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失われた30年(祖父と私、私と子供たちとの30年の違い)

失われた30年とは?
「昨今変化のスピードが速すぎて」といったフレーズをよく耳にする。またこれまでの日本が変化できなかった30年をよくGDPの伸び率や平均賃金の上昇率といった経済成長で例えられることが多い。そうは言ってもバブル崩壊からの90年代以降windous95が発売されインターネットが普及し、一人一台の携帯電話からスマホで常時情報を取得したり、動画を視聴できる生活に変わった。しかし、私が子供のころ想像していた21世紀の未来はノストラダムスの予言のように地球滅亡することもなく、手塚治虫が描いたような宙に浮いたオートモービルも未だ普及せず(今後ドローンがそれを実現するかもしれないが・・・)一家に一台のお手伝いロボットも未だいない。

私の父である祖父と私の30年の差
私は1968年生まれであり、父は1939年生まれで約30年の年代差である。父は戦前生まれで終戦まで満州で暮らしていた。6歳ころ着の身着のまま日本に引き揚げてきて来て、私の祖母の実家である九州の田舎町に身を寄せていたようである。もちろん終戦直後は物もなく、学校のお弁当代わりに芋を持っていったり、お金がない家は修学旅行だか遠足だったか学校で留守番していたようである。もちろんテレビもまだ普及していないので娯楽も少なく、図書館で本を読むことや近所の山や川で遊ぶことが楽しみだったようだ。
その30年差で育った私は小学校入学前にはテレビも普及し、ウルトラマンや仮面ライダーといった特撮テレビ番組も始まり、あしたのジョーやアルプスの少女ハイジといったアニメーションもあたりまえに存在した。小学校時代はゲームセンターでインベーダーゲームが普及し、家庭ではゲームウォッチができるようになった。もちろん少年ジャンプやコロコロコミックは皆競い合って読んでいたし、中学生くらいになるとウォークマンが現れ、高校生になるとバイトをしてエレキギターも買った。

私と子供たちとの30年の差
うちの長男は1998年生まれで同じように約30年の時代差がある。子供が幼かった頃は誕生日には戦隊物の武器のおもちゃをトイザらスで予約して買ってあげたし、「おかあさんといっしょ」やドラえもんやポケモンのアニメをよく見せていた。ガンダムのプラモデルも作ってあげたし、ポケモンカードやニンテンドーDSなんかも買ってあげた。
そう考えると祖父である私の父との30年の差と私と息子たちとの30年の差は、時間軸でもその質でも全く違ったものに感じる。祖父の「焼け跡からの30年」、私の「日本のイノベーションの30年」、息子の「焼き直し(マイナーチェンジ)の30年」。もちろんこれは子供時代を例えた30年であり、その社会や生活を作ってきたのは当時の大人たちである。

イノベーションの目的はマネタイズ?
GDPや平均賃金で30年を見るよりもこのように30年を見ると失われた30年以前の1960年代から80年代にかけての30年はなんとイノベーションが質量ともに多かったことか。それも別にデジタルではなくアナログであっても、これらの強みは生活を豊かにする日本特有の娯楽的なイノベーションであることがうかがえる。それに比べるとこの1990年代から2010年代の30年はマイナーチェンジに見えてくる。
それでは今後の30年はどうすればよいのか。岸田政権が「新しい資本主義」を打ち出しスタートアップを奨励するようであるが・・・。
昨今youtubeで経済番組を見ていても何かといえば「マネタイズ(収益化)」という言葉を耳にする。新たな取組をいかに金になるようにするかといったことだ。それが目的でスタートアップ事業をM&Aで最終的に売却する。果たして円谷プロや宮崎駿、手塚治虫、盛田昭夫もマネタイズを目的としてイノベーションを起こせたのであろうか?


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