冗談じゃない

1.
これはカマキリの話である。そして俺はカマキリである。更に言えば俺は人間の世界ではオオカマキリというものに分類されるようだ。ただ、自分で自分のことをオオカマキリだと思ったことはない。というのもそもそも俺たちの世界には自分を表す言葉というものが存在しないのだ。自分たちの世界では「カマキリ」なんて分類はされていないし、そもそも区別をする必要もない。人間たちが勝手にそう分類しているだけで、こちらとしては全くもってどうでもいい話なのだ。人間たちは何かにつけて名前をつけたがるようだが、大変な性質を持ったものだなと思っている。カマキリと人間では考えるべきことは違うのだろうし、そんなことを自分が思っていたところで何の意味もないのだが。
前置きが長くなってしまった。俺には今悩みがある。ただそこまで大した悩みではなく、少しだけ、獲物を狩るときの腕が鈍ったような気がするというだけだ。俺はよくバッタを獲物として捕食していたが、最近は大物は仕留められなくなった。自分で言うのもなんだが、狩りには自信があったし、周りからも一目置かれていた。それが最近はからっきしなのだ。勿論、中には狩りの苦手なカマキリはいるし、そいつらに比べれば俺はまだできている方だ。しかし元々得意だったものがここまでできなくなるとなると話は違ってくる。この出来事は自分の中でショックが大きかった。まさか自分がこんなことで悩むとは夢にも思っていなかったのだ。基本的に自分のことは自分で何でもするというのがモットーではあるのだが、長い間この状況が続いていたのでそんなことはどうも言っていられなくなった。そこで俺はこの現状を誰かに相談することにしようと考えていた。相談する相手は一匹だけいる。キリと本人は名乗っていたが、小さい時からやつとは交流があった。ずっと一緒にいるわけではないが、何かあればお互い会いに行き、話をしていた。所謂腐れ縁というやつだ。そこまで有益なアドバイスだとかそういうのを期待しているわけではないが、話を聞いてもらえるだけで気も楽になるというものだ。少し前にそういうことを話したことがあるのだが、やつも同じように考えていて、話を聞いてもらってお互いの意見を交わすだけで解決した気分になるのだと言っていた。その時言ったやつの言葉は今も覚えている。
「悩みっていうのは総じて解決するに越したことはないが、完全に解決するのはいつだって難しいし、悩み事なんてないやつの方が珍しいもんだ。だったら自分の中で考え続けるか、もしくは自分の信頼できるやつに話を聞いてもらうのが一番手っ取り早いだろ?」
その時俺は確かにその通りだと思ったし、こいつは信用できるな、と思ったのだ。
俺の今住んでいる場所は見る限り青々とした草が生い茂っているところで、俺たちカマキリが住むのには申し分ない場所だ。キリはここから見える、あの大きな岩陰の近くの草むらに拠点を置いている。時間はそれなりにかかったが、やつの住処に到着し、辺りを見渡してやつを探した。殆どの確率でこの近辺にいるので見つけるのは毎回時間はそんなにかからない。今回もすぐに見つけることができた。ちょうど帰ってきたところらしく、俺がいることに気付くと腕を挙げて挨拶してきた。少しだけ世間話を交わした後、少し聞いて欲しいことがあるんだが、と切り出した。
「おう、なんだ?解決には至らないかもしれないが、何か思いついたことがあれば言ってやるよ」
―――それは心強い。じゃあちょっと聞いてくれるかな。
「いいぜ、聞いてやるよ。とりあえず座って話しようぜ」
地べたに腰を落とした後、俺は悩みを話した。
「なるほどな、お前の悩んでることは大体理解したよ」
―――そうか、なら良かった。何か思うことはあったか?
「お前ずっと一人だもんな」
―――ん?そうだけれど、それが何か俺の悩みと関係するのか?
「結婚してみたらどうだ?何かのきっかけになるかもじれないぜ」
―――結婚。そんなこと考えたこともなかったな。
「もしかしたら、無意識的に自分のことだけを考えて生活するのに飽きてきたんじゃないかなと思ったんだが」
―――…どういうことだ?
「他者のために何かするっていうのもいいんじゃないかなってね、ちょうど俺らは結婚適齢期にきているわけで、お前が気付いてないだけで体が無意識的にそういう風になってるのかもしれない、なんてな」
―――いや、別に結婚とか子供とか欲しいと思ったこともないしな…特に必要とも思わないんだが…
「生物の本質ってものを忘れてるよお前。俺らに限らず、生きとし生けるもの全員は子孫繁栄のために生きてるんだぜ」
―――あぁ、まぁそれは納得できるが…
「だから、今のお前は生物の道から外れているとも言えるわけだ」
―――…そこまで言うものかな。
「だってそうだろう。子供を産まなければ子孫ができないわけで、結局その種族の滅亡に帰着するじゃないか。考えを改め直してもいいんじゃないか。ずっと一人もしんどいだろう」
―――そういうお前はどうなんだ。
「俺か。俺はこの前結婚したんだよ、お前ほどじゃないが俺もスランプに陥っていた時期があってな、その矢先に出会った相手なんだ」
―――そうなのか。
「やっぱりな、相手がいるのといないのとの差は大きいぞ、お前には是非とも結婚を勧めるよ。実は今度な、子供を産もうって話をしてたんだ」
―――子供か。
「相手のため、子供のため、って考えるとやっぱり獲物を捕まえるのにもやりがいを感じてくるんだよな」
―――そんなもんなのかな…
「改めて言うけどな、相手がいるって違うもんだぞ。お前は狩りに関しては超一流なんだから、相手に困ることはないだろ」
―――そうかもしれないが…
「まぁ、これはあくまで俺個人の意見であって、これが正解ってわけじゃないから、そこまで深く考えてくれるなよ。」
そう言ってキリは立ち上がった。
「ま、俺から言えるのはそのくらいかな、俺から言えることは、早く結婚相手を見つけろってことだ。頑張れよ。実は明日、夜が明けたら彼女に会いに行く約束をしてるから、悪いが今日は早く寝るつもりだったんだ。また今度近いうちに遊びにきてくれ、その時に話の続きをしよう」
そう言うとキリは叢の中へと戻って行った。恋人…結婚か…思えばそういった類のものは全く考えてこなかった。正直自分には必要ないと思っていたし、する気もなかった。だが、現にここまで悩んでいるのだから、あいつの言う通りにして見るのも1つの手かもしれない。では、俺が相手に一番に求めるものは何だろうか。やはり、自分が望むものとして強いのが絶対条件だろう。俺は狩りが他のやつよりできることに自信を持っているし(今はスランプ状態ではあるが)、やはりカマキリとして強いものとの優秀な子孫を残すのが最善の選択なのではないだろうか、と思った。とは言うものの、そんな簡単な話ではない。そんな自分の好みに合うやつなどなかなかすぐ見つからないだろう。結局俺はそんなことを考えながら寝床に帰り、色々と考えを巡らせながら眠りについた。
朝起きても結局同じことをぐるぐると考えていた。朝から狩りに出かけたものの、心ここに在らずというような感じで、ミスも今日はかなり目立った。ちょうど昼ぐらいになった頃、俺は1つの決断を下した。
旅に出よう。俺には今住処はあるが、特段そこに住み続けなければならないという決まりもない。そこまで今の住処に思い入れもない。どうせここに閉じこもっていても何の解決にもならないだろうから、善は急げともいうし、今日は早めに寝て、日が明けてすぐにここを発とう。そう決めた後も狩りに勤しんだが、結局その日は小さいバッタ一匹を捕まえたくらいで終わった。これは思っているよりも事態は深刻だと思ったし、旅に出るくらい大きなことをしないと自分のそれというのは解決しないだろう、と思った。腹は空いていたが、明日のために早く寝ようと無理矢理眠りについた。


2.
朝早く目が覚めた。どうやら自分の思っているよりこの場所を離れることに緊張しているらしい。眠りがいつもより浅かった、気がする。愛着がないと言ってはいるものの、生まれてからずっと住んできた住処だ。慣れ親しんだ土地から離れると言うことは、自分が頭で考えているよりもっと大きな出来事なのかもしれない。少しだけ未練がましいような気持ちはしたが、やはり現状を変えたいという思いは比にならない程強く、それほど悩むまでもなく出発した。
出発してからまず、キリの住処に寄ることにした。深い理由はない。ただあいつの助言があったからこうして遠方を目指していくわけだし、逆にあいつが俺に用事があった時、何も言ってなかったらずっとここらを探し続けるわけで、それはそれでかわいそうだと思ったからだ。キリの住処についた。しかしやつは見当たらない。少し中に入ってみたがガランとしていて誰もいる気配もない。多分どこかに出かけているのだろう。この前会った時に彼女に会いに行くと言っていたから、もしかするとまだ一緒にいるのかもしれない。とりあえずここに来たという印だけしておこう、そう考え、近くの草を切って束にして置いておいた。わざわざこの場所に来てこんなことをするのは俺ぐらいだから、多分あいつが帰ってきた時に少なくとも俺が来たんだろうということは伝わるはずだ。俺はこの束ねた草を少し見つめた後、キリの住処に背を向けて歩き始めた。見上げると雲ひとつない青空だ。何か決断するにはぴったりな天気だろう、と思った。
かなり歩いたところで、後ろを振り返る。昨日まで住んでいた岩まではもう遠く離れていた。そこからもう少し歩いたところで、小さいバッタを捕まえた。食べながらこれからどうするか考える。そういえば、どこへ行くか全く考えていなかった。とりあえず向こうにある、草がかなり生い茂っているところに向かおう。獲物にとっては食料がたくさんあり、しかも隠れやすいのだから、格好の住処だろう。きっと獲物は多いに違いない。裏を返せば、俺らのような肉食の者にも最適な環境であると言えるわけだ。恐らく俺と同じような狩りに自信のあるやつも割といるんじゃないだろうか。少し元気が出てきた。立ち上がり、歩き始める。どんなやつがいるのだろうか、そんなことを考えながら歩き続け、気付けば目的地に着いていた。しかしもう日も暮れかかっているし、今日はこの辺りで一晩明かし、明日のことは明日考えよう。俺は草むらの中の極力柔らかそうなところを見つけ、そこを寝床にして眠りにつくことにした。少し腹は空いていたが、今日はかなり歩いていて疲れが溜まっていたのか、特に何も考える間もなく眠りに落ちていった。


3.
朝、ガサガサと草をかき分ける大きな音で目を覚ました。俺は素早く身を隠し、音のする方を注視した。現れたのは、自分よりも一回り、いや、ふた回りはないにしても一回り以上はある大きなカマキリだった。そして、雌だ。俺の心は少し高鳴った。俺はパッとそいつの目の前に飛び出し、声をかけた。
―――あの、ちょっといいかな。
大きな目がぎょろりとこっちを向いた。
「あら、どうかされたのかしら」
―――いや別に、用事ってほどのことでもないんだけれど。今少し話す時間あるかな。
「あらそう、では食事をしてくるので少しだけ待っていてくださる?すぐ終わると思いますわ」
―――ああ、じゃあ待ってるよ。
そう言い終わるが前にそいつは叢に消え、ガサガサ草の音が遠くなったかと思うとパタリと止み、その後ザッという音が聞こえ、少ししてからそいつは帰ってきた。
「ごめんなさい、待たせたかしら」
―――いや、そこまでは。寧ろ、早いとさえ思ったよ。
「あら、お褒めくださるのね、嬉しいわ」
―――俺も狩りには多少自信があるけど、そこまで早くはできるかどうか分からないぞ。
「あら、もしかして、間違えていたら申し訳ないのだけれど…あなた、遠くの方からこられた方ではありませんかしら」
―――あぁ、そうだけれど、どうしてそう思った?
「ここであまり見かけない顔だし、それに、少し行った所に、獲物を仕留めるのがとても上手な方がいらっしゃるって噂で聞いていたものですから。多分あなたのことね」
―――いや、狩りに少し自信があると言っただけで、そこまで断定するのは少し短絡的じゃないか?
「いえいえ、ご謙遜を。私、狩りが得意な方と不得手な方の区別くらいちゃんとつきますのよ」
―――そうなのか。
「あなたはどこか他の方と雰囲気が違いますので、只者ではないなと思っていたところですのよ」
―――そうか、じゃあ話が早いな。もう率直に言おう。俺と結婚する気はないか。
俺がそういうと彼女は少し驚いたような顔をし、少し仰け反る動作をした。
「あら、急ですのね、でも嫌な気はしませんわ、せっかくなら強い方との子が欲しいですし」
―――そうか、ありがとう。
「その前に1つ質問なのですけれど。何故、あなたのような狩りが上手な方が、こんな遠くまでいらっしゃったのかしら。あなたぐらいのレベルであれば、結婚相手選びには困らないはずでしょう?」
その疑問を持つのも当然だ、と思った。実は…と、最近狩りの腕が落ちてきてしまっていること、キリという奴に相談したところ、自分がそうだったようにお前も恋人を見つけるのがいいと言われたこと、そして、自分の望むレベルとして、強い者が良いということ…。
彼女は俯き少し考える仕草をした後、
「成程、大体分かりましたわ」
と答えた。
「…ところで、キリさんはお元気なのかしら?」
―――いや、結局それ以来会っていないんだ。出発する前にあいつの住処に寄ったんだが、がらんとしていて誰もいなかったよ。
「そう…」
少し俯き、どうしたのだろうと思ったが、また口を開いた。
「とりあえず、私が狩りについて少しだけ指南いたしましょうか?恐らく何か、勘のようなものさえ取り戻せば、きっとこれまでと同じようにできると思いますの」
―――そうかい、じゃあ頼むよ。
そうしてここから狩りの練習が始まった。
結論から言うと、自分の狩りの腕は戻った。更に言うとこれまでより上達した。俺も狩りに関してはかなり自信はある方だが、彼女は自分と同等か、それ以上だった。彼女を見ているだけで勉強になったし、彼女の姿に鼓舞されて頑張らなければ、といった気持ちになれた。キリが自分の今の状況全てを予期して自分にああいったアドバイスをくれたのかと思うと少し微妙なところではあるが、恋人を見つけるという解決策は自分にはあっていたのかもしれない。彼女に指南を仰いでからしばらくし、俺は以前の自分よりも完全にレベルアップしたような気がした。気がしたというより確実にレベルアップした。
―――ありがとう、君のおかげでかなり成長したような気がするよ。
「それは良かったですわ。恐らくスランプだったのでしょうね、壁にぶつかってそのまま停滞するというのは辛いことですけれど、それを乗り越えれば必ず大きくステップアップいたしますから」
―――良いことを言うね。君にもそんな経験があるのかな、そうは見えないけれど。
「お恥ずかしながら。私も貴方と同じような状況に陥ったことがございまして、貴方のことを余所事に思えませんでしたの」
―――そうか、でも君のお陰でとても助かったよ、君がいなければまだ苦しんでいたかもしれない。
「いえ、何か行動に移そうとしただけ立派ですわ、私はずっと悩んでいただけでしたので。とにかく、お手伝いできて良かったですわ」
―――そうか…
少し間が空き、彼女が口を開いた。
「せっかく腕も戻ったのですから、しっかり狩りを楽しんでいただいて、また後日会いましょう」
―――あれ、一緒に過ごさないのか。俺たち結婚したんだよな?
「私にも準備というものがございますのよ。ずっと一緒ですと狩りの効率も落ちてしまうでしょう。私はあなたに会う間栄養を溜め込んでおかなければなりませんから」
―――…?言っている意味がよく分からないのだが。
「恥ずかしいので察してもらえるとありがたいですわ…。私たち結婚するのでしょう?結婚するのですから、やはり私は子供がたくさん欲しいですわ」
―――あ。すまない。理解したよ。
「あなたもそれまでにしっかり栄養を溜め込んでおいてくださいね」
―――…それは、俺も必要な事なのか?
「それはそうですわ、あなたがいなければ始まりませんもの」
彼女がニコッと微笑んだ。
「では、10日後くらいかしら、その時にまたお会いしましょう。私はここでお待ちしておりますわ。」
俺たちはここで別れた。俺はこの近辺で狩りをすることにし、住処を構えた。数日経ってから俺はキリの言っていることが分かった気がした。獲物を捕まえるという行為が自分のためだけでなく相手のためにもなったのだ。狩りの調子が良いのと、彼女のためということもあり、より一層精も出た。その調子で過ごしてしばらくが経ち、約束の期間が来たので俺はまた彼女に会いに行った。彼女はこの前別れた場所と同じ場所で待っていた。
「来てくださったのね、嬉しいわ」
彼女は安堵にも似た表情を浮かべ、俺の体を眺めた。
「かなり狩りの方を頑張ってくださったのね、心なしか体も一回り大きくなったような気がいたしますわ」
―――あぁ。君に言われたからね。
「貴方のような律儀な方と出会えて嬉しいですわ。こちらに来てくださる?」
彼女は、後ろにある葉を鎌で持ち上げ、自分にその中に入るよう促した。俺はそこに吸い込まれるようにするりと入っていった。

                  ***

随分と長い時間が経ったように感じた。
しばらくお互い何も言わず天を仰ぐ形で寝転がっていた。
彼女が口を開いた。
「今日はお付き合いくださりありがとうございましたわ」
―――いや、こちらこそだ。狩りの練習にも付き合ってくれたし、君に感謝の気持ちは尽きないよ。
「そんなことございませんわ、私はただお手伝いをしただけです。」
彼女に会えて良かった、としみじみ思った。また沈黙が流れた。俺はゆっくりと立ち上がり、
―――それじゃ、また会おう。今日はありがとう。
そう言って立ち去ろうとした。
「お待ちになって」
と、彼女が俺の足に鎌を引っ掛けてきた。
ブチッ、と鈍い音がした。そしてその後、ぐちゃぐちゃと何か食べる音。
一瞬何が起こったか分からなかった。振り返ると、俺の足を食べている彼女の姿があった。今度は鎌を俺の腹に当て、口をそこに近づけた瞬間、その大きな口で俺の腹を食いちぎった。
あああああああ!!!!??
俺は叫んだ。
―――な、何をしているんだ!?
彼女はキョトンとした顔で言った。
「見ての通り、あなたを食べようとしてるのですけれど…」
―――ど、どういうことだ!?
「ご存知なかったのかしら?私は元気で優秀な卵を産まなければなりませんの。そのためには優秀な遺伝子と、豊富な栄養が必要ですのよ?つまり、貴方の体が必要ですの」
―――いや…しかしだからといって俺を食べる理由もないはずだろう!お前は俺と同じ、いや俺以上に才能がある!獲物なんてすぐに捕まえられるはずだ!
「分かっていらっしゃらないようですわね、今まで出会った方の中で誰よりも優れた腕をお持ちの方は勿論沢山のものを食べてこられたのですから、一番栄養が詰まってますわよね?そんなかたが無防備に目の前にいるのですから、食べない理由なんてどこにもありませんわ」
―――いや、これから卵を産むまでまだ先は長いだろう、協力した方が絶対に効率が良い、それとも何か君の気に障るようなことをしたか!?俺は君を愛しているし、ここで俺を殺す必要もないんじゃないか!
彼女は大きな顔をゆっくりと傾げた。
「仰っていることが分かりませんわ、私のことを本当に愛してくれているなら、私のために死ぬことも喜びなんじゃありませんこと?」
―――それは一理ある…のか?
「ご納得いただけたかしら?」
大きな目がぎょろりとこちらを見つめ、ニコリと笑った、ような気がした。俺は生まれて初めて「恐怖」と言うものを感じた。
「貴方のお腹、美味しかったですわ」
冗談じゃない、こんなところで食われてたまるか。まだ俺は生きていたいんだ。やっと狩りの実力がレベルアップしてまだまだこれからだってのに!
俺は彼女に背を向け、草むらをかき分けて逃げ出した。
「逃げても無駄ですわよ、貴方はもう足が千切れていますし、お腹ももう齧られているのですから」
その通りかもしれないが、何もしないよりは遥かにマシだ。しかし段々と視界が霞んできた。足が重い。体が重い。思うように動けなくなってくる。
ゆっくりとした足音がだんだんと大きくなっていくのがわかる。…こんなところで俺の一生は終わるのか…?
「さぁ、私たちの可愛い子供のために、私に全てを捧げてくださいな。貴方はこれから私と文字通り1つとなって、私たちの遺伝子を残すのですわ」
冗談じゃない…冗談じゃない…こんなところでくたばるものか…まだ自分にはやりたいことが…。
「見つけましたわ、そこにいらっしゃったのね」
遠のいていく意識の中で、彼女の声がだけが聞こえた。

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