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四神京詞華集/NAMIDA(8)

【かえすがえすも何でそんなことをしていたのだろうか?】

○とある寺(二年前)
咲き乱れる菜の花を望む小さな寺の境内で、膳を前に藤原の姫乙子、橘の姫公子をはじめとした貴族の子女たちの宴。
上座で、下げ角髪の少年物部咲屋が粗暴に肉を頬張っている。

咲屋「みなもの。もっとくつろげ。こは麿が宴ぞ」
公子「そのあなた様の宴だからです」
乙子「今を華やぐ右大臣様のご子息なれば、立ち居振る舞いひとつで首が飛びまする」
咲屋「蘇我ごとき無頼と一緒にするでない。物部は天孫に先んじて天下りし神の末裔。麿は広き心で皆を包み込む者じゃ」
物部の取り巻き1「左様。故に咲屋様はこうして藤橘の方々とも昵懇にしておられまする」
咲屋「硬いぞえ。もっと気楽に我が名を呼べ」
物部の取り巻き1「ははっ。咲ボン様」
公子・乙子「咲ボン様かわいー!」
咲屋「誰も自由に生きればよいのじゃ。今の大人はそれが分かっておらぬ。麿が大臣になったらこの世から全ての民を救ってみせるぞ!」
公子・乙子「咲ボン様素敵ー!」
物部の取り巻き2「咲ボン様は童参議と呼ばれるほどのお方ぞ。必ずやこの国を変えるであろう」
公子・乙子「咲ボン様最高ー!」
慧子「さすがは物部家の御曹司。そのおこころざし釈尊のごとし!」

末席でひと際着飾って、緊張の面持ちで座っている慧子。
咲屋、怪訝そうに慧子を一瞥する。

咲屋「誰じゃ」
公子「文章博士の姫君。慧子様にございます」
慧子「ご挨拶が遅れまして。菅原慧子と申しまする」
乙子「咲ボン様に一度お目通りをと」
咲屋「よいぞよいぞ。麿の宴は非人雑仕女誰でも受け入れる。よろしく親睦を深めよ。それが自由というものじゃ」
慧子「ひ、非人?」

いささかムッとなる慧子。
取り巻き達、咲屋の口ぶりをフォローするように言葉を引きとる。

物部の取り巻き1「そなたは藤橘の姫も舌を巻く才女だそうだな」
慧子「乙子様、公子様とは身に余るほどに親しくして頂いております。地下郎女の身なれば、ただ一心で家の弥栄を盛り上げんと勤めておる次第にございます。父子ともども、是非お見知りおきを」
咲屋「うむ。覚えておくぞよ」
物部の取り巻き2「女の身と己を卑下すせずともよい。今の帝も、幼くして皇太子となられた女性(にょしょう)である。おお、されば、ここは女帝が治むる女の国か。怖い怖い」

一同、笑う。
咲屋、ふんぞりかえって慧子に問う。

咲屋「おいその方、自由に生きておるか?」
慧子「さて、問いが漠然としすぎて何とも」
咲屋「は? 何ともじゃと? 麿は自由に生きておるかと聞いておるだけであろう! さかしらな女子め! それとも麿を童と馬鹿にするか!」
慧子「め、滅相もございませぬ。申し訳ございませぬ」
乙子「まあまあ。この堅苦しさが慧子様の才女たるゆえんにて」
物部の取り巻き1「では咲ボン様こう聞きましょう。新たなる時代の才女達に問う。釈迦の教えには男女の違いは何と書かれておるか? と」
乙子「それは勿論、五障のことですわね」
慧子「正しくは女人五障です」
公子「女は仏にはなれぬとの教えにございます」
慧子「正しくは仏陀、梵天、帝釈天、天輪聖王、第六天魔王です」
公子「はいはい。慧子様にお任せしますわ」
慧子「すみませぬ。私ごときがつい口出しを」
咲屋「ふん。仏の道とは難儀よの。自由とは程遠いな」
慧子「正しくは五障なるものは仏道ではなく婆羅門の教えにて、釈尊は一度たりとて女子の成仏を否定してはおりませぬ。み仏に相対した時、人は男女を超越した思考を呼び覚まされるもの。それこそが正に真の自由」
咲屋「ああさようか。よう分かった」

慧子、うやうやし気に木簡を広げ、一席ぶつ。

慧子「私の解釈だと仏の教えに男女の隔たりなどありません。されど仏法の妨げとして色欲があげられている事が問題なのです。その色欲ゆえに女という存在が五障たらしめられているのです。つまりは女子がもっと学びもっと仏に近づけばよいだけの話です。さすれば男も女も関係なく色欲に溺れる人そのものが五障たる存在であると世に知らしめ……」

気づいたら膳の前には慧子ひとり。
乙子や公子らは咲屋や、見目麗しい公達とともに菜の花を摘んでいる。

慧子「……」

と、ふらふらと慧子に近づく赤ら顔の奇津麿。

奇津麿「いやあ分かります! 分かりますぞ! 男女平等! 貴賤平等! これ即ち仏の教え! かかかっ!」
慧子「確か……ええと……」
奇津麿「山戸奇津麿と申す! 中務省の若き俊英紀広澄が刎頸の友にして、今は名もなき雅楽寮の笛吹きなれどいずれは出世し殿上の者となるは必定! 此度はお近づきのしるしに貴女にこの笛の音を捧げましょう!」

か細く抑揚のない奇津麿の笛。
ただただ困惑するしかない慧子。
と、雄々しい歌声が響き渡る。

「よそのみに君と慣れそむ小満の野辺咲く花も事うるわしげ」

歌の主、紀広澄が颯爽と現れる。

広澄「紀広澄と申す。此度は物部右大臣のお誘いにて参上仕った」
慧子「菅原石嗣が娘、慧子と申しまする」
広澄「遠回しに倅の宴を盛り上げよという仰せだ」
慧子「お勤めご苦労様です」

広澄、遊び呆ける一同を睨み。

広澄「お互い、童参議殿のご機嫌取りしか出来ぬ身分というわけか」
慧子「紀家のお方が何を仰られます」
広澄「ここだけの話、今の内裏は田舎者が牛耳り都人の出る幕などはない。そなたこそ都に名高き才女と聞き及んでおるが」
慧子「私は別に。息をするごとく読み書きを常としておるだけのつまらない女ですわ。広澄卿こそ内裏の俊英とお聞きします。よろしければ藤橘の姫君をご紹介いたしましょうか?」
広澄「いや、慧子殿と話したい」
慧子「え?」

広澄、どかっと腰を下ろし慧子の木簡を手に取る。

広澄「六法礼経の注釈。これはそなたが」
慧子「甚だ不出来なもににて」
広澄「ふむ。夫、外出する時は必ず妻を敬うべし。か」
慧子「誰も興味を持ってくれませぬ」
広澄「さような事はない。素晴らしい教えだ」
慧子「広澄様のような方が殿上に昇られれば都も安泰ですわ」
広澄「さて、我らも花を摘みに参るとするか」
慧子「摘まれた花は亡骸に見えて、何故か悲しい気持ちになりまする」
広澄「面白い姫君だ」
慧子「私は普通です」
広澄「では花も交えて語り合えばいい」
慧子「は、はい!」

広澄、慧子の手を取り花畑に下りる。
奇津麿、笛を止め二人を追いかける。

奇津麿「いいですなあ! 語り合いましょうぞ! 子のたまわく好きこそものの上手なれ! 私が俗にいう天才です!」

乙子(心の声)「キッツイ」
公子(心の声)「キッツイ」
慧子(心の声)「キッツイわー」

菜の花畑に集う若者たち。
そこから咲屋の姿が消える。
広澄が消え、奇津麿が消え、公達が消える。
   ×  ×  ×
そして藤橘の姫達だけが一昨年と変わらず楽し気に花を摘んでいる。
寺の縁の下に隠れた鬼(モノ)が一匹、姫達をじっと見つめている。

鬼なるモノ「アア……アアア……」

やがて鬼は助けを求めるようにおずおずと縁の下から這い出てくる。
姫達は悲鳴を上げる。
叫び声を上げる。
花を放り投げ、駆けて逃げる。
腰を抜かし、這いながら逃げる。
転んで、喚きながら逃げる。
今朝まで慧子という名の姫君だった鬼から逃げる。
鬼はただ一匹、顔を覆って泣いた。
泣き止んでいた鬼は、結局また泣いた。

(つづく)

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