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人生とは将棋である。 -ダメ人間が語る人生の歩き方-

「まるで将棋だな」

こんにちは、りつです。全く更新してきませんでしたが芸術の秋ということでたまには自分の考えでも書いておこうかなと思いました。

最初に書いたセリフはとあるアニメで登場したものです。これがどういったシーンで出たかは知りませんが、これにならったタイトルで書き進めていきます。

はじめに

将棋とは

自分は将棋が好きです。残念ながら囲碁はわかりません。小学生の時に児童館で出会ったのが最初です。別に強くもないしもっぱら見てる専門です。将棋ファンの間ではそういった人たちを「観る将」と言ったりします。

将棋の魅力はやはりその難しさ。プロ棋士の先生たちが指すその一手一手、凡人には理解できない何か。そういったものを感じられるのです。彼ら彼女らにとって将棋はまさに「人生」であるのです。

個性豊かなプロ棋士

せっかくなんで将棋の面白さでも紹介しておきましょうかね。先程上げた難しさはある意味面白いのですが、全く将棋を知らない人にとっては高い壁でしかありません。個人的におすすめなのがプロ棋士の先生たちから入ることです。

例えば豊川孝弘七段。彼は解説の時など、とにかくオヤジギャクを織り交ぜる最高に面白いおじさんです。マンモスの愛称で親しまれています。(よくマンモスというワードを使いがち)

木村一基九段も外せません。彼は7回目のタイトル挑戦の末に初タイトルを獲得したとして大きな話題になりました。46歳での獲得、それはタイトル初獲得最年長でした。その時のインタビューで流した涙は全将棋ファンも涙したことでしょう。そんな木村先生ですが解説時のトークが一流、必ず笑いが起きるくらい軽快なトーク術で「解説名人」と呼ばれたりしています。「百折不撓」を掲げ「千駄ヶ谷の受け師」「将棋の強いおじさん」「おじおじ」などと言った愛称で親しまれています。

とは言っても中々これだけじゃ将棋の世界に入るのは難しいかも。ということであんまり乗り気ではありませんが、イケメン棋士を2名紹介します。

斎藤慎太郎八段です。なんと言ってもこの甘いマスクですよ。タイトル一期獲得の実力者でここ最近では二期連続名人挑戦という記録を達成しています(惜しくもどちらも獲得失敗)物腰柔らかなんとも優しそうな先生で女子ファンが絶えません。最近結婚した影響でTwitterの斎藤先生ファンが発狂してましたね。愛称は「さいたろう」

最後に豊島将之九段です。もしかしたら名前を聞いたことある人いるかも知れません。彼は現在最強と名高い藤井聡太とタイトル戦で19回の対局を行っています。もうすぐ王将リーグで羽生善治九段との対局があり勝てばプレーオフに持ち込めます。ただ最近の羽生先生調子いいのでもしかしたら藤井聡太ー羽生善治のタイトルが見られるかもしれません。思考中の横顔まじで好き。愛称は「とよぴー」

いやあ長く書きました。正直プロ棋士の先生は全員個性豊かすぎて全員紹介したいくらいなんですよ。「地球代表」「バナナ」「暴銀」「貴族」「格調高い」「冷えピタ」「鰻屋」などのワードで調べてもらえばいろんな先生が出てくると思います。では本題の「人生は将棋」について語っていきましょう。

大人から学ぶということ

ガキンチョですから

自分みたいな社会も世の中も知らないガキンチョが出せる考えは限界がありますし、それが正解である可能性も高くはないでしょう。なんせ20年程度しか生きておらずそのうち高校生までは本当にガキンチョですからしっかり自分をもってなにかするようになるのは高校生くらいの年齢からでしょう。

そういった時に頼れるのが自分の数倍長く生きてきた大人たちです。中にはこの人何言ってるんだろうと思ってしまう大人もいるかもしれませんがそういった人こそ目を背けてはいけません。

人間のだめなところ

人間は大変ご都合主義なので自分が正しいと思う意見ばかり見てしまい、正しくないと思う意見ほど見向きもしません。

例えばある商品Aをいい商品だと思う人がいるとしましょう。しかし一部(もしくは大勢)の人はそれがだめな商品と言っている状況を考えます。そうするとAをいい商品だと思うこの人はネット記事などでAを称賛するものばかり調べて自分の考えが間違ってないと主張します。Aを批判する記事があったとしてもそれを見ずに。もしかしたら批判する記事のほうが多いかもしれないのに。

これは極端な例というか自分が適当に考えた例なので間違っているかもしれませんがこれは多くの人がやりがちではあります。誰しも間違いを指摘されるのは嫌でしょうから。だけどそれでは自分に都合のいい考えを強めるだけです。ある側面から見ればどんなものも違って見えます。当然です。だからこそどんな意見であっても聞いてみることが非常に大切なんです。

後悔あっての人生

後悔は誰にでもある

ああすれば良かった。こうしたほうが良かったのかもしれない。数え切れない後悔はあることでしょう。私だってあります。たとえ完璧な人間だとしても後悔はあると思います。

後悔した出来事は過去のことであり何があっても変えられません。私達ができることはその後悔を受け入れて前に進むことだけです。それが人生ということなのです。

羽生善治さんの考え

ちょっと前に落合陽一さんと羽生善治さんの対談があり、そこで「豊かな人生とは何か」と問われた羽生さんの答えは「後悔がたくさんあること」と語っています。羽生さんが思う人生とは「たくさんの分岐(選択肢)があるからこそ起こる後悔は当然であり、その分岐がたくさんあればあるほど豊かなもの」と考えてそうですね。

確かに選択肢があるということはいいことです。それだけ可能性が増えているわけですから。その先がどうなってるかはその先にいる自分しか知りません。推測はできてもそれが実際に起きる保証なんてどこにもありません。それが後悔に繋がるかもしれません。そんなの「結果」に過ぎない。それでも多くの選択肢があるだけで豊かである、充実しているという発想は僕みたいな20代の若者では中々たどり着けない部分です。

人生は将棋である

一体どこに人生と将棋が重なるのでしょうか。プロ棋士の先生方は重なるかもしれませんが、一般人である私達に重なる部分はあるのでしょうか。

大人から学ぶということ、これは歴代の偉人たちが残した将棋の定跡から学ぶということです。現代将棋の礎になっているものはAIの発達ではありません。AIも0から考えているわけではなく、過去の棋士が残した将棋から学習しています。また将棋の内容だけでなく立ち振舞も受け継がれています。男性棋士でいうと谷川浩司十七世名人がまさにお手本という立ち振舞をしており、多くの棋士が尊敬していることでしょう。

後悔はどうでしょう。将棋というゲームに「待った」はありません。たとえそれが後で悪手と気づいても絶対にやり直しはできません。それを受け入れるしかありません。数多くある指し手から自分がその時選んだ正解だと思った一手。それは間違いなくその時点では最善手です。実はそれが悪手だとしてもそれを最善だと思った自分を否定してはいけない。悪手は結果でしかないから。

最後に

どうでしょうか。人生は将棋と言っても過言ではなさそうです。結局何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいましたが楽しく書けたので満足です。

私は歌い手さんをサポートしている立場で日々頑張っていますが、やはりみんな悩む時期があります。頑張っているのに伸びない。自分もそんな過去がありました。そんな人にピッタリの記事があったのでぜひ読んでね(また将棋かよ)vol9と10がありますが、9の後半が伸び悩む人は必見。

それでも前に進むしかない。周りの人の色んな意見を取り入れ、自分でうまく消化し、たくさん後悔と失敗をしていく。ああすれば良かったと思うかもしれないが、その時点でその選択は最善だったのだから自分を否定しない。受け入れる。後悔となってしまったのは結果でしかない。選択肢が多くあり、後悔をたくさんする。これが豊かな人生。

まるで将棋だな。


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