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善悪の基準は「母の顔色」?

数年前の、うちの教室の、とある小学生クラスでの出来事のお話です。

私のクラスのレッスン中、教室の「窓」で遊び始めた子(A君)がいました。遊び始めたというより、窓を開けたり閉めたり、ロールスクリーンを下げたり上げたり、といった動きです。それが、だんだんエスカレートしていきます。他の子どもたちは、A君のことが気になりながらも、私がA君を怒ったり注意することをしない、と知っているので、A君置いてきぼりのままレッスンは淡々と進んでいきました。

A君の動きはどんどんエスカレートして、結構、レッスンの邪魔になり始めました。右脳開発系のレッスンなので、集中や精神統一が必要な中、ガサガサゴソゴソの不規則な動きは、集中の妨げになります。耐えかねた子供たちが「A君、やめてくれへん?」「気になって集中できない」と言ってみましたが、A君は一向に止める気配はありません。その間もレッスンは滞りなく淡々と進みます。そして、レッスンの区切りがついた時、私はこのように話しました。

「Aさん、してもよいことか悪いことかの判断がつきませんでしたか?先生に『駄目!』『やめなさい!』と叱られたらやめるつもりでしたか?みんなはもう善悪の判断がつく年齢なので、先生もそのように心得て接しています。先生が「駄目」と怒るからやめる。先生が「駄目」と怒らないからする。これではいつまでたっても「自立」できません。先生や親の顔色を見て行動する、というのはいけません。自分の頭で善悪の判断をして行動して下さい。先生はそれができる子どもたちだと信じて接していますので。

と。

A君はその後、自分の頭で考えて「これは迷惑をかけていた」と理解し、不規則な行動を辞めました。

自分で善悪の判断ができる、という大事なことを疎かにしていませんか?「お母さんに怒られる・怒られない」が善悪の基準になっているのであればお母さんがいないと善悪判断がつかない、ということになってしまいます。 「お母さんに怒られるから○○する。」「お母さんに怒られるから○○しない。」の図式が定着してしまって、結局困るのは子どもです。

A君は、その後、どうしたかというと・・・

心の中にもやもやと何かが巣くっている時は、大人もそうですが、子どもたちも、イメトレなどの右脳開発系の取り組みは絶対にできません。なので、その場合はレッスンルームから一旦出て、心を落ち着けるためのプロセスを踏んでもらうことになっています。A君も、そのヒーリングプロセスを経て30分後くらいにレッスンに静かに合流できました。

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