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「トランス女性は女性です」という当事者たちが、男でも女でもない人間として地位を確立してきたトランス女性の立場を悪くしたというのは本当なのか。

私はニューハーフの業界で、10代20代の時期を過ごしました。それしか選択肢がなかったのもありますが、ショービスが好きだったのもあります。

何が言いたいのかというと、それなりにニューハーフ業界を経験してきました。今の自分の価値観や判断に、当時の経験や学習が基礎となっているという事です。

その上で、あくまでニューハーフ業界でニューハーフの人たちと長く働くというより、生活してきたが正しい気がするので、生活してきたといいますが、生活する中で、彼ら彼女らの気持ちなんか理解したことはありません。

トランス女性にはトランス女性の気持ちしかわからないと仰る方がいますが、ニューハーフといえ多様ですから。狭い業界で小さな諍いや派閥が少なくないのに、何故ニューハーフであるなら、ニューハーフの気持ちがわかると言えましょうか。女性や男性も同じです。

ニューハーフは、人により同じ経験をする事もあるでしょうが、捉え方だって人それぞれです。仮に同じ経験をしたあなたが、その経験をどう捉えどんな思いをしたかなんか私には分かりません。一方、あなたは私のそれを分からないでしょう。わかる必要もありません。

要するに、主語が大きいんですよ。だから、話がわけわからない方向に飛んでいくんです。

ニューハーフと言われていた時代は、確かにニューハーフに好意的な人はいたかも知れません。

ニューハーフが女性に戸籍上の性別を変更をできるようになって約20年経ちますが、それにより好意的でなくなった人がいるというのは、自分たちとは違う世界の人間だと思っているからです。

男女どちらでもない普通じゃないサーカスのピエロのような立ち位置。または、妖怪人間のような。

人間でないものが、人間の真似事をする様は滑稽かつ感動的で楽しめるけど、彼らが人間に本気でなりたいというと、嫌悪の眼差しを向けるわけです。

先の都知事選で、敗北した蓮舫氏に対する怖い、男性に阿らない、ヒステリーみたいな政策とは一切関係ない批判が、SNSで飛び交ってますが、ニューハーフに限らず、女性だって似たような経験をしているんだなと思いました。

だから、男性に阿ろう。可愛げある女でいよう。やっぱり女性の社会進出なんからしくないよね。とはならないですよね。

女性だって、男女平等が謳われだしてから長きにわたり、未だに平等とは程遠い現実しか得られていないんですよ。だから、ジェンダー平等を特に女性たちは謳うわけですけど、あれはカルトなんでしょうかね?

中には、これまで頭ポンポンされて男性に反抗しない分可愛がられて居場所を築いてきた女性からしたら、ジェンダー平等なんか謳う女はさぞかし憎いでしょうね。独立心が強いかなんかわからない生意気で立場を弁えない女が男に刃向かうせいで、自分たちの安心安全で平穏な生活が奪われるかも知れないと不安になりますからね。

また、トランス女性は女性です。そうやって言う人がいるせいで、男女どちらでもない私たちが、男女の皆さんに頭ポンポンされてきた平穏な生活を奪われてしまうと感じる当事者の人もいるでしょうね。

私も、戸籍上の性別変更における性別適合手術の生殖腺除去の要件が昨年に違憲となった時、それに似た感覚に支配されそうになりましたよ。

これまで平穏に過ごしてきた自分の生活が、これにより奪われてしまうかも知れない。浅はかだなとわかっていながら、私自身も自分の中で戦いました。すぐに良かったと言い切れなかったのは、そういう複雑な思いがあったからです。

「トランス女性は女性」は、トランス女性が女性かどうかという意味というより、相手が女性であれトランス女性であれ、相手を尊重しなさいよって意味なのでは?と私は解釈しています。

だって、他人同士が向かい合って、その人の本来の性別や外性器なんか確認する必要も、開示させる必要もないんですから。

なのに、何故わざわざトランスジェンダーの人には、トランス女性です!とか開示させるのでしょうか。

そもそも、何故そんな簡単に、日常生活において、赤の他人に対して、自分の大切な情報を差し出さなければならないのでしょうか。

差し出したくない!という声が、カルトになるんですか?
良い子にして、差し出す事を要求する人たちのが怖いですけど、、、

トランスジェンダーという言葉も、自分たちはこういう生き物です!って開示して、周りからそういう人ね!って理解いただく為にあるんじゃないですよ。

当事者でない人が、当事者をカテゴライズする為に、LGBTQさまざまな言葉があるわけじゃないんですけどね。

男でも女でもない存在としてありのままでいろ!は、個人の大切な情報を、他人に明け渡した上で、他人の管理下の元生活を抑制する事に他なりませんよ。

というのが一つと、トランス女性だと分かった上で関わっているなら、臨機応変に対応すれば良いだけの話だと思いますし、そこら辺はネットであーだこーだ言われてますけど、トランスコミュニティや、ニューハーフの業界にいた時なんかは、案外自然になされていたと思いますけどね。

人間関係は、人が頭で考えてるより、柔軟なんですよね。

個人を個人として尊重しなさいよって意味ではないでしょうか。

ただ、主語にばかり意識を持っていかれてしまうと、トランス女性はトランス女性だ!とか、トランス女性は女性だ!に固執してしまうんですよ。

正直、どっちでも良いし、どっちでもあるわけで、そもそもそれがカルトであるかなんか、とても馬鹿げた話でしかないんです。

トランスジェンダーの人が同じトランスジェンダーの人を、これまで男女ではない私たちは男女の人たちに可愛がられてきた。だから、その関係性を潰すなと言ったとして、自分の人生の選択肢が既に多様になった、選択できる事を当事者らが知った今、単なる戯言ですよ。

そういう生き方しかなかった時代とは、もう違うんです。また、仮にトランスジェンダーらから全ての権利選択肢を取り上げたとして、特例法ができる前のような夜職しかありませんって当時のままにはならないですよ。

トランス女性はトランス女性だ!
そういう生き方も、今は選択肢の一つです。今はね。それ以外の選択肢だってあるんですよ。

トランス女性がトランス女性をオープンに生きるのも、女性の中に混ざり込んで生きていくのも、はたまたトランス女性ではあるけれども、男性として生きるのも、性別なんかに拘らず生きていくのも、進学だって就職先だって、今では本当に沢山選べるようになったんです。

素敵な事じゃないですか。

果たしてこれはカルトなんでしょうか?

むしろ、これまで出来ない中で生きてきた価値観を他人に押し付ける方が、私は怖いと感じますけどね。

社会的に女性と同じ扱いを受けると、いろんな分野で反発がくると仰る方がいますが、当然、反発する人もいるでしょうね。それに関しては、先に述べたとおりですが。

いろんなってなんやねん!とツッコミはさておき。

トランスジェンダーの人の戸籍の性別変更ができるようになって20年近く、性別変更をして既に移行先の性別で生きる当事者たちは、それこそ頻繁に問題を起こしているですか?それこそ、いろんな?分野?で。

仮にそうならば、理解増進法も特例法の要件緩和なんか話題にも上がらなかったでしょうよ。

トランス女性とはいえ、男女どちらでもない人間としてありのままに生きたらいいという考えの人間ばかりではないので、あなたの価値観を、他の当事者に押し付けるのはやめた方がいいと思いますよ。

私も、ニューハーフしか選択肢がなかった時代を生きてきた方で、トランス女性は男女どちらでもない人間としてありのままで生きたらいいと考えるあなたも、一世代前の人間です。

今の人たちや、今の当たり前に、目くじらばかり立てて、悲観ばかりし、他者の足を引っ張るような、そんな老耄には私はなりたくありません。

折角なら、お互い楽しい老後を送りたいものですね。

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