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四神京詞華集/シンプルストーリー (11)

【夢物語】

ナミダ「遣天竺使……」
菜菜乎「そう」
ナミダ「……」
菜菜乎「……なによ」
ナミダ「す、凄いじゃないですか~っ!」
菜菜乎「そ、そう?」
ナミダ「遣天竺使の話は公達や姫君達の言の葉にも上る程の噂、宮中の伝説になっていたんです。まさか本当だったなんて」
菜菜乎「ふ、ふ~ん。そ~なんだ~」

仏マニアのナミダが見せる羨望の眼差しを受け菜菜乎は完全勝利を確信し、陶酔した。
そうなると心の余裕からか、いつになく柔らかい言葉も出てきはじめる。

菜菜乎「そうだ。折を見て有鹿様に御推挙してあげましょうか?」
ナミダ「ま、マジ……いえ、まことですか?」
菜菜乎「すぐに旅立たないといけないから船の中になると思うけど、いつか第二次の船が出る時には、ナミダ、いえ慧子姫も海を渡れるように取り計らってもらうわ」
ナミダ「それは宜しくお願い致します」
菜菜乎「慧子姫は私なんかよりずっと勉強が出来るから、仏道の本場で真の女大学者になるといいわ」
ナミダ「その頃には、菜菜乎様は有鹿様の現地妻ですわね」
菜菜乎「天竺夫人とお呼びになって」
ナミダ「むふふふ」
菜菜乎「むふふふ」

と、ナミダ、ふいに思い出したように懐から小袋を取り出す。

菜菜乎「何それ?」

勿体ぶって小袋から見せたそれは、一片の木切れだった。
同時にふっと香りが漂う。
竪穴育ちの菜菜乎は知る由もないが、伽羅の沈香、つまりは。

菜菜乎「お香?」
ナミダ「これは父より賜った我が家に代々伝わる香木紅熟香です。どうか、旅のお守りに」

小袋を差し出すナミダ。
これには、さすがの菜菜乎も申し訳なさげに怯んだ。

菜菜乎「いいよ。大事なものでしょ」
ナミダ「禍人に堕ちた私などより天竺夫人こそふさわしいものです。それに菜菜乎様がきちんと有鹿少納言殿の御寵愛を受けない事には私の出世も立ち消えになりますれば、どうか友情の証と思って」

冗談半分本気半分のナミダの笑顔は無理やり引き出した作り笑いのようにも見え、それが菜菜乎にはひどく健気に映った。
この小さな香木が繋げる絆に、禍人は一縷の希望を見ているのだろうか。

菜菜乎「必ず天竺に呼んであげるから、それまで頑張んなよ」

菜菜子はナミダを救ってやる気持ちで香木を受け取ろうとした。
が、なぜかナミダは小袋を放さない。
ここへきて一転、地味にシュールな綱引きが始まっている。

菜菜乎「え? くれないの?」
ナミダ「あ、いえいえ。どぞどぞ」

ようやく香木を手渡すナミダ。

ナミダ「街を出る折はしっかり香りを纏わせて下さいませ」
菜菜乎「勿論」

うきうきとした菜菜乎を、ふと不安げに見つめるナミダ。

菜菜乎「ん? なに?」
ナミダ「いえ、別に……」
菜菜乎「その別が気になるのよ」
ナミダ「……」
菜菜乎「だから、なに」
ナミダ「御仏の国は唐の遥か西方灼熱地獄を越えた先にあると聞きまする。果たして航路などと都合のよいものがまことに」
菜菜乎「はあ? 有鹿様が嘘をついてるとでも言うの?」
ナミダ「滅相もない、ただ……」
菜菜乎「そのただも気になるのよ」

何か言いたげなナミダ、一刻の逡巡を経て、がははと笑う。

ナミダ「いやいや、絶賛呪われ中の身としては苦労の先にこそ幸せがあってほしいなーって思って。やっかみっすよ、やっかみ」
菜菜乎「ふん。こっちが苦労してないとでも言いたげね。私だって」
ナミダ「すんまっせん。そんなつもりじゃないんです。哀れな鬼の世迷言と思って無視して下さい」
菜菜乎「(これだから教養人(インテリ)女は)」

あっけらかんとしているように見えて内心は納豆のようにネバついている。
これが都の郎女の本性か。
そう思うと幾分推薦する気も失せてくる菜菜乎。
以降、妙な雰囲気になった二人は特に言葉を交わすこともなく黙々と掃除に勤しむのだった。
その間、菜菜乎は時折、背に禍人の視線を感じた。

ナミダ「……」

それはきっと、嫉妬に満ちた哀れなまなざしだ。
おのれもつい先日までこんな目で都人を見ていたのだろうかと思うと羞恥心と優越感が入り混じる不思議な気持ちに襲われるのだった。

(つづく)

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