三十路目前の弟をVtuberにする


 桜の花びらが散り始める四月、私は誓った。
 弟をVtuberにする。
 なぜなら、私自身がもう働きたくないからだ。


経緯

私についてとこの考えに至った云々

 突然だが、私は高校を卒業した十八の時点で地元の企業に就職し、三十を越えた今に至るまで同じ会社で働き続けている。もう中堅扱いの平社員だ。
 人の体とは不思議なもので、二十代と三十代では明らかに性能が違う。三十になった途端、急激な衰えを感じるのだ。
 思うように動けない。
 すぐに疲れる。
 土日に元気がない。
 起きた瞬間から一日の終わりかと思うくらいに体が重い。
 それは気持ちからくるものも大きいだろうが、とにかく三十を越えると年齢を感じずにはいられなくなる。
 毎日朝六時台に起床、のろのろと始業時間に間に合うように出勤、昼休みを含めると定時まで九時間弱は会社に拘束、そこから毎日二時間程度残業して帰宅。
 二十代の頃、これらの事に疑問や不満を抱いた事は正直言ってあまりない。残業はすればするだけ手当をもらえたし、高卒の私にはその残業代が何より重要だった。入眠がどうにも下手な私にとって、朝起きる事のみが苦痛だった。
 しかし、三十になった途端に感じるようになる。
 人生の大半を仕事の時間で終えるというのに、なぜこんな苦痛や疲労を感じなければならないのか?
 「好きな事を仕事にするな」には賛成派である。好きな事は「仕事」にはしてはいけないと思う。嫌いになる可能性があるからだ。それはあまりに勿体ない。
 ただ、「仕事」には「興味」がなくてはいけないと思う。この「興味」を、私は今の仕事にひとつも抱いていない。
 とにかく、四月を目前にした三月の私は三十年余の人生で最も疲れていた。要因は諸々あるのだが、四月も今始まったばかりという一日に社内掲示板を見て、何か糸が切れたように思う。その内容はエイプリルフールではなく現実だ。
 もう働きたくない。少なくともここでは。
 強くそう思った。

そうだ、働くのをやめよう。

 私には弟がいる。
 彼は三十目前で、自宅警備をしている。つまりニートだ。おまけに引きこもり。高校生活の途中からなので、筋金入りでかなり年季の入った自宅警備員だ。
 もう一人姉もいるが、私を含めきょうだい三人とも実家で親に寄生しているため、我が家に孫は必要ない。
 そんな彼だが、何もずっと自宅警備に就いているわけではない。過去には自発的にだったり、友人の紹介や、宗教関係の知人に誘われたりなどして外で働こうとした事も何度かあったのだが、そのたびに諸々あり辞めている。
 一日中彼が家で何をしているかと言えば、洗い物、米炊き(炊事ではない)、食事、パソコンである。
 パソコンでずっとゲームをしている。本人曰く、かなり良い成績をおさめたゲームもあったらしいが、時代と国に恵まれなかったらしい。つまりまだイースポーツだの何だのと言われ始める前、日本では流行っていないゲームで好成績だったのだ。
 日がな一日ゲームをしているなら、配信なんかしてみれば良いのにと言ったところ、過去試みた事もあるが、ドイツ人が一人常連になってくれただけだったと言う。そのドイツ人が転職だか転勤だかで配信に来れなくなると言うので、彼も配信をやめた。

 人はやりたくない事に対して言い訳をしがちである。
 彼は現状が良くないとは理解しているものの、失敗体験が多いため動く事に後ろ向きだ。
 何々をしてみたら?
 何々はどう?
 全てに対してやってみたけど失敗したから、という言い訳をのたまう。私もそちら側の人間なので気持ちはよくわかる。
 彼の逃げ場をなくせば、つまりは私が環境を整えれば、せざるを得ない状況になれば、しぶしぶでも動くようにならないだろうか?
 私が働かなくても良くなるために、彼をどうにかして働かせて、稼げるようにはならないだろうか。
 つまり。彼をVtuberにしよう

お前がVtuberになれ

 何がつまりか理解できないだろう。私にもできない。
 つまるところ、

 [問題点] 私が働きたくない
 [解決策] 他の人間が私の生活費を稼ぐ必要がある
 [分析]  現状暇そうなのは弟のみ
 [考察]  弟ができるのはゲームのみ
 [結論]  そうだ、Vtuberにしよう

 そういうわけである

 結論が突拍子もないかもしれないが、つべこべ言わずにVtuberにしよう。
 しかし、問題がある。私も弟も、ゲーム配信自体は見るのだがVtuberについての知識は全くない。ほぼ皆無である。お互いに、Vtuberの配信を避けているふしまである。
 だが、彼もこれではいかんと思っていたのか、Vtuber化にかかる費用を調べた事があるらしい。
「絵を描いてもらうだけで数十万かかるんでしょ? 俺出せないよ」
「モデリングしようとしたらもっとかかるだろうし」
「ウェブカメラとかも必要でしょ?」
「そういう配信のやり方も俺よくわからないし」
 (当然ながら彼は無職のためもしこの費用を出すとしたら親の財布からである)
 御託を並べた彼に私は言った。
「絵は私が描く。モデリングはしなくても良さそうなソフトがあった。だからウェブカメラとかの機材もとりあえずは要らない。配信の仕方は調べれば出るだろう」
 最小限のリスクで始めるために、できるだけ余計な金は使いたくなかった。私は事前に検索して、簡易的に始められる方法がないかを確認していた。メインの絵と差分を数枚用意すればVtuberのように口が動くソフトを見付けた時、これにしようと思った。
 それを提案したら彼も納得していた。ただ引っかかる部分があったようだ。

姉ちゃんが描くの?

俺が描く

来歴

 オタクと呼ばれる人種の皆様には少なからず経験があると思うが、「描き続けるオタク」と「描くのをやめるオタク」がいる(なにを、とは言わない)。
 これはよほどの才能に恵まれていない限り、前者が努力を続けた人間で、後者が努力を諦めた人間だ。私は後者にあたる。
 中学生までは私も絵を描いていた。友人数人とノートを回し、リレー漫画や主にイラストで構築された自由交換日記なんかを描いたりもしていた。
 だが、私が積極的に絵を描き、絵を描く事を「趣味」と自負していたのは中学生までで、高校に上がってからはそこまで積極的に描く事をしなくなり、社会人になってからはほぼ絵を描かなくなった。
 これは周りの「絵を描いていた友人」たちがぐんぐんと上達し、その道に向かっていくのに対して、描く頻度を上げないために上達もしない自分が情けなく、また知らずのうちに画塾に通っていた友人たちに衝撃を受け、そこまでの情熱はないと心を折ったのだ。
 まあ格好良く言ったが、要するに「努力を続けられなかった」だけである。

 そんな私がデカく出たが、描くったら描くのだ。根拠のないやる気だけがそこにあった。

やる気

 まずは久しぶりに絵を描いてみるところから始める事になる。言わずもがな私は六歳と二百八十八か月越えの女児であるため、使う道具は当然これだ。

開いてみると、数年おきに思い出したようにポツポツと描かれたいわゆるファンアート的なものが数枚あり、歯が痛んだ

 まずは描きながら構想を練る。
 キャラクターデザインの案などは一切ないが、描いていて楽しいので、描くのは女の子だ。弟は当然男だが、そんな事は関係ない。

 無知も甚だしいくらいの状態のため、まずはVtuberの画像を検索してみる。
 ヒットするのはガッチガチの「神絵師」が描いた秀逸なデザインキャラクターの数々。繊細な色塗り、秀逸な配色、魅力的な顔立ちに衣装。見ていても感嘆しか出ない。それ以前の問題というツッコミはなしだ。
 元々努力を諦めた側である私は飽きるのも人一倍早い。集中力がないとも言う。画像一覧を見てひとしきり感心したあと、とりあえず描くか…と指を動かした。

 「バーチャル」の「女の子」キャラで私が思い浮かべるものと言ったら天下の初音ミク様である。
 完璧なキャラクターデザイン。
 ああいった感じを目指そうとうすぼんやり指標を定めた。エベレストよりも高い指標だが、示す位置として必要なだけなのでそこにたどり着けるとは思っていない。同じ州に片足突っ込むくらいで及第点だろう。

 輪郭は丸め。
 少しつり目。
 口は小さい。
 自分が描きやすくて可愛いと思うものを描いていく。数年ぶりに絵を描いたので、手癖はひどいが筆が乗っただけ良かった。

 昔からそうだと思うが、瞳を非常に細かく塗ってある絵が多い。
 私は絶対そんな風には塗れないので、瞳は星などを描いて誤魔化す事にする。余談だがちょうど推しの子の流行とかぶってしまい少し恥ずかしくなった。私は推しの子を読んだ事がないのでそこは勘弁してほしい。

 前髪はある方が好きだ。
 髪の毛はひと房くらい違う色を入れたい。何か流行りだと思うし。
 髪型は初音ミク様を思い浮かべつつも、唯一知人にファンがいてビジュアルを知っていたVtuberの名取さなさんに無意識に寄ってしまった。後から気付いた。パクリではないです。申し訳ございません。許してください。
 おっぱいはないよりはありより。
 服は現実世界でも上に重心があるスタイルが好きなので、ボリュームのある上着を着せて、下の服はシンプルにしよう。
 靴が一番どう描いて良いのかよくわからない。とりあえずヒールを履かせ、草案が出来た。
 そしてこの草案はこのまま採用される。
 面倒だったとかではないが、専門職でも何でもない素人がこれ以上脳みそを絞ってもデザインなんてものは出てこないだろう。

課金

 ここで一つ問題が発生する。
 配色を考えたいのだが、私の手元には色鉛筆しかない。
 アナログではトライアンドエラーが難しいし、パソコンの色味とは違ってくるだろう。
 何より、バーチャルで生きるはずのキャラクターなのに、製造元の私はアナログでしか絵が描けないのだ。

 事情を知っている友人と久しぶりに外食した時に色々と話していると、「私の使ってるペンタブは五千円くらいで売っているんじゃないかな」と教えてくれた。ちなみに友人は「描き続けた」側の人間であり、それで職を得ているので、素直に尊敬している。
 私はペンタブとやらはもっと法外な値段がすると思っていたので驚いた。液タブなんて事になると二桁万円を想像していたのだが、そんなにしないはずと言われ、検索したところ三万円もしない液タブがあった。度肝を抜かれる。
 iPadを買うか悩んでいたのだが、秒で液タブに乗り換えた。
 私の持っているノートパソコンで動くのか不安だったが、動かなければ弟のパソコンを借りようと思っていた。(私のノートパソコンは編集しようとしてソフトに動画を読み込むとフリーズするスペックのため)
 結論、私のノートパソコンでも動いたので、大変助かった。

 高校時代に悪名高いWindowsVistaを所有していた我が家は、誰が買ったか知らないがペンタブもあり、触った事がある。
 ただ、Vistaくんはカクカクとしか動かず、読み込みが遅く、すぐフリーズし、まともに引きたい線を引けた覚えがなかった。
 液タブはどんなものなのだろう、全く知らないまま届いた箱の大きさと出てきたタブレットにわくわくした。女児なので。

 使用するソフトは無難にクリップスタジオにした。きちんと年間契約をする。私は元来誠実な人間なのだ。
 早速起動するが、描く前に躓く。キャンバスの大きさって何?
 これに関してはさっぱりわからなかったので、適当に正方形のキャンバスを作った。みんなどうやってキャンバスサイズ決めてるの? 才能?

 そこから早速絵を描いていくわけだが、驚くほど描きにくい
 慣れだとは思うが、思った場所に線が引けない。
 適切な線の太さや、レイヤーの分け方も探り探りである。
 レイヤーとかその辺の知識は少しフォトショップとやらを触っておいて良かったと思った。

 前述の通り集中力のない私が、わからない事を検索しながら、四苦八苦して一日数時間、何日もかけて絵を描く中で思ったのは、世の中の絵を描いている人はマジですごいという事だった。

 いやもう、本当にすごい。
 対価を払う事をしぶる人間は、一度道具を揃えて自分で描いてみるとよくわかる。
 インターネットの向こうの神はポンと魔法のようにお出ししてくるが、実際そんな風に出てくるわけではないのだ。
 ポンと魔法のように生成されるAIを使った絵師を名乗る人たちですら、何度も出力しなおして、その中から厳選する努力をしているんだ! と主張するのだから、実際に無から生み出す人間の努力は計り知れない。

 話を戻す。

 配色は弟が「褐色が好き」と言ったため、肌は少し暗く、髪は対比で明るい方が良いだろうと思い白くする事にした。
 ただの白では面白くないのと、私が色という概念が賑やかで好きなため、影を虹色のグラデーションにしようと閃く。
 良いアイデアだとニッコリしたが、その頃本腰を入れてやり始めたグランブルーファンタジーのクピタンを見て絶句した。クピタンは本当に可愛くて大好きです。

 私はCLAMP先生の魔法騎士レイアースがとてつもなく好きなので、意味もなく胸元にどう固定してあるのかわからないレンズを描いた。
 塗るのが一苦労だったが、インターネットに救われた。インターネットは本当に便利だ

 上着は当初大きくてもこもこしていて黒いものか、ボーイッシュなジャージじみたものにしようと思っていたが、途中で透けるものにしようと思いなおした。
 これが本当に塗るのが大変で、インターネットで検索しても思う結果が得られなかったが、何とかそれなりに塗り終えた。これもグランブルーファンタジーのクピタンを見て絶句した。

 ひと房色を変えようと思っていた髪は、これまた弟が「緑が好き」と言ったため緑になった。
 私も緑が好きなので喧嘩にならなくて良かった。

 自分一人では耐えられない作業に、定期的にTwitter(現Xとやら)で進捗報告をしては片手で足りる数の友人に「上手だよ!」「偉い!」と褒めてもらいながら自我を保ち、何週間作業したか忘れたが、とりあえずメインの絵を完成させるまでにこぎつけた。
 差分はそれを考えれば簡単だ。レイヤーはわりと細かく分けたので、目を消して描きなおしたり、口を消して描きなおしたりするだけで、完成。
 弟のパソコンに送り、ソフトに入れてみたらきちんと瞬きし、マイク音量にあわせて口が動く。感動である。

お前はVtuberになれるのか

 名前も何もかも弟が「任せる」というスタンスだったため、彼の本名からアナグラムで名前を決めた。

 弟のヘッドセットのマイクでは音質が微妙だったため、マイクを買ってあげた。私の自腹である。これは弟ではなく自分に対する投資だと思う事にした。

 弟はずっと座椅子に胡坐でパソコンに向き合っていたので、机と椅子を買い、棚なども新調し、部屋を大幅に模様替えして掃除した。
 彼は全く掃除をせず、環境を変える事を嫌うため配置換えなども今までは断固拒否されていたが、さすがに私がここまでお膳立てして断る事はしなかった。ちなみにこの模様替えの費用は私ではなく親の財布から出ている

 環境を整えられた弟は配信用のゲームを購入し、Twitter(現在は違う名前)とTwitchのアカウントを作り、7月の終わり頃から配信を始めた。今のところ視聴者は私と姉のみである

 モデリングをしていないためVtuberとは名乗れない。さしずめVtuberもどきといったところである。

展望

 そんなこんなで、稼ぐとかそういった話にはいかないものの、弟をVtuberらしきものにさせる事には成功した。夢への第一歩である。

 当たり前のように女の子の見た目をしているが、三十手前の成人男性の声が出る。ニッチな層を狙っている。

 Vtuberを知ろうと調べた時に、
「彼らにはどうやらママとパパがいるらしい」
「バーチャルで生まれた存在なので、中の人などおらず、そういった話はご法度」
 というような事を学んだため、この記事はその方針でいくと犯罪級の内容だろうが、気にしない事にする。
 懺悔として、絵の画像を貼ったり、ここで名前を明かすなどの宣伝はしない。そういう目的の記事ではない。

 私が努力したのは「興味のある事」だったからなので、これからは弟の配信の編集をしたりなどして実地で技術を学び、働くにしても興味のある事をしたいと思っている。とにかく早く今の仕事を辞めたいから

 そして私はオモコロ杯に応募するため、締め切りである本日八月三十一日の午後三時頃からこれを書き始めて、最終的に書き終えている
 普段生きている中で、記事に出来るような事なんてなかなか起こらない。賞レースに参加できるとは思わないが、良い機会だと思ったのだ。

 夏休みの宿題は、始業式が終わり、帰った午後からやり始める子どもだった。
ちょうど今日は夏の終わりだ。将来の夢、大きな希望を忘れずに生きたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?