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四神京詞華集/シンプルストーリー (9)

【悪黄門有鹿】

○白面酒房(夜)
ナミダ「粗茶でございます」

後世の、茶運び人形を彷彿とさせるアクションで入退場するお面禍人女など一顧だにせず、悪黄門はじっと菜菜乎を見据える。
悪黄門とは『強い中納言』という意味である。
目力もかなり、つおい。
菜菜乎は自分が値踏みされる立場にあることは充分承知の上で、だが悪黄門こと中納言蘇我有鹿卿を観察していた。
田舎女の分際で何目線なのだと問われれば、これが女目線というものだ。
そう、男(♂)はいつでもどこでもだれでも値踏みされる側なのである。

有鹿「成程。因幡国から出て来たか。しかし藤原ごときの雑仕女とは随分とその美貌を無駄にするところだったな」

夫の存在だけは何が何でも隠し通す、野望の上京主婦菜菜乎の面接は緊張感をもって、だが終始なごやかに進んでいる。
これが数日前、玉藻が口にした「少し話があります」の内容だった。

玉藻「今有鹿様は『遣天竺使』に随行する召使いを募っておられるのです。仕事熱心なそなたを見込んで、私からお勧めしました。当然、無理強いなどいたしませぬ。でしょう?」
有鹿「無論だ」
菜菜乎「遣天竺使とは?」
有鹿「天竺なる国を知っているか? 大唐帝国よりさらに東、仏道の興りし原初の地だ」
菜菜乎「はい。噂程度には」
有鹿「ふむ。充分だ」

微笑する有鹿。

有鹿「唐を出て砂漠を越えねば辿り着けぬかの地に我が国より新たな航路が見つかった。これは秘匿すべき国策だが、その航路を用い唐を介さず仏道のさらなる神秘を持ち帰る。即ち遣天竺。俺はその使節として父、左大臣蘇我大連(おおむらじ)の密命を受けて海を渡る。明晰なる菜菜乎よ。因幡国を代表して共に仏の国に参らぬか?」

以下大貴族の口から次々と繰り出される、やたらアーティスティックでサイエンシーでフィロソフィーな、いわゆる芯を食った強い言葉の数々に菜菜乎はすっかり魅了されていた。
つまりは何もかも理解した気になっていた。
政も、仏の道も、この男の人格までも。

玉藻「では菜菜乎。有鹿様にお部屋を…」
菜菜呼「……!」
玉藻「お部屋を」
菜菜乎「はい」

その錯誤は男と宵闇に混ざり合うことで更に強固なものとなった。
わずかひと晩、いや数時間の出来事だった。
「ふむ。充分だ」
男の言葉の意味するところが、
「ふむ(その程度の浅知恵で)充分だ」
であることなど、無論、想像すら及ばなかった。

(つづく)

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