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四神京詞華集/シンプルストーリー(16)

【百屋の営業活動】

百屋「はい、今日ご紹介するのはですね、香木でございます。香木といってもそんじょそこらの杉やヒノキじゃありませんよ、奥さん」
ナミダ「いえ奥さんじゃないです」
百屋「香木の原産地、ご存じですか?」
ナミダ「唐っすか?」
百屋「惜しい! 唐の南の黄金諸島なる島々でのみ捕れる、枯れた木を加工したものです。お嬢さん」
ナミダ「はいお嬢さんです」
百屋「沈香。伽羅、百壇、龍脳、そういったものこそが本当の香木と呼ばれるものなのです。本日はこの百屋が厳選した香の数々をお持ち致しました。これだけの逸品が一堂に会する機会は、そうあるものではございませんよ」
ナミダ「マジっすか!」
百屋「さあ、お手に取ってご覧ください」
ナミダ「いいんすか!」
百屋「ただし本日限り! 本日限りでございます!」

ナミダ、色とりどりの小袋を手にとっては少し開きゆっくりとじっくりと、目を閉じて堪能する。

百屋「さすが姫君。お香の聞き方が実にお上品です」
穢麻呂「元、姫。だ」
百屋「ここで焚く訳にはいきませんが、これほどの名物となればそのままでも充分魅力は伝わるはずですよね」
ナミダ「勿論。あ、練香なんかもあるんですね。わ、この印香可愛い」
穢麻呂「おい。とっとと選べ」
ナミダ「へ? もしかして買ってくれるんですか?」
穢麻呂「……ああ」

おっと! この男、いきなりツンからデレモードに入ったか?
やっぱそうだったか、怪しいと思ったぜ。
いっとくけど私はそんな安い女じゃなくってよ。
お香ひとつで心が動くなんて。

穢麻呂「妙な考えをするでない!」
ナミダ「何で分かったんすか! 怖!」
穢麻呂「傲慢が顔に出ておる。これは汝への贈りものではない。単なる仕事道具だ。どれでもよいから早う早う(とうとう)選べ」
ナミダ「仕事道具?」
狛亥丸「それでは代わりに私が」

どこからともなく現れた二人の(生活費の)守護神たる狛さんが如何わしき万屋百屋に言い放つ。

狛亥丸「一番安いもので構いません。ようは匂いがあればいいんです」
百屋「『あのお方』から必要経費はたんまり頂いてるんでしょ?」

百屋、狛亥丸の懐からはみ出る銭袋をめざとく見つける。

狛亥丸「使わないなら使わないに越したことはありません」
百屋「いやいや、使う時は使わないと経済が回りませんよ」

守銭奴VSセールスマンの静かな攻防を尻目にナミダは一つの小袋を選ぶ。

ナミダ「これがいいです」
百屋「おっと! お目が高い! それこそ香木中の香木、きらめきしずかと呼ばれている伽羅沈香、紅熟香!」
穢麻呂「狛さん。今、香の字が何度も出て来たぞ」
狛亥丸「も、物凄い重複表現! これはなりませんぞナミダ殿!」
ナミダ「これがいいのこれがいいのこれがいいの!」
狛亥丸「ええい、聞き分けのない。こうなれば少しの間眠って……」

狛亥丸、おもむろに懐から別の仮面を取り出す。

穢麻呂「構わん。もうそれでよい。面倒臭い」
狛亥丸「……畏まりました」

人として些か遊びのない穢麻呂は己の目的遂行以外の些事に関して日常生活から大望に至るまでとことん淡泊である。
弁舌には長けているが(ただその才能は後天的に身に着けたものである事は後に説明されるだろう)本質的には朴訥無口な人柄で、とにかく無駄な煩わしさが嫌いな性分らしい。
それを熟知する狛亥丸はしぶしぶ引き下がった。
かくして、貧乏暮らしの彼らに似合わぬズッシリとした銭袋は、一度として開かれることなくイケメン商人へとスライドする。
男どもにはただの木切れにしか見えない物体と引き換えに。

(つづく)

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