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読書メモ25「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」

久しぶりに純文学、山田詠美。

小学生の頃に大好きで10代の頃はよく読んでた(子育ての傍ら)。
ポンちゃんシリーズは最初の夫のお気に入りで
よく音読してあげてた。
ふたりで一緒に笑うには音読っていいよね。

私は恋人がやっぱり突然亡くなっているので
こういうお話はできるだけ避けてきた。
泣いてしまうからね。

だって
「誰かの死は、すべて遭遇した人の初体験なのだ。千人いれば千通りの死の受け止め方がある。」(文庫版P.95)
なんて書かれてしまっては、

「結婚してたわけでもないんでしょ?」

という言葉に薄く傷ついていた私も慰められてしまう。

人それぞれの受け止め方、付き合い方、向き合い方を
あたたかく書いてある。

私は私の悲しみ方を受け入れてもらえた気がする。

ご遺族が私を受け入れてくださっているように。
「あの子はどこにいるんでしょう」
と言われても
「私のところにいますよ」
と答えるくらいに、いつも一緒だ。
お誕生日は今もお祝いしてる。
プレゼントもあげてる。
私が使ってるけどね。

去年はとても「彼らしい」カップを。
その前は、きっと「これ好き!」という
シャープペンシルを。
そんな風に、私は一緒に生きてる。

ただ、私が生きている間に
どうしても新しいことを記憶されていって
彼の分の記憶が減っていってしまう気がして
毎日が怖い。
生きるのが、少しだけ怖いのだ。
彼が消えてしまう気がして。

どこかで生きていてくれることと
まるで死んでしまうことは全く違う。

死の持つ圧倒的なパワーを
私は彼が死ぬまでこんなにも感じたことはなかった。

今までは年長者が死んでいたから。
たとえそれが少し早くても、順当だった。
大好きな祖母を送った時も
それなりに悲しんだし、ぽっかりと空いた穴と過ごした。

大好きだった祖母や祖父の死を、そんなに引きずることもなく私は生きていた。

でも、私よりも若い人が亡くなるのは桁違い。
ダメージしかない。
彼が生きていれば私は元気に100%新しい恋に没頭できただろう。
彼が死んだことを知るまではそうしていたように。

だから、余計にこの本は読むのに勇気が要った。

ただ、手に取れるくらいには、
読み終われるくらいには元気になったのかもしれない。

誰かの死に対しての悼み方に正解なんて
当たり前に存在しない。

仏教の区切りは、生きている人が納得するためにあるんだなあと実感はしたけれど私とは流れる時間が違った。
昔はもう少し生きるのがハードモードだったろうから
悲しみに浸ってたら誰かに殺されたりするのかもしれない(物騒だな)。悲しみに浸りすぎてご飯も食べられないと昔ならイチコロっぽいし。

与えられた家族だけを甘受して
永遠に続くと思い込む子ども時代も良いけれど
長く続かない。
私は家族がいて良かったと、たくさん支えてもらって今に至るから、心からそう思うのだった。
ありがと子ども達。

ちゃお。

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