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四神京詞華集/NAMIDA(4)

【顕現】

○蝮山・中腹
笑い合いながら戻って来る卑奴呼と広澄。

広澄「こんな低い山で迷うとは野生の女も口ほどではないな」
卑奴呼「やだな~もう。山を舐めちゃいけないという教えを身をもって示したげたんですよ~」

と、二人ともその異様に気づく。
血と泥に汚れた慧子が頭を割られた鹿を埋めている。

卑奴呼「な、何やってるんですか姫! 汚れちゃいますよ!」

卑奴呼、竹筒に汲んだ水を差し出す。
慧子、一気に水を飲み干すと竹筒を返して。

慧子「もう一杯。早く汲んできて」
卑奴呼「は、はあ」
広澄「如何した。その鹿は一体」
慧子「早くしてよ!」
広澄「何があったというのだ」
慧子「別にどうということはありませんわ。卑奴呼が気がかりなら広澄様も一緒についてってあげれば宜しいでしょう」
広澄「どういう意味だ」
慧子「……」
広澄「それはどういう意味だと聞いている」
慧子「私は忙しいんです! 供養しないといけないんです! 二人で楽しく川遊びをすればいいでしょう!」

広澄、大きく舌打ちをする。

広澄「参詣はとりやめだ。卑奴呼。俺は戻るゆえ任せてよいか」
卑奴呼「は、はい」
広澄「童の如き嫉妬とは才女の名が廃るぞ」

広澄、去る。
卑奴呼、慧子と一緒に鹿を埋める。

慧子「童の如き女に色目を使っといて」
卑奴呼「色目?」
慧子「気をつけなさい。英雄色を好むというから」
卑奴呼「何言ってるんですか。私と広澄様じゃ住む世界が違いますよ」
慧子「当然でしょ。もしかしてお仕えできるとでも思った?」
卑奴呼「すみまっせん」
慧子「玩具にされてるだけだから。その身の売り買いすらも出来る雑仕女。私が守ってあげてるのを忘れないでよね」
卑奴呼「……はい」
慧子「何笑ってるのよ」
卑奴呼「話し方が昔に戻ってるなって思って」
慧子「卑奴呼に取り繕っても仕方ないし」
卑奴呼「その方が素敵ですよ」
慧子「無邪気なフリしないでよね! 分かってるくせに。私は貴族の子女として恥ずかしくない人生を歩まなくちゃいけないの。藤原や橘の姫は遊んでればいいけど私は違う。あんたは勉強なんかしなくていいけど私は違うの。常に誰かと比べられ、常に誰かの顔色を伺う。中流貴族はそうやって生きていくしかないのよ!」

慧子、鹿の亡骸に土をかける。

慧子「私は食べられたりなんかしない。絶対に」
卑奴呼「姫、怖い顔しないで下さい。鬼になっちゃいますよ」

慧子、卑奴呼を睨みつける。

慧子「鬼はそっちじゃないの? 穢人」

卑奴呼、優し気に微笑むだけ。

○菅原石嗣の館・慧子の寝所(夜)
褥、ぼんやりと天井を見つめる慧子。

淡子の声「この世は男女貴賤隔てなくとはいきませぬ。男も女も欲するが故に邪魔者を隔てるもの。そして貴族の傲慢さと同じくらい、いやそれ以上に穢人の強かさは恐るべきもの。気づきませぬか?」
雑面の男の声「馬鹿女め」
広澄の声「童の如き嫉妬とは才女の名が廃るぞ」
雑面の男の声「馬鹿女め」
卑奴呼の声「その方が素敵ですよ」
雑面の男の声「馬鹿女め」
慧子「バカバカうるさい!」

慧子、跳ね起きると、飾ってある獏の置物を黄楊の枕の傍に置く。
そしてまた床につく。

慧子「どうか今宵もあのお方に。俤(おもかげ)の人に……」

目を閉じる慧子。

○暗転

○慧子の夢・どこかの洞窟
闇の中、仄かに発光している骸が次第に人の形を成す。
慧子はじっとその様を見ている。
蘇り、立ち上がる骸、その顔は天部の面で覆われている。
あの若々しく、みずみずしい肉体。
しかも此度は全裸。
しかしへそから下は空間ごと歪んでいる。
もちろん慧子は何の違和感も感じない。
夢とはそういうものだ。
慧子の意識は、ただ面の奥に集中している。
手を伸ばし、面に触れる。

「馬鹿女め」

天部面の男の影からまたも現れる雑面の男。

雑面の男「馬鹿女。馬鹿女。馬鹿女」
慧子「うるさい。あんたじゃない」
雑面の男「バーカオンナ、バカオンナ。ハイ。バーカオンナ、バカオンナ。セイ。バーカオンナ、バカオンナ。南無」
慧子「うるさあああああい!」

○暗転

○菅原石嗣の館・庭(朝)
簡素ながらも朱の柱に青の瓦の正殿を数棟の脇殿を望む簡素な庭園を召使達がせわしなく掃除している。
水桶を手に走っている雑仕女を、大根を抱えた卑奴呼が呼び止める。

卑奴呼「ねーさん。重いっしょ。こっちと交換しません?」
雑仕女「いいの?」
卑奴呼「その代わり姫様起こして下さいね。あの人寝起き悪いから」
雑仕女「それが狙いか」

卑奴呼と雑仕女、笑い合いながら桶と大根を交換する。

○同・慧子の寝所(朝)
桶を手に入って来る雑仕女。
慧子は既に起きており、雑仕女に背を向けて、白く輝く糸で仏の刺繍などをしている。

雑仕女「おはようございます。起きていらっしゃいましたか」
慧子「おはよう」
雑仕女「また俤びと様の衣を縫うておいでですか?」
慧子「うむ」
雑仕女「朝げが出来ております。一息つかれませ。今日も一日長うござりますよ」
慧子「左様かえ」

振り返る慧子。
雑仕女、その顔をみて絶句する。

雑仕女「ひ……姫……」
慧子「うむ? 如何した?」

思わず桶を落とす雑仕女。
慧子、桶を拾おうと雑仕女に近づく。

慧子「これ。具合でも悪いのか」
雑仕女「きゃあああああああああああああああああああああ!」

雑仕女、金切り声を上げて寝所を飛び出す。
間髪入れず別の召使が数名飛びこんで来る。

召使1「どうした!」
召使2「何があった!」
慧子「おお。あの者が急に叫んで」
召使1「うあああああああああ!」
召使2「うおおおおおおおおお!」
慧子「何じゃというのですかそなたらまで!」

召使達、目を剥いて身構え、そして告げる。

召使1「禍人……」
慧子「え?」

遠くで雑仕女の叫び声が聞こえる。

雑仕女「姫が……姫が呪われた! 呪われたああ!」

叫び声を上げ、飛び出してゆく召使たち。
一人、取り残されたままの慧子。
ぼんやりと、わけが分からない。
ふと我に返り、神棚の鏡に己の姿を映してみた。
そこには、獣がいた。
角を生やした乱れ髪に赤い瞳、裂けた口からのぞく大きな牙。
慧子はその顔を知っていた。
幼き日、都の外れで垣間見た百鬼夜行の顔、顔、顔。
都人は彼ら呪われし禍人をこう呼んだ。

召使たち「鬼じゃ! 鬼が出たぞ!」

(つづく)

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