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四神京詞華集/NAMIDA(7)

【何でそんなことをしていたのだろうか?】

○菅原石嗣の館・書斎(二十年前)
山と積まれた書物や巻物、木簡に埋もれるように、ひたすら机上の人となり赤い注釈をつけている石嗣その傍らで眠る赤子の慧子。
貴族の声1「石嗣殿はいまだ出仕されぬか」
貴族の声2「仕方あるまい。奥方が命をかけ生んだ子が女子であったのだ」
貴族の声3「ご本人も気が楽になってよいのではないかえ? なにせ後添えをとるよりも学問というほどの変人ゆえのう」
貴族の声3「まあ石嗣殿の血が絶えても土師朝臣、野見宿禰の血は本家から残るゆえ問題はありますまいて」
貴族の声4「左様。所詮余人を以て代えられる程度の地下貴族よ」

泣きだす慧子。
石嗣は全てを一顧だにしない。
     ×   ×   ×
書の棚に手を伸ばす慧子。
だが『華厳経』『成実論』『中論』『百論』などの仏教の巻物から四書五経の書物まで数が膨大すぎてもはや何からどう手をつけていいか分からない。

石嗣「何をしておる」

部屋に入って来る石嗣。

慧子「申し訳ございませぬ」
石嗣「読めばよい」
慧子「え?」
石嗣「ここにある全て、気ままに読めばよい。そなたに理解できるのであればな」

去ってゆく石嗣の背を睨みつける慧子。
やがて目を落とすと一冊の本を目に止める。

慧子「べーだ。これは読んでんだよねー」

書物の一群から、魏志を何冊か手にとる慧子。

慧子「曹操かーっこいー」

慧子、寝そべって読みふける。

慧子「読書百遍義おのずからあらわる」
     ×   ×   ×
四年の月日が流れた。
慧子の隣で一緒に寝そべって巻物を読んでいる、というより巻物を読む慧子をながめている卑奴呼。

慧子「人は己も年をとるのに老いたる者を嫌悪する。人は己も病気になるのに病んだ者を避けて通る。人は己も死ぬのに亡骸を忌み嫌う」
卑奴呼「ですよねー」
慧子「釈尊は宮殿の四つの門から出たところ、東の門では老人を南の門では病人を西の門では死人を見ました。そして先ほどの三つの悩みに行きあたりました。やがて最後に北の門にて自分の生きる道を見つけたのです。問題、当時王子だった釈尊はそこで誰と出会ったでしょう。正解すればこの黄金の超慧子ちゃん人形を差し上げます」

黄色に塗りたくられた小さな木の傀儡をドンと置く慧子。

卑奴呼「ほしー!」
慧子「それではお答え下さい」
卑奴呼「助言。ちょっとだけ助言いいですか」
慧子「そうですね。釈尊ことシッタルダ王子の未来に関係があります。ではお書き下さい」

卑奴呼、木簡に筆を走らせる。

慧子「てーんてーんてーんてーん。てんてんてんてん、てんてんてんてん、ててーん。ててててん。どうぞ」
卑奴呼「はい!」

木簡に書かれた『かぶとむし』の文字。

慧子「ノノムラクン! 没収!」
卑奴呼「ノ、ノノムラ? 何かの呪文っすか?」
慧子「何で虫なの!」
卑奴呼「だって私ハクションさんの事よく知らないし」
慧子「シャクソン! てかこないだ三蔵くらい読んどいてって言ったよね。私が注釈を加えたやつでいいからさ」

慧子、一巻の木簡を突きつける。
赤い丸文字で書かれた付箋が括りつけられている。
『卑奴呼にも分かる三蔵経典・菅原慧子著』

卑奴呼「私、姫に読んでもらう方が好きなんだけどなー」
慧子「駄目。これからは文字の時代が来るんだからしっかり読み書きできるようにならないと。素晴らしいと思わない? 百年も千年も前の人と、こうして書物を通して対話できるんだから。人は死ぬけど文字は不滅なの。その不滅の力が国を、人を新しい時代に導いていくのよ。分かった?」
卑奴呼「わかりました!」

卑奴呼、自分の木簡に『こがねむし』と書く。

慧子「虫以外も練習しなさい」
卑奴呼「虫好きなんだもん」

と、中庭を通りかかる雑仕女。

雑仕女「卑奴呼! あんたはまたご主人様の書斎に上がり込んで!」
卑奴呼「す、すいまっせん」
慧子「私が呼んだの」
雑仕女「姫。その者は穢人の子なのですよ」
卑奴呼「どの穢人の子か分かんないけどね。ひひひ」
雑仕女「おつむもそんな感じですし、学ばせても無駄です」
慧子「貴族も穢人も中身は一緒。差別はいけないわ」
雑仕女「さような尊い仏の学問で国を導くは男の役目。女はその男を生み育てるのがお役目。そしてこの洗い物はあんたの役目!」

雑仕女、大量の洗い物を卑奴呼に突きつける。

卑奴呼「がってん!」
慧子「虫の名前以外も書けるように! いいわね!」
卑奴呼「忙しいなあ……」
卑奴呼、洗い物を抱えて出てゆく。
慧子「心配しないでもちゃんと結婚して産んで育てるわよ。うだつの上がらないお父様の代わりに、私がこの家をもっと盛り立ててみせるんだから」
雑仕女「さように仰られてはなりません」
慧子「ようは、お父様よりも頭が良くなってお父様よりも社交的になれば、お父様よりもよい男と結婚できてお父様よりもえらい男の子が菅原家を繁栄させるという事でしょう。そうなれば私とお父様、どっちがこの家にとって必要な人間だったのか証明できるわ」
雑仕女「慧子さま……」

慧子、本を読み漁る。

慧子「手始めに藤橘の姫達と縁を持って、次に公達、上流貴族。その為にはもっと学ばないと。もっと……もっと」

(つづく)

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