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地下の街

その日は雲ひとつない青空で、良い日だった。
コンビニで買ってきたサンドイッチを家で食べながら、今日は無計画旅行には良い日だと思った。
無計画旅行をしようと前日から考えていた。無計画旅行とは文字通り何も考えず電車やバスに乗り込み面白そうな場所で降り、そこを散策して帰るというものだ。
一般に言われる「旅行」とは違う、乱暴に言ってしまえば行き当たりばったりの旅行だ。これをたまにやるととても楽しい。たまにだから楽しいのだと思う。
来た電車に乗り、降りたことのない駅で降りた。ホームには自分以外誰もいない。このまま改札を抜けて散策するか、もしくはもう少し遠くへ行こうかしばらくボーっとしていると、見たことのない電車が来て止まった。電車の車体は真っ黒で、横に赤く細いラインが入っており、少しだけ土がかかっているようである。少なくとも自分は今まで見たことがないデザインだ。妙なことに、ホームの時刻表を見てもこの時間の電車はかかれていない。どうしようと思ったが、ここで乗らなければ無計画旅行の意味がないと思い飛び乗った。
電車の2両目に入ったのだが少なくともこの車両内には自分だけしかおらず、貸切状態だった。私は右側の窓側に座った。
この電車の進む道がだんだんと山道になり、トンネルに入った。そしてこのトンネルが異様に長いことに気付いた。かれこれ30分はトンネルの中ではないのだろうか。しかもなんとなくではあるが、くだっている感じがする。どこに向かっているのか不安なものの、外は真っ暗で何も見えない。
しばらくして電車は停まった。しかし放送もなければ扉も開かない。
がこん、と音がして、今度は明らかに電車が下に沈み始めた。電車がエレベーターに乗り下に降りているような感覚だ。
しばらく下に降りた(感覚が続いた)後、また電車がゆっくり進み始め、5分ほど経つと急に光が見えた。
ようやくトンネルの出口らしい。自分の座っている側の窓の外に見えたのは、街が広がっていた。逆の側はコンクリートの壁だ。
ここはどこだろう。恐らく自分は降りてきたはずではあるのだが…。電車を降り、改札を通ろうとしたが、切符を入れる場所が見当たらない。どうすれば良いか途方に暮れていると、駅ホームの建物から駅員らしき人が出てきた。4、50代くらいの男性だ。
「あれ、地上から来られた方ですか?」
頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。返答に困り黙っていると、
「あぁそうか、いきなり言われても分かりませんね。地上から来られた方があまりに久しぶりだったので。すいません」
と彼がそう言った。
「どういうことですか?」
「ここは、地下の街なんです」
「地下の街?地下街とかではなく?」
「駅の地下とかそういうことじゃなく、この地下が生活区なんですよ」
「地底人というわけではないんですか?」
「あ、いえ地底人ではないです。私たちも同じ人間ではあるんですが、住んでいる場所が違うだけで」
「どうしてここに住んでいるんですか?」
「実は50年くらい前からここでの開発が進んでいまして。30年前くらいからこの街への入居がスタートしたんです。しかしこの街にもキャパシティというものがありますから、あまりに大々的に宣伝してしまえばほとんどの人が入れない可能性があります。それはそれで問題だということで、そこまで公にしなかったので知らない人がほとんどでしょう。ですから今ここにいるのは一部の住民と、ここでの開発に関連する職員たちなんです。もちろん住所はありますし、税金もちゃんと払っていますからなんらここでの生活は変わりないんですよ。家族全員でここに来たとかいう話もありますし」
「そんな昔からあったんですか」
「それは人の感じ方でしょうね。私からしたら30年はまだ最近の部類ですし。まぁ、折角来られたのですからゆっくりしていってください。あ、もし良ければ私がご案内しましょうか。今日の業務はもう終わりましたし、これからは私と交代で別の職員が入りますから」
是非お願いします、と私は言った。
上を見ると、青空が広がっている。地下なのに何故だろうと目を凝らしてみていると、
「あ、空のことですか。空は映像を上に映し出しているんです。ですから地下でも朝昼晩の区別はあるんですよ。やはり時間に合わせた空は大事ですからね」
その上空(地下だから正確には上空とは言わないのだろうが)をロープウェイのような乗り物が上を走っていた。
「あれは?」
「あぁ、あれは地上にはないものですね。あれは、地下でのポピュラーな移動手段です。上の世界と違って、ここには天井がありますから、そこから路線を引いていけば立派な移動手段となるわけです」
地上に目を移すと、ビルは立ち並んでおり、道路は綺麗に舗装されている。それなりに都会である。東京や大阪には遠く及ばないが、十分店は立ち並んでおり何も不自由は感じない。ショッピングセンターもあった。
「入ってみますか」
「えぇ、ぜひ」
入ってみても、自分が知っているショッピングセンターとなんら変わりなかった。人もそれなりに入っており、賑わっている。
「あなたが普段見ている街の景色と、さほど変わらないでしょう」
「そうですね」
「そういえば、車は走っていますが、車の音はあまりしませんね」
「あ、そうなんです。車は全て電気自動車なんです。閉ざされた空間ですから、排気ガスはとても深刻な問題で。ここは閉鎖的な小さな街ですから、ガソリン車から電気自動車に移行するのは案外スムーズに行きました。地上ではその点苦労しているようですが、人間、切羽詰まらないと動きませんしね」
なるほど、と感心してしまった。
「他に何か地上と変わっているものはあるんですか」
彼はうーん、と上を向いた。
「そうですね、発電方法とかでしょうか。ここでは火力発電は使えませんから、発電は地熱がメインです。逆に地熱発電しか機能しませんから発電効率をどうやって上げるかに注力しています。地上のように発電の選択肢がたくさんあるのは良いですが、逆にどうすれば良いか議論が進みにくくなっているのかもしれませんね。不自由だからこそやるべきことが明確になって良いのかもしれません。あとは、そうですね。地下で空気の通り道がないですから、人工的に酸素を作り出す研究も盛んに行われているのも、ここならではでしょうか。ここでは人工的に酸素等を作り出しています。詳しいことは分かりませんが、海藻類から酸素を生み出しているって言っていましたね」
「ここの人たちが地上へ上がることはあるんですか。」
「ないことはないですが、滅多にありませんね。しかし人によるでしょうか。こちらも製造業は盛んですから、それを地上に送る人も勿論いるわけで」
「製造業、ですか」
「そうです。まぁ色々ですよ。昔は電気系が多かったですかね。地下ですから、やはり停電は怖いんです。電気がなくなるとそれこそ何もできなくなりますから。停電時でもバッテリーが長持ちするとか、そういう産業が盛んなんです。何かことが起こってからでは遅いですから。今はスマホの時代なのでそこまで需要も高くはないですが、懐中電灯の製造が盛んだったんですよ」
「懐中電灯ですか」
「そうです。とにかくいかに長く持たせるかに重点を置いています。せっかくですから入ってみましょうか。昔の名残で、懐中電灯専門店は結構あるんです。昔と比べればかなり減ってしまいましたが、今はその培った技術を生かし、工場の下請けみたいなことをするのが多いですね」
彼はショッピングセンターを出てから近くの小さな店に案内した。かなり年季が入っていそうな家で、和風の二階建てだ。扉は引き戸で、上の看板には大きく「横田懐中電灯」と書かれている。彼が引き戸を開けると、
「いらっしゃい」
としわがれた声がした。奥のレジに60歳くらいの男性が座っていた。
「やじさん、久しぶり」
彼はそう挨拶し、やじ、と呼ばれたその男性は、あぁよう来たな、と言った。両壁には懐中電灯が吊り下げられており、黄色や青色、オレンジ色など様々なカラーバリエーションがあった。
「久しぶりに地上からお客さんが来たからさ、懐中電灯を見せてあげようと思って」
「地上からのお客さんは珍しいね。ここの懐中電灯の性能は折り紙付きだから、見ていってよ」
「何が地上のと違うんですか」
「持続時間かな。入れる電池の種類は同じでも使用できる時間は全然違う。とは言っても今はスマホにライトの機能もあるし、懐中電灯自体そこまで必要なくなったがね…」
やじさんは寂しそうな顔をした。このしんみりした空気を変えたいと思い、壁にかけられている懐中電灯から青色のを手にし、
「これ、何円ですか」
と聞いた、
「それは、300円」
それは安い。
「これも良い機会なので、買います」
「ありがとうね」
彼は嬉しそうだった。外に出るとぽろんぽろんと下校の音が鳴り始めた。地下だからか、その音がより鳴り響いているように感じた。
「そろそろ、最終電車の時間ですね。」
腕時計を見ながら彼が言った。私もスマホを見ると、時刻はもうすぐ17時になろうとしていた。
「宿泊施設がないわけではないですが、今日はどうしますか」
もう少しこの街を見たい気持ちはあったが、今日は日帰りのつもりだったので、予定通り帰ることにした。
「欲を言えばもう少し見たいですが、今日は帰ります。」
「そうですか。では駅までご案内しましょう」
見れば見るほど、どこにでもありそうな街の風景だ。具体的にどこかと言われれば言葉に詰まるが、「典型的な日本の住宅街」
をイメージして作ったのかもしれない。
わー、と向こうから小学生5人くらいが走り去っていった。
私は彼らの後ろ姿をしばらく見ていた。
「ここに越してくる人って、結構いたりするんですか」
「それなりにいますね。知り合いなんかで、引っ越して疎遠になった人とかいるでしょう。そういう人の中にも、この地下にきて住んでいる人もいるものですよ。もしかしたらここで知り合いに会うかもしれませんね」
なるほど、ここでずっと疎遠になっている人と会えたらそれは面白いだろう。
20分ほど歩いて駅に着いた。もう電車は止まっていたが、乗客はいないようだった。
「あと十数分で電車が来ますよ。電車の本数がないもので、こんな時間が最終電車になって申し訳ないですが」
「いえ、少しでもこの街を観光できて楽しかったです。ここでのこと、誰かに話しても良いですか」
「それは構いませんよ。ぜひ話してください。誰も信じないかもしれませんが」
彼はニヤと笑った。
「それもそうかもしれませんね」
電車がやってきた。電車に乗り込み席に座ると笛の音がし、電車が動き出した。
こんな世界もあるんだな、
きっと自分が見ている世界はまだまだ小さいもので、世界とは、きっと自分が思っているより大きいものなのだろう。
地上に出てきた。
外は真っ暗で周囲は見えなくなっていた。行きでこの電車に乗った駅で下ろされ、そのまま自分の最寄り駅まで別の電車で乗って帰った。
最寄り駅から私の家までは、街灯の数が少なく少し暗い。懐中電灯をつけた。強い光で道は照らされた。
なるほどこれが技術の結晶か、と私は感心した。
空を見上げると星が綺麗に輝いていた。
そういえば、地下の空の星は日によって変えているのだろうか。そんな小さな疑問が私の頭をよぎった。
もしまた行けたら聞いてみよう。
私は懐中電灯を少し見てから、また前を向いて家へと向かった。

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