死んだら畑に埋まりたい

 20代です、まだ死にません(予定)。
 でも、死んだら畑に埋めて欲しいです、着衣剥ぎ取っただけの状態で。

 近年、埋葬の形は多様化しているように感じます。
 個人的には樹木葬はいい形だなと思います。
 もっと広く視野を持てば、様々な宗教や歴史の地点ごとに様々な埋葬、遺体のあり方があります。
 個人的には鳥葬、良いと思います。自らの体が何者かの糧になるのは循環している気がして今の私の感覚にハマります。
 風葬もそのあり方に魅力を感じます。雨風に晒されて、時には動物に食われたりして、最後に無くなる。

 人間も結局は動物なので、最後はちゃんと土に還る、というか土になるのが良いと思っています。
 しかし、墓が、その人や先祖の生きた証、死者との精神的コミュニケーションの場としての役割を持ちうるという考え方にも賛成できます。
 墓を物的シンボルと考えれば、樹木葬は土に還る、とシンボルを立てるの両者を上手くミックスしていると感じます。

 ここから私の畑に埋まりたいの話になります。
 畑に埋まることは、先述の樹木葬と同じく、シンボル性と土に還るをうまく両立出来ていると思っています。
 シンボルは、空間も該当すると私は考えます。畑という空間区分がシンボルになり、埋まって分解されることで土に還る。さらに言えば、そこで野菜を育てれば、食べた何者かの糧にもなる。素晴らしい。
 私が死んだら、庭の小さな畑に埋めてくれ!

 まぁ、しかし、そこで育てた作物を食べることは間接的食人だ、と指摘されればその通りと認めざるを得ないし、そんな埋葬法に許可が下りるとは当然思っていないし、肉も分解されるまで時間かかるし、骨はなかなか分解されないし、死後の体のあり方の決定権はもはや自分から離れてしまうから誰かに頼んでも不確実性からは逃れらない。
 様々な価値観が進展していく中で多分今は異端寄りな私の考え方が許容される日がきたら素敵だと、夢想するのです。

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