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四神京詞華集/シンプルストーリー(8)

【オミズノハナミチ(後編)】

さて、遅れをとっているのは宴の花の乙女たちだ。
しかしそこはそれプロフェッショナルとして内心はどうあれ笑顔を崩さず、それでいて女として確実にチクチクと攻めに出はじめる。
白面酒房は宴の園。
宴の園はもちろん、女の戦場である。
「自分、先陣(ブッコミ)いきます!」
とばかりに口火を切ったのは菜菜乎だった。

菜菜乎「でもナミダちゃんってさあ。本当に禍人なの?」
ナミダ「そうですわよ。私、かなり呪われてますわよ」
菜菜乎「その割には明るいよね~」
ナミダ「まあ、何事もお勤めは完璧にこなす主義ですので。宴の席で陰気な顔をするなど田舎者の証ですわ。おほほほ」

忌々しい呉女の面が学もなければ洒落っ気もない自分を嘲笑した。
そんな気がした菜菜乎だった。

菜菜乎「ああそうね。思い出したわ。確かに禍人だったわね。悲しいほどに辛いお顔だったわ」
乙女1「そういえば菜菜ちゃん、見たんだっけ?」
菜菜乎「はい。ゴメンね~ナミダちゃん。この話はこれでおしまい」

菜菜乎はわざとらしいほどに大仰な憐憫を込めてそう言った。
だがナミダは偽りに満ちた彼女の助け舟を飄々と拒絶すると。

ナミダ「むんがあっ!」

気合(ファイト)一発、呉女面は主の意志により真っ二つにかち割れた。

乙女達「ひいっ!」

ほとんど脊髄反射的に悲鳴を上げる乙女達。
お客も思わず顔を背ける。
が、面の下から現れたのはおぞましい鬼の相貌などではなく、紙に描かれた穏やかな釈迦の尊顔であった。
ナミダは面の下の顔にあらかじめ紙を貼りつけていたのだ。
いつ、酔いに任せた馬鹿男どもに面を取れと脅されてもいいように。

ナミダ「呪われるもまた徳を積むものと覚悟しております。ゆえに、斯様に悟りを開きましたわ。おほほほ」

思わぬサプライズに盛り上がるお客たち。
先輩乙女たちからも思わず笑みがこぼれる。
主導権は再び毒キノコへ戻ってしまった。
まあ、内心はどうあれ今宵はビギナーズラックとばかりに主役の座を譲ってあげる乙女たちに比べて、直の先輩でもある菜菜乎はあからさまに顔をひきつらせ押し黙る。

本日のお客1「まこと面白き宴の花よ!」
本日のお客2「呪いが解かれた暁には身受けしてやろうぞ! どうだ、身の上くらいは話してみせい」
乙女1「実は私達もナミダのこと何も知らないんですよ」
乙女2「そうなんです。ちっとも話したがらないんです」
乙女1「何でもあの蝦夷穢麻呂の奴隷だったとか」
本日のお客1「蝦夷穢麻呂とな。噂には聞いておるぞ」
本日のお客2「この貧民窟を恐怖で支配していた白虎大王を討ち倒し、街にひと時の平穏を取り戻した男とか」
本日のお客3「ゆえについたあだ名が『祓魔師』」
ナミダ「え? 祓魔師ってそういう由来だったんですか?」
乙女1「知らなかったの?」
ナミダ「知りません。興味ないから」
乙女2「白虎大王は怪し気な呪術で人を操ったり殺したりしてたの。そんな化け物を倒したんだから、相当な験力の持ち主だって噂よ」
ナミダ「え? ただの噂なんですか?」
乙女1「実際どうなの?」
ナミダ「知りません。興味ないから」

いつの間にやら菜菜子を蚊帳の外にワイワイ騒ぐ都人たち。

菜菜乎「(まただ…)」

四神京に上って来てから大体がこうだった。
気付いたら菜菜乎一人が黙っている。
思い返せば因幡の田舎では、常に誰かが、そして誰もが持て囃してくれた。
竪穴暮らしの本当は身分卑しい自分を、このちょっと可愛らしい外見だけで老いも若きも男も女も蝶よ花よと愛でてくれた。
国分寺のお坊さんのお爺ちゃんなんてタダで学問まで教えてくれた。
理由、可愛いから。
それが都に来てからこの有様だ。
可愛い娘は大路に辻に幾らでも歩いている。
読み書きだって都人にとってはただの手慰みレベルだ。
藤原家に仕える身となっても、この異常に肥大したプライドと相反する抑えがたい劣等感が壁になり、菜菜子は孤立し、浮いていた。
そんな彼女が宵闇を遊ぶのに対して時間はかからなかった。
夫の帰りが連日連夜、或いは夜明けとなるのを幸いに。
衛士の目を盗み夜の街を徘徊することには、正直全く抵抗はなかった。
因幡の暮らしでは闇夜の森のむつみごとなど日常である。
やがて田舎娘は、自ら望んでこの傾城街に吸い込まれていった。
ここでこそ。
ここでなら。
それなのに。
なんという。
体たらく。
こういう時、菜菜乎の脳裏にはいつも一人の男の顔が浮かんでくる。
といより故意に浮かべるようにしている。
腹いせにするために。
脳内でサンドバッグにするために。
その顔は自分の夫である。
はやく夫であったと過去形で言いたいものだ。
嗚呼、おのれを襲う災いの元凶となった幼馴染のプロポーズ。
因幡国いちの美女にふさわしいはずの、因幡国いちの豪族の子弟。
誰もが祝福の影で地団駄踏んで悔しがったあの結婚。
それがである。
おらが村の御曹司久能保臣ともあろう男が上京したら一介の写経生とは。
その上、夫、いやヤツはこう言い放ったのである。
途方もなく朗らかに。

久能「四、五年も我慢すれば出雲での役職をいただく。そうすれば遠からず因幡国に戻れようぞ。親孝行ができようぞ」

ハア?
である!
この男、都での出世など毛ほども考えておらず、あろうことか田舎に戻って私に親の世話をさせようとしているのだ。
藤原家の召使いに身をやつすほどに金銭的に苦労をかけている妻に対して、「お前もそれを望んでるんだろ?」的テンションで。
阿保だ。
私は阿保の妻になってしまったのだ。
こうして菜菜乎は結婚後一年も経たずして、その身に待ち受ける悪夢の様な嫁姑地獄と、共に火達磨になる様な介護煉獄から逃亡するに至った。
どこで運命が狂ってしまったのだろうか?
いやもともとこういう運命だったのだろうか?
じゃあその運命、過去とともに吹き飛ばしちゃる!
歓楽街で宴の花として伸し上がり都会のエグゼクテイブ手に入れちゃる!
男のレベルによっちゃあ2号でも3号でもいい。
むしろそっちの方が気楽でいい。
菜菜乎、覚醒!
の、はずだった。
なのに……。

玉藻「菜菜乎。少し話があります。あなたの仕事ぶりと真面目さを見込んでの話。外の掃除が終わったら私の部屋へいらっしゃい」

そんな玉藻からの先日のお声がけも随分昔の、遠い言葉に思えてくる。
きっとあれは幻聴だったのだ。
現し世の耳に響いてくるのは酔っ払いどもの笑い声だけ。
ふいにまた呉女面と目が合った。
今後は夫の顔の代わりにこの面を思い浮かべ新サンドバッグにしよう。

菜菜乎「(まったく、禍人とはよく言ったものね)」

宴の中にすっかり埋もれ、硬直した作り笑いのまま黙りこくっているだけの菜菜乎は、ひとり全てに辟易していた。
     ×   ×   ×
丑三つ近く。
いつものように掃除片付けをしている菜菜乎。

菜菜乎「全く。どこいったのよあの呉女面。また厠か。また川辺か」

と、扉が開き、錦の胞を肩からかけた偉丈夫が入って来る。
冠に紫袍は相当な身分を、彫りの深い顔は明王を思わせる。
菜菜乎は少し悲鳴を上げ、しかし瞬く間に魅了された。
か、かっこいい。
た、たくましい。
み、みるからにエグゼクテイブ。

??「端女よ。玉藻はいるか?」
菜菜乎「あ、あの。もう閉店ですので」
??「分かっている。だから来たのだ。この俺が地下の有象無象と関わる様な漢(おとこ)に見えるか?」
玉藻「あら。黄門さま、お早いおつきで」

そう『男』ではない……『漢』!
静かに現れる玉藻に黄門と呼ばれた漢はカッカッカと高らかに、不敵に、猛々しく、はっきり言ってとても笑っているようには見えないほどの迫力で言い放った。

黄門と呼ばれた漢「頭が高い! 控えおろう!」

大変ながらくお待たせしました!
敵です!
こいつが最初の敵キャラです!
この漢こそ我らが蝦夷穢麻呂の前に立ちはだかる、いわば一面のボス。
その二つ名も悪黄門、蘇我有鹿(アルカ)にございます。
どうなる菜菜乎。
どうするナミダ。
ところで何やってる穢麻呂。
今後の展開、不穏しかないが、とりあえず四神京詞華集『お水の花道の回』これにて。

(つづく)

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