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立派な大人ってなんだろう。~社会不適合大学生の考える、存在価値の姿とは~

こんにちは、こんばんは、おはようございます。りつです。最近オミクロン株が再び大流行してますね。学校のテストオンラインにして欲しいのですが「授業での感染は確認されてないので大丈夫だよね」みたいなメールが届いて正直激おこです。みなさんもくれぐれ注意してください。

さあ、今回の議題「立派な大人ってなんだろう」これについて語ろうと思います。いつも通り、変な価値観、考えを持った僕がただつらつらと思ったことを書くだけなので悪しからず。

はじめに

僕は「立派」という言葉が好きではありません。

・立派な学生になりましょう
・立派な社会人になりましょう
・立派な大人になりましょう

周りの大人たちはやたらと立派であることを求めてきます。じゃあ聞きます。「立派」ってなんですか。勉強できることが立派なんでしょうか。休まずに学校行くことが立派なんでしょうか。いい大学に入ることが立派なんでしょうか。人に優しくできることが立派なんでしょうか。結婚して子供を育てることが立派なんでしょうか。

「立派」の正体

結局のところ、立派なんて「くだらない価値観」なんですよ。以前のnote(下に貼っておきます)にも書きましたが、誰かが(無意識に)作った社会の型というのが目に見えない形で私たちの心の中に存在しています。それに則って勝手に「あの人は立派だ・立派じゃない」を決めつけています。

なんで私たちは人に価値をつけるのでしょうか。「自分には存在価値がない。生きている意味がない」と言う人が身近にいました。「あの人がいるから頑張れる。あの人が私の生きる意味」そんなこと言う人もいました。

人に価値を見出すことで、私たちは「心の安定」を求めているのでしょう。自分に何か秀でたもの(=価値)があれば、他人よりも優れている喜びを感じ、他人が自分の救いとなる存在(=価値)があれば、それを糧にして生きていき。

価値がない=生きる価値がない

このような考えにどうして至るのか、僕には謎です。

存在価値ってなんだろう。

存在価値って結局「能力とその活用」なんです。能力だけでは足りません。

例えば、手先が器用な人がいたとしましょう。私も実は手先が器用な人間です。

12羽の連鶴。真ん中は余りの紙で折った足の生えた鶴。
くす玉。時々作ってます。母親が飾ってくれている。ありがとう。
大きさ5ミリの鶴。ピンセットなどは使わず、指だけで折ってます。

全て僕が作ったものですが。 小さい鶴は僕のちょっとした自慢です。

それはさておき。じゃあ「手先が器用」が存在価値になるのかと言われたらならないでしょう。そう、何かを作って初めて手先が器用であることに価値が生じるのです。

私は思います。全人類に能力はあります。じゃあどうして存在価値がないと感じる人がいるのか。ただ単に活用方法がわかってない・見つかってないだけなんです。

活用方法の見つけ方

これに限ってはまだ僕はうまい方法が見つかっていません。ただ、言えることがあります。

何も行動を起こさない限り、能力の活用方法は絶対に見つからない

そりゃそうでしょう。能力なんて使うまではわかりません。自分だってそうです。初めて折り紙を折ることで「手先が器用」という能力を見つけ、再び折り紙を折ることでその能力を「活用」でき、やっと価値となるのです。

自分に存在価値がないと言っている人。あなたはすでに何かしらの能力を備え持っています。ただ、行動しないからなんの能力かわからない。この世界はゲームの世界ではありません。ステータスは呼んでも現れません。実際に動くしかないのです。

立派な自分

だいぶ話が逸れてしまいました。上で立派なんてくだらない価値観だと言いました。それは間違いではないでしょう。しかし、これには少し語弊があるかもしれません。

みんなの心に染みついてしまった社会の型(固定概念)と比較して「立派・立派じゃない」を決めるのがくだらないのです。世の中自分と同じ人なんて存在しません。必ずどこか違います。人によって基準なんて変わるものです。

本当は立派・立派じゃないっていうのもくだらないかもしれないが

自分の思う正解が正解である

これでいいんです。いかにも当たり前のように聞こえますが、じゃあみなさんは常にこれができていますか?できてないですよね。現代においてこの「自分を貫く」ってすごい難しいのです。誰かと合わせることが美徳みたいな風潮で生きてきたから。

自分が「これは立派だなー」と思えればなんでもいいのです。勉強できることは確かに社会にとっての「立派」かもしれませんが、別にその人の立派とは限らないのです。

あなたの人生はあなたしか作れません。いいじゃないですか失敗したって。その時思った最善を尽くした結果なんでしょ?それなら失敗したって大丈夫。後から修正すればいい。

最後に

僕の話を少しして終わりにしましょう。

自分も立派な学生になれ、立派な社会人になれと嫌になるほど言われてきました。今も言われます。親孝行しろよ?大学卒業して就職しろよ?何回聞いたことかしら。

そのせいもあって心がボロボロになりそうなこともありました。なんでこんなに立派を求めてくるんだ。立派であることがそんなに偉いのか。結局は自分達が満足したいだけなんだろ。

立派ってなんだろう。よく考えます。そんなこともあって今回このnoteを書きました。計2000文字以上。40分くらいで書きました。ちょっと気持ちがスッキリしました。

両親に親孝行したい気持ちはたくさんある。でも俺の人生だ。就職?免許?資格?それを取ることが俺の親孝行じゃないんだ。それだけはよろしく。ま、この文章読むことはないと思うけどね。

動画でも話してますのでよかったら。

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