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2020年最大の出来事は、山川咲さんに再会したこと

先日、たまたま過去のFacebookを見返す機会があった。Facebookを始めたのは2011年。社会人3年目くらいのときだろうか。

しょーもないつぶやきだけで目を覆いたくなるような投稿だらけだったが、ひとつの投稿が目に入ってきた。

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この『みんなで創る野外フェス』が、山川咲さんと関わったきっかけだった。あれから9年。2020年に再び奄美大島で出会うことになるとは、まったく予想していなかった。

4月に突然届いたメッセージ

「いま奄美大島にいるの?わたしかけろまにいる!」

漢字変換すらしないまま送られてきたメッセージ。ちょうど前日にぼくが奄美大島関連の投稿をしたからだろう。それを見てメッセージしてくれたのだと思う。

4月といえば、ちょうど新型コロナウィルスの影響で世界の情勢が大きく変化していたときだ。ぼくもしばらくは家で大人しくしているかな、と思っていた時期だった。

彼女の名誉のために言っておくが、山川さんが奄美大島に来ていたのはまだ観光客がたくさん来ていた3月のこと。来島後も島の人に迷惑をかけないよう、出かけずずっと宿にいたそうだ。

まさかの人物からのメッセージだった。車の信号待ちの間にメッセージを確認したが、気が動転して運転どころではなくなったので急いで車を停めて返信した。

ぼくと山川咲さんとの出会い

最初の出会いは就職活動のときだった。ぼくが大学4年生のころだから2008年くらいのこと。山川さんが働いていた教育系の会社の会社説明会で出会った。当時、彼女はちゃきさんと呼ばれていた。ぼくもその呼び名でずっと呼んでいるので、以後はちゃきさんと書かせてもらう。

その会社の人事だったちゃきさんは、入社2年目とは思えない自信を感じさせるような眩しい笑顔をしていた。その後、その会社が開催するセミナーに何度か参加していたのでぼくは一方的にちゃきさんの存在を知ることになった。

関わるようになったのは、冒頭に書いた『みんなで創る野外フェス』だった。ちゃきさんは働いていた会社を辞め、仲間たちと野外フェスを企画する。

野外フェスのコンテンツのひとつに、素人だけでつくるミュージカルがあった。もともとはNPO法人コモンビートという団体が開催しているプログラムなのだが、それを野外フェス用にアレンジしてやることに。そのメンバー募集にぼくも手を挙げた。

フェスを通じて知り合いになり、顔は覚えてもらったが、飲みに行くような関係までではなかった。その後も何度か会うことはあったが、ちゃきさんは数年の間にCRAZYを立ち上げ、業界の革命児と呼ばれ、情熱大陸に出演。

当時、ぼくも独立して好きなことを仕事にしようと思っていたが、クレジットや光熱費の支払いに追われる日々…。自分とはステージが違いすぎて一方的に雲の上のような存在に感じ、もう会うことはないだろうとすら思っていた。

再会した事実が自信になった

「なんでそんな人が…うちに泊まっているんだ。。。」

ちょうどコロナの影響で奄美大島の宿泊施設が休業し始めている中、泊まるところを探すためにちゃきさんはうちで一泊することになった。

3月に自身が立ち上げた株式会社CRAZYを退職し、これからの人生を見つめ直すために選んだ奄美大島。なぜ辞めたのか、これからどうしていくのか、聞きたいことはたくさんあったが聞いていいのか分からず、とにかくドキドキしていた。

次の日にはちゃきさんはうちを出発した。合鍵を渡し、奄美にいる間はいつでも使っていいですよ、とだけ伝えて別れた。この日はどんなことを話したのか覚えていない。ただ再開できたことが嬉しかった。

よく「仲の良い5人の友人の平均が自分」と言われる。「引き寄せの法則」や「類は友を呼ぶ」なんて言葉があるように、必要な人とはまた出会うと思っている。島に移住し、疎遠になった友達もいるが、必要なタイミングではきっとまた会うと信じている。

どんな運命の巡り合わせか、ちゃきさんとまた会えた。この事実だけが自信になった。

「あぁ、自分はまだちゃきさんに会っていい存在だったんだ。」

ちゃきさんの弾けるような笑顔には、そう思わせてくれるようなエネルギーがあったし、大学時代に就職活動で初めて出会ったときのちゃきさんと変わっていなかった。

意思をもって生きてみよう

5月の後半は濃密だった。ある結婚式プロジェクトに参加することになり、ずっと業界の第一線で活躍してきたちゃきさんの手腕の片鱗を横で見ることができた。

このプロジェクトの話は長くなるので、また別の機会に話すことにする。でもここに参加できたことはとても大きく、島のクリエイターの方々とつながれ、そのおかげでいただけた仕事がいくつもあった。

島に移住して4年目。ちょうど年始め、これからどうしようか考えているところだった。そんな中でのちゃきさんとの出会いは大きかった。

今年、ちゃきさんは何度もうちに泊まり、食事にも行き、昔よりもいろんな話をした。そこで感じたのは、ちゃきさんはとても繊細で臆病で、怖がりながらも信じた世界を目指すために真っ直ぐであること。

先日、あるオンラインイベントがあった。

ちなみにこのイベント、ちゃきさんはうちから配信しているのでぜひ見てください。笑 この日、うちは配信スタジオになっていました。

このイベントで、ちゃきさんは「自分がしてきたことはずっと『教育』だ」と言っていた。CRAZYでは結婚式という手段を取っていたが、根底にあるのは教育であり、ちゃきさんが掲げている理念「意志をもって生きる人を増やしたい」という気持ちはずっと変わっていない。

世の中への違和感をそのままにせず、目指す世界があり、どんなに不安で押しつぶされそうになっても、どんなに怖くても、その気持ちも抱きしめながら前に進む。目の前の人に本気で向き合う姿に心を打たれた。

その姿は表現者であり、アーティストだった。野外フェスを企画したときからその姿は変わっていなかった。

自分ももう一度、どんな世界を目指したいのか描いてみよう。表現者として生きる覚悟、とまではまだ言えないけど、そんな自分もあっていいと思えた。

2021年はもうちょっと、意思をもって生きてみよう。

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