
雑面の男「なに?」
慧子「あ、いえ、何でもありません! どうか命ばかりは」

慧子、逃げようとするも腰が抜けて動けない。

雑面の男「……ふん」

雑面の男、慧子を無視して鹿に歩み寄ると辺りに落ちていた木切れを拾って鹿の頭を割る。
鹿は「ピャッ!」と短く叫んで、死んだ。
天部面の男が軽々と鹿を抱え去ってゆく。
雑面の男も木切れを放り投げ平然と続く。
その余りの無慈悲さに慧子は思わず呟く。

慧子「ひどい」
雑面の男「……」

慧子はふと手を合わせて、お経を唱えた。

慧子「のうまくさまんだぼだなんばく。のうまくさまんだぼだなんばく」

雑面の男、
歩みを止め、
慧子に近づき、
見下す。

雑面の男「やめよ」
慧子「……」

雑面から除く黒目が仰々しい数珠を睨んでいる。

雑面の男「経は鼻歌ではない。山は貴族の遊び場ではない。子鹿はおなごの友ではない。そして我は盗人ではない」

雑面の男、慧子に背を向ける。

雑面の男「馬鹿女めが」
慧子「!」

慧子の顔色がみるみる赤くなる。

慧子「のうまくさまんだぼだなんばく! のうまくさまんだぼだなんばく! のうまくさまんだぼだなんばく!」
雑面の男「黙れ!」

慧子、経を止めるも雑面の男を睨み続ける。

雑面の男「釈迦の名を千遍万遍唱えようと何一つ誰一人救えはせぬ! 千遍否万遍否だ!」

と、天部面の男が雑面の肩を軽く叩く。

雑面の男「……分かっておる。小娘にものの道理を教えてやっただけだ」
慧子「釈尊の御真言を知っているとは、ただの盗人ではないようですね」
雑面の男「クククッ……ただの盗人やも知れぬぞ」

雑面の男、太刀に手をかける。
慧子、震えつつも、怯まない。

慧子「て、撤回しなさい」
雑面の男「なに?」
慧子「馬鹿女という言葉、撤回して謝りなさい」
雑面の男「……」

雑面の男、太刀を収める。

雑面の男「ひとつ聞く。汝(なれ)は何のために手を合わせた。まさか、己ひとりの無事を祈るためではあるまいな。万民を救済する仏の力を、よもや小賢しき延命に使うたのではあるまいな」
慧子「侮らないで下さい。子鹿を哀れに思うただけです」
雑面の男「哀れだと」
慧子「左様です! そう、これは釈尊の教え。慈悲の心。倒れたる獣を有難くいただくことはあっても、わざわざ殺めてはなりません。まして甘く柔らかいというだけで幼き命を奪うは餓鬼道の所業にて……」
雑面の男「もうよい。聞いた我が愚かであった」

わざとらしく大きなため息が、雑面を揺らす。

慧子「……偉そうに。呪われし禍人(マガビト)の分際で」
雑面の男「ほざいたな」
慧子「ほざきます。もう、謝るまでほざきます! 顔を隠すは禍人が証でしょう! 私には御仏のご加護あります! 怖くなどない! この頭の中には大唐帝国の文化が、釈尊の教えが、慈愛と道徳が叩きこまれているのです! 汚らわしい盗人などちっとも怖くはありませぬ!」
雑面の男「汚らわしい……我を汚らわしいと申したか!」
慧子「そっちこそ馬鹿女って言ったこと謝りなさいよ!」

睨み合う慧子と、雑面の男。

雑面の男「……すまぬ」
慧子「……」
雑面の男「馬鹿女とは乱暴な言いぐさであった」
慧子「私こそ盗人などと」
雑面の男「形ばかりの薄っぺらい異国かぶれの頭の悪い貴族の女と正確に言うべきであったさほどに釈迦の慈悲が叩きこまれているならよりよく食いよりよく生きるために腹を括って殺生をしている者の傍らで訳知り顔の念仏を唱えるなどという無意味で嫌味な真似をせずさっさと高いところから飛び降りて虎の餌にでもなるがいいこの無知蒙昧の小娘がああああッ!」
慧子「なんですってえええええッ!」

と、天部面の男、手刀で雑面の後頭部に一撃を喰らわす。

雑面の男「ピャッ!」

天部面の男、鹿を放ると、代わりに雑面の男を背負い、今度こそ山を下りてゆく。

慧子「……」
天部面の男「ゴメンね」
慧子「え?」
天部面の男「その鹿、埋めてあげて」

慧子、天部面の奥から発せられた余りにも弱々しく若々しい声に驚く。
そして、あの夢を思い出す。

○(フラッシュ)洞窟
仄かに光る、骸だった男の美しい肉体。

○蝮山・中腹
慧子、思わず天部面に問いかける。

慧子「あ、あの。お名前、いえ、お二人は何者なんです?」
天部面の男「……」
慧子「もし穢人でも禍人でもなく本当にお公家様なれば、大変失礼を」
天部面の男「きっと、もう二度と会う事はないよ」

天部面、雑面を抱えて林の中に消える。
猪たちも散ってゆく。
残されたのは子鹿の亡骸と慧子。

淡子の声「獣しかおりませぬよ。この世には」

つづく

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