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四神京詞華集/シンプルストーリー(3)

【出現!物体N】

夜も更け、地下貴族は各々花を手にさらなる深い帳へと消えた。
菜菜乎といえば、雑用の男達に混ざって宴の片づけをしている。
と、ふいに玉藻が声をかけてきた。

玉藻「ご苦労様」
菜菜乎「お疲れ様です」
玉藻「少しは慣れてきた? 宴の花とは名ばかりの御用聞きに」
菜菜乎「とんでもない。私だって貴族とは名ばかりの田舎領主の末娘。数珠つなぎの子だくさんの最後のひと玉です。牛馬に囲まれた畑仕事に比べればここは極楽です」
玉藻「白虎街が極楽?」
菜菜乎「はい! 極楽浄土の桃源郷です!」

玉藻の笑みが幾分か冷たさを帯びていることに菜菜乎は気づくはずもない。

玉藻「菜菜乎。少し話があります」
菜菜乎「はい?」
玉藻「あなたの仕事ぶりと真面目さを見込んでの話。外の掃除が終わったら私の部屋へいらっしゃい」
菜菜乎「わ、わかりました」

玉藻の優しくも力強いその言葉は菜菜乎にとっては思わぬ吉報、朗報、僥倖以外の何事とも思えなかった。
もうとっとと掃除なんか済まして本題になだれこんでもらおうと、箒を手に宙にも浮かんほど軽い足取りで外に出たその時。

○同・外(夜)
店の門の前に不吉な物体がうずくまっていた。
いさかかずんぐりとした体。
色あせた麻の袍。
首元に下げられた大仰な数珠。
後ろに縛った黒髪の美しさが女性であることくらいは示してはいたが、それ以上に髪を覆い隠す巨大な面がその者を女、いや人、いや、物体たらしめていた。

物体N「……お助け下さい」
菜菜乎「あ、あなたは?」

菜菜乎はそう問いつつも、このうずくまる物体が世になんと呼ばれているかだけはちゃんと知っていた。
禍人(マガビト)
呪いを受け鬼と化した素顔を仮面で隠す、人外の化生。
巨大な呉女の伎楽面が不自然に上方を向き、菜菜乎を捉える。
一度真っ二つに割れたものをニカワでくっつけているのであろう、呉女の顔面には一直線の黒いラインが入っており、額にはご丁寧にバッテンの絆創膏まで貼られている。
どことなく笑えてとめどなく薄気味が悪い。

物体N「私、ご覧の通りの禍人にて名をナミダと申します。主、蝦夷穢麻呂の暴虐に耐えかね逃げて参りました。ここは都の女子をあまねく救ってくれる場所と聞き及んでおりまする。どうかお助け頂きたく。どうか。どうか。よよよよよ」

わざとらしいすすり泣きが無表情の仮面に籠って響き一層不気味さを増す。
はっきり言って今の菜菜乎には禍人ごときの苦悩など些事以外のなにごとでもなく、斯様な仕儀に玉藻を巻き込んでしまっては、我が運命の変化を予感させる幸運が流れかねないと、そこはかとなく確信していた。

菜菜乎「分かりました。別室でお待ちください」
ナミダ「ありがとうございます。別室とはいずこに」
菜菜乎「その辻を曲がったところに厩がありますのでそこで朝まで」
ナミダ「お邪魔しまーす」
菜菜乎「ちょっと! 入らないでよ!」
ナミダ「てかマジ中入れてお願い! お面とかウザいし!」
菜菜乎「知らないわよ! そっちが勝手につけてんでしょ!」
ナミダ「じゃあ取るぞ! お面取るぞ! すっごい怖いぞ私の顔!」
菜菜乎「きゃあああ! 誰かー! 男の人呼んでー!」

と、玉藻が顔を覗かせる。
今は薄絹一枚ですっぴんだが、むしろ色気は増している。

玉藻「何ですか騒々しい」

ナミダは呉女の面を放り投げて玉藻にすがりついた。

ナミダ「菩薩さま!」
玉藻「菩薩?」
ナミダ「哀れな禍人をお助け下さい! もう皿洗いでも厠の掃除でも何でもやりますんで!」
玉藻「あなたは?」
ナミダ「蝦夷穢麻呂のもとから逃げて参りましたナミダと申します」

玉藻は、ほんの少し目を見張った。
誰にも気づかれないほどに、小さく。

玉藻「……穢麻呂。そなた、あの祓魔師の下僕ですか」
ナミダ「はい」
玉藻「ナミダと名付けられたのですか」
ナミダ「まあ、そこはちょっとだけ気に入ってますけど」
菜菜乎「これが禍人の素顔……初めて見た」
ナミダ「ガオー!」
菜菜乎「なんだ。痣以外はただの人じゃない」
ナミダ「え? お姉さんも穢人ですか?」
菜菜乎「冗談言わないでよ。こう見えても」
玉藻「黙って」

玉藻はナミダの頬に触れ、顔をすくい上げ、静かに見つめた。

玉藻「そんな痣程度、田舎の村なら気にも止められぬでしょうに」
ナミダ「いえ、これはただの痣じゃなく……」

玉藻は微笑んでかぶりを振ってみせる。

玉藻「女の子ですものね。大変でしたね」

玉藻はナミダの頭をそっと撫でた。

ナミダ「……ううう」

呪われし郎女は、今度はわざとでなく本当に泣いた。
またかと言われようと、また泣いた。

(つづく)

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