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四神京詞華集/NAMIDA(5)

時は金なりというが、はっきり言って金銭とは比べ物にならないほど人生にとって時は一番大切なものである。
どんなに座席が快適でも同じ乗り物に乗る限り到着時間は白も青も一緒。
ゆえに本当のセレブはプライベート○○を使用する。
そしてその延長線上に昨今の電話離れがある。
電話とは相手の空間にどかどかと踏み込んで、彼や彼女を拘束しその時間を一方的に奪うもの。
だから未来を生きるビジネスパーソンさん達の間では電話を使う人間は信用されなくなっているそうだ。
正直、既にメールすらもキッツイらしい。
非LINE人間としてはつらいところだ。
それをふまえて、思うに。
非効率的で時間の無駄の極致ともいえるハンコの不要論などは今後もさらに推進され、多分将来この国から消滅するだろう。
などどいうことはいくらなんでも飛躍しすぎな意見だよチミィ(死語)
という人間はまだまだ過半数に至るのだよチミィ(死語)
とは一概には考えづらいほどに、押印なるものはそれを使用するバーコードやチョビヒゲ達ともども遠からずその役割を終える。
のか?
各地方の有力者が統合団結し、恐らくゆるやかに王権を築き上げたであろう「和をもって尊し!」となすかの国の歴史において(幾人かの例外を除き)支配者の役割は『判断』ではなく『ただただ承認』のみが推奨されるものであった。
この和をもって尊しな民族への承認における説得力、言い換えれば権威なるものをビジュアル的に『魅せる』にはハンコという、印象第一の妙に観念的なアイテムが最も効果的であろうことは、デジタル社会の只中にあっても印を押しては納得し印を見ては安心し印を顧みては後悔する国民の、ある意味時代錯誤である意味呪縛的ともいえる印影への妄信安心恐怖心を見ても明らかであり、果たしてミミズが這った様なサインや画像やデータ等に対し仮に「その方がより正確な証明になるんですケド(笑)」と柔らか頭の意識高い系の方々が百万言を駆使してレスバし、それでも納得しない者はもう十把一からげに老害乙だのクソだのと切り捨てて論破を気取りいかに勝利宣言をしようと、書きなぐったサインやパシャッと撮った画像という実存のみに一切の不安を感じる事なく財産不動産などの責任を委ねられるほどスマートかつクレバーな者が現在、隠居や現役世代はもとよりフレッシュマン(死語)を含めてどれほどいるのであろうか? あるいはそういった観念や印象に一切よりすがることなくただただ効率的な手段にのみに従属できる迷信的な刷り込みから解き放たれた世界標準新世代様の台頭を待たなければならないのであろうか?
全ての非効率からの解放。
呪術の園より旅立ち、ひたすらに現実の茨だけを踏みしめる。
はたしてその味気ない未来をかの国の人々は欲してゆくのだろうか。
印章よりも信頼できる素敵な価値のアイテムを発明できるだろうか。
(※)
と、ここまでの文言は三年前に書いたものであり、現在私も含め国民の大半は素敵なアイテムの発明どころか、単に鼻先にぶら下がった数万円分の人参でいとも簡単に個人情報の提供と効率的手段の推進を甘受してしまったのであるが。
まあ、ここから先はファンタジー。
あくまでもかの国。
今とは別の時、別の時代のお話である。

【不比等を継ぐ男】

○四神京・鳥瞰(朝)
青龍峰の冠から日輪が上る。
都の碁盤をあまねく照らす。
開門の太鼓が一度、二度。
音は徐々に大きくなり、二十四度目が高らかに響くと同時に、中央政庁たる四神宮と外を繋ぐ全ての門が一斉に開く。
それを合図に紫袍の貴族から地下貴族、僧侶、学者、伎楽者、雑任まで全ての役人がおのおのの仕事場へと向かってゆく。
その数、一万。
倭の国であり、我の国であり、輪の国であり、和の国だった縄目文様の未開の部族達は、海を越えた自称世界の中心、中華大帝国の影響を受け、律令と仏教という文字を用いたテクノロジーを輸入し発展させて、一つの国の家族になった。
彼らは自分たちの国の家を、日本と名付けた。
日本の統治者は、地に降り立った天の孫の末裔『帝』の一族である。
だが天孫の末裔は印というアイテムを用い集団の意見を神の名を以て承認するだけの存在であり、先ほども述べたように実質国の政を動かしているのはあくまでも人の集団だった。
八つの省からなるその組織の名を太政官という。

○朝集堂院・中(朝)
冠から背まで垂れた纓は昨今貴公子たちの流行であり、老いたる貴族たちにとっては苦々しさと忌々しさの象徴であった。
さらに彼らは一様に袍の脇を開き、動きやすくしている。
頭は文官、体は武官の装束。
それが彼らの心意気。
そしてスローガン。
つまりは「いつでもやったんぞ」系エリートである。
彼らのファッションリーダーにしてマインドリーダー、大極殿に名を轟かせる若きカリスマ橘諸人は皇族の血を継ぐ超上級貴族であり先日偉大なる祖父の名を継ぎ『並ぶもの無き男』不比等を名乗っている。

不比等「百永(ももなが)は今日も欠勤か」

不比等の周りにはいつも彼と色違いの、しかし同じようないでたちをした、ちょっといかつい貴公子たちが取り巻いている。
今後も度々出てくるであろうこの一団を、革命予備軍『四神の翼』と呼ぶ事にし、重要な出番の来るときまでは作者の情報整理の都合上オールインワンで一翼、二翼などと名付けておく。
まあそのうち余裕が出てきたら個性も見えてくることだろう。

一翼「お立場がお立場ですから」
不比等「まあ時が来れば存分に働いてもらうこととなろう」
二翼「しかしああも欠勤を続けてりゃ、大臣どもに何かと目をつけられませんかね?」
不比等「その辺りは上手くやっているだろうさ」
二翼「かような放蕩者でも藤原直系の後継者というわけですか」
三翼「煮ても焼いても食えぬ男です」
不比等「そう褒めてやるな」

不敵に笑う若き貴公子たち。
特に、参議橘不比等はおよそその職務に全く必要のない剣を差している。
かつて、謀反を企てた父をその手で討ち、家名を存続させる証として帝から賜った節刀である。
本来みかど印のその剣は役目を終えれば主に返納すべきものだが、現在諸々の理由でそれは成されておらず、彼自身もこの太刀の効果を最大限に利用中であった。

不比等「では今日も参ろうぞ。戦さ場へ」
翼たち「戦さ場へ!」

と、拳を合わせる彼らに、恐る恐る若き公達が近寄る。
紀広澄である。

広澄「橘不比等様にございまするか」
一翼「誰ぞ!」
広澄「こ、此度参議に上ることとなりました紀広貞が嫡子広澄と申します。何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」
不比等「勤めよ」

歯牙にもかけず去ろうとする不比等。
若き広澄は憧れのマイリーダーを必死で引き留める。

広澄「さ、先ごろ我が宴へ橘の姪御様にお越しいただきました!」
不比等「で、あるか」
広澄「可憐な郎女様なれど学識深く、改めて皇家血統の底力なるものを感じ入りました」
不比等「で、あるか」
広澄「不比等様の御高名は父を通じてよく耳にしております。男子たるものかくのごとくあらねばならぬと。橘家も紀家も代々都に近しい貴族。私も、昨今のさばる地方豪族ばらより寧楽の品位を守るべく」
不比等「若き参議候補よ。一つ言い渡しておく」
広澄「は?」
不比等「血筋、縁者、父の名、全て我らには不要なものだ。俺が必要とするは才覚のみ。新たなる時代に名を刻みたければひたすら研鑽を積め。武芸を磨け。未熟者に宴を開く暇などないと心得よ」
広澄「は、はい」
不比等「その名を上げればいつか俺の方から頭を垂れてそなたの力を求めるだろう」
広澄「ははーっ!」

と、また一人貴族が入って来る。
こちらは大量の書を抱え、緑の袍を纏った初老の貴族。
文章博士にして慧子の父、菅原石嗣。
ふと、広澄の緊張が解ける。
相手が格下ゆえか、未来の義父と認めるゆえか。
それとも博士が単に貧相な中高年であるゆえか。

広澄「これはこれは石嗣様」
石嗣「……失礼ですが(御名を)」
広澄「紀広貞が嫡子広澄にございます」
石嗣「おはようございます」
広澄「何度も御挨拶しておるのですが」
石嗣「左様でありましたかな」
広澄「左様でありますよ。ははは」

軽口を叩く若き広澄。
だが不比等と翼たちは、石嗣に深々と頭を下げる。

不比等「お早うございます」
翼たち「お早うございます!」
石嗣「おはよう」
広澄「お、お知り合いで?」
三翼「知り合いだと? 貴様、無礼であろう」
広澄「申し訳ありません! 偉大なる不比等様に対し」
不比等「逆だ」
一翼「不比等様も我らも石嗣門下。大唐帝国の文化は全て先生より教わったといっていい」
二翼「かの吉備真琵様か石嗣様かと言われるほどの御仁なんだよ」
広澄「左様な話、慧子どのからは一言も」
不比等「慧子殿とな。その方こそ石嗣先生とお知り合い、であったのか」
広澄「姫君とは今年に入ってより、よしみを通じさせて頂いております」
石嗣「娘を宜しく」
広澄「ですから何度も御挨拶しております。それに慧子どのとはあくまでも男女を越えた友の如き間柄にて」
石嗣「そうですか」
不比等「はっはっは。相変わらず先生は学問以外は何ひとつ心を動かされませぬな」
一翼「今帰られるということは、また夜通し勤めておいででしたか」
不比等「先生。今後の議定に文章博士の地位向上をあげておきました。近くその任官を五位以上に引き上げてごらんにいれます」
石嗣「左様か。これで肩の荷が下り勉学に勤しめる」
二翼「逆ですよ。不比等様は『先生ごと』位を引き上げようとしておられるんです」
石嗣「ふむ。それはまた忙しいことになりそうだ」
不比等「上級貴族となれば泊まり込みで仕事をする事もありません。されど才ある者は誰であろうと活躍してもらいますぞ。勿論、よりよき環境にて。それもまた我が革命のひとつ」
石嗣「玉座に帝のおられぬうちにか?」

石嗣、不比等の剣を一瞥する。

不比等「……まさか。もっともいささか急を要しますゆえ、斯様なおりなれば内印のみ賜れば裁可は下るものと。まあ、よろずお任せ下され」
石嗣「不比等様。以力服人、覚えておいでかな」

不比等の笑顔が消える。

不比等「広澄卿」
広澄「え? 私? ええと……」
不比等「もういい。力を以て人を服するを、威服。徳を以て人を服するを、心服。前者は覇者にして真の王者にあらず。王者は心服たらしめるべし。常々肝に銘じておりまする。では」

不比等、頭を下げて出てゆく。
そして背を向けたまま高らかに吠える。

不比等「されど千万人といえども我往かん!」

石嗣、不比等の背を見てぼんやり呟く。

石嗣「この地がとこしえに寧楽たらんことを……」

と、一人の衛士が駆けこんで来る。

衛士「石嗣様! 一大事です! ただちに館へお戻りを!」
石嗣「どうした」
衛士「姫君が! 慧子様が!」

(つづく)

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