見出し画像

読書メモ31「恢復する家族」

古本屋さんが店じまいということでふらりと立ち寄り
見つけて手に取った
「初めての大江健三郎」
まずはここくらいから許してくださいという気持ち。
今さらと言われても仕方ないのだけど。

ノーベル文学賞に興味はないけれど
「百年の孤独」は読んだし
「青い目が欲しい」も読んでた。
ジャケ買いに近く偶然手にして、
疎い私が後からそうなんだーと知る。

それぞれ1冊ずつしか読まないでなんだけど
ノーベル賞ができた経緯を考えると
なるほどと思えたのがこれを読んだ収穫。

人間というものへの理解と愛が
深いところに流れ、時折湧き水のように見える場所に出てくる。
それが文字によるもので
文学という形で私のところに届き心を打つのだろう。

てんかんについて一般の人より少しだけ詳しいと思うので、
読んでいても「そうだよなあ」なんて思ったりしていた。
今はお薬変えたかしらとか。

ドキュメンタリーで発作のシーンも隠さず流したとあり、
それは大きな決断だったろうと思った。

世代なのかメンバーをメムバーと書いたりが
気になった。
キャメラと言う和田アキ子を思い出した。
member、cameraなので英語としては正しいのだろうが。

言葉というものへの偏愛が、
自分の仕事の立ち位置を切望して
そして障害児の親としての人生と
苦しみや、もがく気持ち、と書いてしまうと陳腐だけど
陳腐だからこその普遍がそこにあって、
偏愛によってそれを確立したいような奮闘を見る気がした。

大江さんの文学作品を読もうとしたけど、
いっぱいあるからどこから行こうか本屋で逡巡し続けている。
おすすめはこれ!
と渡されてしまいたい。

普遍というものの陳腐さ。
陳腐でいいの。
それが普遍で永遠なのではないかしら。

そこらじゅうに売ってるショートケーキも
特別な日に特別な人と食べたら
かけがえのないショートケーキの思い出になる。
陳腐だけれど、絶対的な幸せな記憶がしまわれる。

ドラマティックな人生を羨む平凡な人生の人も
ドラマティックに生きざるを得なかった人に
羨まれていると思う。
人は基本的にないものねだりだから。

私は自分の来し方に思うところは多々あるが
否定しても仕方ないので
たくさんの失敗については反省をし続け
ほんのわずかな成功を愛でて生き続ける。
結構楽しく幸せだけれど
他者に勧めない。

知らなくていいことはたくさんある。
知りたいこととは別に。

我が子にも勧めない。
平凡に親元から学校行って
平凡に卒業して
平凡に受験勉強して
平凡に就職して
平凡に恋や青春やいろいろやって。
その方がいい。
「その他大勢」になっているかもしれなくても
その中の幸せを楽しめる人の方がいい。
外れ値になるのは勧めない。
偏差値50の幸せは尊い。

突出まで至らない外れ値なんか
本当に生きてて大変と思う。
見てる分には面白いけど
近くにいたらキツイ、という人にならなくていい。

ただ、その人にとっては
どんな外れ値の人生でも「普通」だ。
私の生きてきた道も普通だ。
ごくごく平凡なマイノリティだ。
よくある底辺。
DQNの3文字で表現されるような普通。

私は、他の誰かの人生を生きられない。

どんなに周囲から「普通じゃない」と言われても
普通なのだと言い続けていいんじゃない?

大江さんの人間に対して抱える愛を
もう少しやっぱり知りたいなあと思うのであった。

おしまい。

よろしければ投げ銭をこちらへお願いします。 投げ銭をくださるあなたにも私以上の喜びがありますように。