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快便の朝、揶揄について考える

おはようございます

このところ、沖縄で行われている座り込みに対して、座り込みの定義を迫り、座り込みそのものを否定し揶揄ったり、事の発端となる発言をした方が撮影した写真から当人を切り抜き面白おかしく加工し揶揄うようなツイートが散見されているのを見て、人としてどうなのかと考えながらトイレに向かった。

急に寒くなったもので、なかなか布団から出られず、ギリギリまでトイレを我慢するもので、急足で部屋からトイレへと向かって便座に腰を下ろした。

一日の中でもっともホッとする時間かもしれない。

トイレに座りながら、そもそも、そういう誰かを揶揄う精神は何処から?いつから?なんだろうかと考えてみた。


暫く考えを巡らせていると、小学生だった頃の自分が頭によぎった。


小学校の時、個室に入ると「うんこだ!」「クソ野郎!」など揶揄の的になったものだ。
伝わりにくいかもしれないが、私は小学生当時は男子生徒だった。


基本男子はおしっこの際は通称アサガオと呼ばれる小便器を使用するので、トイレにおいて個室に入るということは、当然にウンコをするものだと決めつけられたわけだ。


よって、どのような理由があれ、それが考え事であれ、体調不良であれ、なんであれ、個室に入れば”うんこ”であり”クソ野郎”にされてしまうのだ。


一度そのイメージがつくと、それをネタに揶揄われるのだ。


その頃から、そういう揶揄の文化は育まれてるんだなと、妙にスッキリ自分の中に落とし込むことができた。


快便の朝。


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