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#2000字のドラマ 『痛みはいつか誰かの』

私がアルバイトをしているコンビニには、毎回レジ横の募金箱に釣り銭を全て入れて店を出ていかれる常連さんがいます。その人は、目尻の皺がチャーミングで、トレードマークのハンチング帽がよくお似合いのおじさんでした。

大学が夏休みになり、お昼時のシフトに入っていた日のことです。慌ただしく入店してきたのは、あの常連さんでした。おじさんは、私たち店員に笑顔を向けながら「外は暑いねー。」と言って、小走りでレジの前を通り過ぎていきました。ものの30秒程で幕の内弁当と缶コーヒーを手に取ると、またもや小走りでレジに戻ってきました。
「2点で378円になります。」
と言うとズボンのポケットから500円玉を一枚取り出してトレーに置いたかと思ったら、商品の入ったビニール袋片手に出口の方へ向かって行ったので、
「お客様!お釣りが…」
と言いかけると、間髪入れずに
「いいから!」
と言って店を出て行ってしまいました。困惑して固まっている私に気付いた店長が教えてくれました。
「あんなに急いでるところ見たの、あなた初めてでしょ。あれは『いいから、お釣りは募金しといて』って意味なの。最後まで言ってくれてもいいのにね。お昼に来ると大体ああなの。」
「そうなんですね。お仕事で忙しいんですかね。」
「さあ、理由までは聞いたことないんだけど。前は昼に来ても自分の手で募金箱にお釣り入れて帰るくらいの余裕はあったのよ。でも1か月ぐらい前からかしら、ああいう風になったのは。」

その1週間後、先週と同じ時間帯のシフトに入っていました。入店のチャイムが鳴りました。店内のモップ掛けをしながら、
「いらっしゃいませ。」
と言うと、先週よりずっと穏やかな声で
「もう9月だってのに、まだまだ暑いねー。」
と返ってきました。モップ掛けの手を止めて目線を上げると、あの常連さんでした。おにぎりのコーナーに着いてから、前とは対照的に、時間をかけて何の具にしようか、悩んでいるようでした。ついじっと見てしまっていたので、やっとおにぎりを手にしたおじさんと目が合いました。
「し、失礼しました。あの、今日はお急ぎじゃないんですね。」
「あー、先週は困らせてしまって申し訳ない。」
おじさんは苦笑いを浮かべました。続けて、
「実はね、この間まで妻が入院してたんだ。それで洗濯した衣類なんかを、仕事の昼休みに届けに行かなくちゃならなかったから、忙しなくてね。募金だけは店長さんにお願いしてたんだよ。」
「そうだったんですね。奥様は無事に退院されたんですか?」
「ああ、お陰様で。」
「それは何よりです。」
私は、この後の質問をするか迷った挙句、興味が勝って聞いてしまいました。
「あと、もう一つ伺ってもいいですか?」
「何だい?」
「それほどまでに募金を続けるのは何故なんですか?」
「んーと…。僕の故郷が一昨年、豪雨災害に遭ったんだ。ここに置いてある募金箱が被災地に寄付されると知って、少しずつでも力になれたらと思ったのが始まりかな。」
素晴らしく慈悲に溢れた動機であると同時に、いつでも明るいおじさんにそんな背景があったという事実が、私の言葉を詰まらせたのでした。
「すまない、こんな重たい感じにするつもりは…」
「いえ、私の方こそ。大変な思いをされたんですね。思い出させてしまって、本当にすみません。」
「謝らないで。もう平気だから。何なら去年は、大雨被害があったところへ足を運んで、ボランティア活動に参加したんだ。他人事とは思えなくてね。」
「へぇ!すごいですね。頭が上がらないです。」
「そんな大したもんじゃないよ。」
おじさんは謙遜しながらも照れていて、どこか嬉しそうでした。
「そういえば君ぐらいの年の子も、ボランティアに来てたんだけど、どうやらその子も幼い頃に被災したらしくてね、壊れた家を見て泣いていた小学生を慰めてた。見ている者まで心が温かくなったよ。」
「その小学生、とても心強かったでしょうね。」
「うん、まあ要するに、経験しないと分からない痛みってのが人にはあって、その痛みは時に、同じ痛みを抱えている人の薬とまではいかなくても、絆創膏ぐらいにはなるってことだ。」

 そんな会話を交わしてから、1年が経ちました。私はあの時と変わらずコンビニでバイトをしています。おじさんも募金を続けています。夕方、入店のチャイムが鳴りました。
「いらっしゃいませー!」
「おー!戻ってきたんだね。久しく見ないもんだから店長さんから聞いたよ。災害ボランティアに行ってたんだってね!感心した!お疲れさん。」
「ありがとうございます。1年前、あのお話を聞かせていただいて、私もこの目で見ないといけないと思ったんです。経験した痛みが、誰かの絆創膏になる瞬間を。」
「素晴らしい心掛けだね。」
おじさんは柔和な笑みを浮かべ、鮭おにぎりと缶チューハイの会計を済ませると、募金箱をチャランと鳴らして、店を後にしました。

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